猫、9歳を思う
今月、愛猫ニアがは9歳になった。
猫は産まれてから最初の一年で、人で言う17~19歳までに成長する。
その後は1年に、人で言う3歳~4歳分年を重ねていくそうだ。
ただただ可愛くて無邪気で心もとなかった子猫が、半年頃から急に大人び始める。体が大人に近い大きさにはなるが、まだ幼さを残したを顔の表情が辛うじて子供であることを許しているような。それが日一日と消えていって、1歳を過ぎると顔も大人の顔になってしまう。
猫を迎えてから、「人間で言うと何歳」という言葉を気にかけるようになった。
とかく日本人は年齢を気にするから、その癖なんだろうか?
俳優やタレント、公の職にある人、テレビにちらっとでも出れば年齢が横に書かれてしまうし、人に年齢を聞くもんじゃないと言ってるはなから、年を尋ねテレビで公表する。医学的に必要でもない場面で年齢を表示される。そんなに人の年齢が知りたいのか?
人の年齢を知ったところで何なんだろう?人は何のために人の年を聞きたがる?
「もう〇歳なのに、まだあんなことやってやがる」と、見下したいのか。それとも「〇歳なのに若々しいわね。あ、テレビに出てる人はお金かけてるからか」などと、褒めてディスるを同時にやるためなのか。
「〇歳なのに、頑張ってるわねぇ。元気貰えた」などと、心にもないことを感動的に語るためにあるのか・・・。悪いが頑張っている人の年齢を聞いたところで、元気を貰ったことなど1度も私はない。そもそも、そう簡単に元気は貰えない。逆に吸い取られたような感覚に陥ることはよくあることだけど。
猫を飼い始めた頃、BSのテレビ番組で有名な写真家の写真展に姪を伴って出かけたことがある。
会場ゲートを超えた時、後ろから男性スタッフに声をかけられた。
「このまま進まれますと、お嬢さんが1万人目の来場者となります。写真撮影と記念品の授与がありますので、こちらへお越しください」と、姪の保護者である私に声がかかった。
主催するお偉いさんらしきスーツのおじ様から記念品をいただく場面を、協賛の新聞社のカメラマンに写真を撮られまくる姪。
写真撮影が済むと、翌日の新聞に載せるたの取材に応じる。小学生の姪の話では心もとないと感じたのか、姪のことを私にも尋ねるので、彼女が地元の小学生ではないこと、夏休みに私の家に遊びに来ていることを話した。このイベントの記事がさほど大きな記事になるとは思えないが、30分以上根ほり葉ほり聞かれた。姪も1万人目になれたことは嬉しいが、「もういい加減にしてくれよ」という顔をし始めたところで、取材は終わり、やっと写真を鑑賞することになった。
しばらくすると、またあの記者が会場内で私たちに駆け寄ってきた。
一体、何が聞きたいのだろうかと思って、応じると、
「あの~、伯母様のお年は何歳ですか?」であった。
そこ、重要か?!
重要なニュースなのか?
だいたい写真撮影は姪とお偉いおじ様だけだったので、私の写真は新聞には出ない。出ないのになんで私の年齢が必要なのか?
そんで、どうでもいい事だが私は5歳さばを読んでしまった。5つ上の年を聞いてこの青年はどういう反応をするのかなと思ったが、あっさりと「ありがとうございました」と言って去っていった。
「お若く見えますね~」とか言ってくれるかと思いきや、それもなく「ああ、そうなんですね」という感じでメモして消えた。
5歳上の年齢でも年相応に見えたのか。
『あなたが聞いた年齢は嘘ななんだけど大丈夫なのかい?』という気持ちと、5歳ぐらいのサバなんて見た目には影響しないもんなんだなと思った。
だったら、どうしてテレビや雑誌では年齢情報が必須なのか解せない。
結局、取材された新聞記事は、写真と姪の年齢と、1万人目となった感想、姪が猫好きで黒猫を飼っているという情報だけが掲載されていた。
9歳になった愛猫ニアは、見た目は5年前とは変わらない。
猫の9歳は人間でいう50代前半くらいだという。
気が付けば愛猫に年を超されてしまった。
人間界では後から産まれた者が、先に産まれた者の年齢を追い越すことは生きている限りない。
これからも、私とニアの年齢差は開いてゆくだろう。
あと9年もすれば、「おばあさん猫」になっている。これまでの9年はあっという間だった。残り9年あるとするならば、それもきっとあっという間なんだろうな。
9年後、私はニアを思って泣いてるのかな・・・。
9年後のリアルを考えた夏。