棘
ある年の大晦日から元日にかけての私。
俳人・高浜虚子の俳句に、『去年今年貫く棒の如きもの』と言う句がある。
一夜明ければ・・・。昨日は去年に、今日は今年になる。
零時を回ってから就寝することが多い私にすれば、ほんの数分前までが去年。寝ようよしている行為が去年と今年をまたいでいる。
年が改まることは特別なようではあるが、日常のつながりのままなのだというのを意識する。
大晦日になってから大掃除やら、庭の植木の手入れなどをするものだから、中指に棘が刺さってしまった。
棘の色が皮膚に似ているせいか、目視では見えるような見えないような状態である。手荒れのせいで少しささくれもあるせいか、棘なのかめくれている皮膚なのか判別が難しい。しかし、棘は中指の第一関節に刺さっている。指を抑えると痛む。何かの拍子に左の中指に圧が加わると痛む。
私は産まれながらの遠視である。遠視に乱視が加わっている。視力自体はそう悪くはないのだが、どこにも焦点が合わせにくい目の性質のようで、可能な限り矯正した方が良いと言われている。
そんな目の性質だから、中指の棘なぞに焦点をあわせるのは難儀である。
最初は棘らしき物に焦点を合わせることはできるが、時間が経過すると見えにくくなる。指に近づき過ぎたせいだと思い、今度は老眼のように指を離して見ると、なんとなく棘のようなものがあるように見える。近づけて焦点を合わせたり、遠くに指をやって焦点を合わせるを繰り返しつつ毛抜きピンセットで棘を探るが、どうにもうまくいかない。
目がコロコロしだしたから、コンタクトレンズを外して、眼鏡をかけて同じように探るが、一瞬、毛抜きが棘に触れひりっとする程度でなかなか成果が得られない。あまり毛抜きで弄るものだから、中指の棘があると思しき周辺の皮膚はめくり上がってしまい、もはやどれが棘だから分からないくらいの状況である。
もはや自力では探すことは叶うまい。
任せたくはないが、家族の手に委ねてみることにする。
私と違って、近視や目に問題ない人達だから、視点が変わって解決に至るのではないかと多少期待した。
ところが、彼らは「棘などない」と言うではないか。
そんな馬鹿な!
棘があるから痛むのだ。痛みも棘特有の痛さだ。この痛さはとげが刺さった以外に考えられない痛さなんだから、棘があるに決まっている。なのに棘がないと言うこの者たちの目は節穴である。
「ちゃんと見てよ!棘が刺さってるんだから!」
自分じゃ見えていないが、見えない棘の存在を信じて疑ない私が何度も頼んでいると、父が針で掘ってみるかと言うではないか。
「棘はない」と言っているくせに、何故に針で掘ってみようという提案をするのか理解に苦しむ。
針でどうこうするなんて絶対に嫌だ。
針よりましな案はいかと、考えをめぐらせ、セロテープを中指に張り、勢いで剥がして、棘がテープの粘着力に負けて取れるのではないかと思い試みるが取れない。粘着力がもっとあるガムテープで試みるが全く取れる気配がない。
こういう時はネットで検索してみたら、何かいいヒントが得られると思い、「棘」「抜けない」「抜きたい」などを入力して検索をしてみた。
「皮膚科に行くべし」という至極真っ当な意見が殆どであるが、病院に行くほどではないし、もう正月休みだ。余計な医療費は出したくない。休日の夜に受診などしたくもないし、コンビニ受診みたいだし、当番医にも迷惑かもしれない。
その中でも、家にあるもので実践できそうなものを抜き出して試してみることにした。
一つは、穴の開いた硬貨を棘の刺さっている所にあて押す。と言うもの。
コインに圧をかけ、穴の部分の皮膚を盛り上がらせて棘を抜きやすくしようという試みである。なるほど、手軽である。
二つ目は、梅干を使うものである。浸透圧を利用する作戦なのだろうか。梅肉をあてて体液が出るのを利用して抜くという、科学的でもあり、おばあちゃんの知恵袋的な作戦でもある。これと同じ原理なのかは分からないが、蜂蜜を使うという作戦もあった。
三つ目は、意外にも針で掘るであった。針だけは避けたかったのに、意外にもこの作戦は巷では支持されているものなのだろうか?
できれば避けたい作戦である。
すぐに一と二を実践してみる。どちらかの作戦で解決すると思っていた。しかし現実は甘くなかった。一案と二案のミックスに、梅干に代えて蜂蜜を垂らすという作戦もやってみたのに棘は抜けない。
もはや、第三の案しか残っていない。コインに梅干しに蜂蜜までかけてしまった私の指を針で掘って大丈夫なのか・・・。
少し針で中指をつついてみる。
自分が痛いことを自分でやる。攻め過ぎると痛いし、攻めないのも意味がない。自分自身を追い込むなんてことをしたことがないから、自分の追い込み方も攻め方も加減が難しい。
テレビでは、強いのか弱いのかわからない格闘家の試合が始まった頃から、私はずっと中指の棘と格闘していた。棘を攻めあぐねいていると、いつの間にか格闘番組は終わっていて、もう年が明けようとしている。
もう私の中指はボロボロだ。棘が刺さった痛みなのか、針の傷のせいなのか分からない。しかし棘の痛みは指を押し付けると存在している。
『中指の棘そのままに去年今年』一句閃いた。
こういう時に、閃いちゃったふざけた句。
もう自分自身を攻めることを止めて、究極の気分転換である「もう寝る」をすることにした。
傷ついてボロボロで戦意喪失の中指に傷テープを張り入浴をして寝ることにした。入浴中、指がふやけて棘が抜けるのではないかと期待して、傷テープを剥がしたがガッカリした。
もう寝る以外に私の心を落ち着かせる方法はない。そうだ、私は嫌なことがあるといつも寝ているではないか。
「さっさと家に帰って寝たい。」
仕事で嫌な渦中にいつも頭に浮かぶのは「さっさと寝たい。」そればかりだ。
寝たからと言って問題は解決しないが、解決したような気分はする。悶々と考えて眠れないという事もあるが、嫌すぎると「寝てしまいたい」「寝たいから帰りたい」そればかりを思ってやり過ごし、帰宅すると「今日の考える作業は終了しました」と言わんばかりに寝てしまう。朝、早く目が覚めたら考えよう。と。
そうだ、棘のことも明日考えようではないか。指が化膿するなんてこともあるかもしれないが、そこまでになったら堂々と病院を受診する事情になるのではないか。コンビニ受診とは言われないはずだ。
左手の中指に傷テープを張り直し就寝する。
翌朝、洗顔後に傷テープを外してみると、カーゼ部分に細く茶色い木の繊維が絡まっていた。
究極の気分転換「寝る」が功を奏した瞬間であった。
「果報は寝て待て」
嘘っぽい諺だと思っていたけど、まんざらでもないかもしれない。
出来ることならなんでも寝て待ちたい・・・と思う。