結果を出せない
何事も結果を出すには、その前に念入りな計画と準備が必要である。
そんなことは十分わかっているのに、相変わらず何も対処せずに、にわか仕込みで乗り切ろうとする私の浅ましさったら・・・。
今年も結果を出せなかった健康診断。
酒も煙草もやらない私が唯一やめろと医師から言われるのが「スナック菓子」である。どんな息抜きでも「食うな」と所見にかかれること3年目。
いつも健診の前二か月あたりから、「ヤバいな」と思ってやめたところで、血液は嘘をつかない。血糖値はごまかせても、ここ二~三か月余りの不摂生は血液検査に出ているのだ。それが分かっているのにやめない私はバカなのだが・・・。
今年は多少やる気を出さなければと思い、少し早めにスナック菓子をやめた。
アルコール依存症患者が「俺は一か月飲まなかった」と、酔っては得意げに話す光景に遭遇することがあったが、そんな言い訳と同じく「私は四カ月、スナック菓子を食べていません」と、得意気に言いたい気分であった。スナック菓子はやめたが、その反動にチョコレートをやたら食べてはいたが。
食べることも好きだが、元来の運動嫌いも問題ではある。
子供の時から体育は嫌いだ。体育の時間は不甲斐なさで自責の念にさいなまれるのだ。体を動かすのも嫌いだが、体の動かし方も分からないし、使い方も分からない。
たまに急いで走っている私を見た知人は皆「あなたが走るなんて初めて見た」と感慨深げに言うくらいだ。私だって走る事はある。人目につかないだけで。しかし、ゆったりと歩く人と言うイメージが付いて回わる。就職したての頃は「何があっても動じないし動かないな。あなたは」と年配者には嫌味を言われたものだ。
しかし歩くのは早いらしく「意外に歩くの早いですね」と意外なところで感心される。
話はそれたが、運動が苦手であるために運動をしてこなかった私に対し、医師が運動しろといつも言っているのだ。
食べることがやめられないのなら、食べた分を動けと言う。なかなか運動に繋がらない私に対し、「どうせ運動できないんでしょ。だったら食べる方を控えるしかない」と言ったりもする。「食べるなら動け、動かないなら食うな」というシンプルな提案なのだが、これがものすごく難しい。
血液検査の状況から、スナック菓子はとにかくやめなさい。若くもない大人なんだし。と医師は言う。「若くもない」とついに言われてしまったこともショックだが。
いつも健診の二ケ月前にスナック菓子を断っていた期間を、二倍に延ばしたところで結果がすぐに出るわけではないようだ。
夏からスナック菓子やめてるんですよと言うと、「そうですか。このまま止めたままでいてください」と、あっさり言われた。褒めもせず「当然だろう」という感じで。やめ続けて、運動などをすれば結果もよくなります。
洋菓子も控えて、どうしても食べたいなら和菓子にしてくださいと、追加注文をしてきた。
私は和菓子をほとんど食べない。小豆と栗が苦手だからだ。知人に頼まれて茶会に出るのも躊躇うくらい和菓子が苦手だ。生菓子も干菓子も苦手だ。「和菓子は苦手なんです」なんて言ったら「では何も食うな」とあしらわれるだけな気がして、黙っておいた。
とにかく、今年も結果が出せなかったことになんとも情けない気持ちはしている。
私だって自分の体をどう扱ってよいか悩ましいのだ。どうにかしなくてはと思ってはいる。毎年のことながら検診が終わると、いつも来年こそはと誓いを立てるのだ。
その一方で、ひどくふくよかが極まった人を目にすると、「あの人たちは検診で何も言われないんだろうな。太っていても健康なんだな」と思ったりもする。「何で自分ばかり言われるのよ。私まだ余裕はあるよ」とせっかくの誓いをどこかに追いやる考えが沸いてくる。「人は人。己の事だけ考えてなさい」と私の罹りつけ医は言うであろう。
このまま結果を出せないままでいるのも嫌である。来年こそは「頑張りましたね」くらいの言葉は引き出したい。
来年はがんばる。
来年のことを年末の今言うのは、鬼に笑われるかもしれないけれど頑張るわ。
そんなことを思ったその日の夕方、コンビニでばったり例の医師と出くわした。
籠の中身が非常に気まずいことになっているところで。