ざまあの極意
宰相は、すでにこの若き文官皇子を舐めきっている。もちろん多少は恨まれているであろうが、この動乱をもたらした首魁の首を持ち込み、今も有力貴族の過半を影響下に置いている自分を罰することなど、この柔弱で臆病な若者にはできないであろうと。
「ついてはあなたに褒美をとらせなければいけませんね。そうですね、サマルト領を褒美として下賜するよう計らいましょう」
「な……なんですと? 褒賞までくださると?」
思いがけぬハディードの言葉に、老獪な宰相の声も、思わず裏返る。
「信賞必罰は国の基です。あなたは反逆者アスランを討ち、流血を最小限に抑えて内乱を終わらせる功を挙げたのですから、その働きを賞さないわけにはいかないでしょうね」
「なんと……あ、ありがたき幸せ! 臣は、この生命終わるときまで、ハディード殿下に絶対の忠誠を誓い、あなた様のために働きますぞ!」
この時宰相が覚えた感動に、嘘はない。彼は、大貴族を糾合できる力を持ち、表立っては反逆者を討った功のある自分を、ハディードが赦すだろうと予測していた。だが、その功を賞し、領地まで加増されるとは思っていなかったのだ。
与しやすい若造と思っていたこの第三皇子が、実は想像つかないほど大きな、清濁併せ呑む度量を持っているのではないか。もしや齢五十を超えて、ようやく自分が求めていた、仕え甲斐のある主君に出会えたのではないか……我知らず目尻に、涙がにじみ出す。
「はい、期待していますよ。ついてはもう一つ、あなたに向けた下知があります」
「はっ! 喜んで!」
どこかの居酒屋のような掛け声で応じる宰相は、わずかの間にハディードを無二の主君として心酔するに至っていた。この主君が命ずることならいかなる難題でも、我が力を振るって解決してみせようと。
「それでは、あなたに命じます。死んで下さい」
「はあっ??」
まるで朝の挨拶でもあるかのようにさらりと皇子の口から出たその台詞に、宰相は思わず間抜けな声をあげてしまう。
「ムザッハル皇子殺害の謀議に加わりし罪。そして我が父でもある皇帝アレニウスを幽閉し、譲位を迫りし大逆の罪により、あなたを死罪に処します。一族はすべて誅殺し、その領地や財産は、先ほど与えたサマルト領も含め、すべて没収となります」
「そんなバカな!」
「先ほど私は言ったはずです、信賞必罰が国の基であると。皇宮を戦場にしなかったことに関しては先ほどきちんと賞しました。だがそれ以外、あなたには罪しかありません。それも一つ一つが、極刑に値する重罪、酌むべき事情は、まったくありませんね。即刻、斬首に処しましょう」
「儂がやったという証拠でもあるのか! みなアスランめが命じたことだ!」
「なるほど、それはもっともな反論ですね。では、あなたが自ら告白した罪で裁くとしましょう。己の身を守るだけのために、主たるアスラン皇子を裏切り殺害した罪……さすがにこれは、言い訳ができないのではありませんか?」
そう、先ほどまで、得々とアスラン殺しの功を自慢していたのは、宰相自身である。その顔色が、罪から逃れられぬことを悟り、青白く変わる。
「ま、まて、儂を殺したら、誰がこの国を動かせると思って……」
その言葉に、ハディードは一瞬ぽかんとした表情になって……次の瞬間には盛大に腹を抱えて笑い出した。
「はははっ、ちょっと驚きです。あなたは、本気で自分が国の役に立っていると思っていたのですか……いやあ、ちょっとこれはおかしくて涙が出そうです」
「どういうことだ!」
「民の暮らしを守るための施策も立てず、国庫を豊かにすることもせず、ひたすら己の利益ばかりむさぼってきた、それがあなたではないですか。私たち文官官僚は、無能というより有害なあなたを、テーベの豊かな麦倉に住み着いたたちの悪いネズミとしか、思っていませんでしたよ」
「よ、よくも貴様!」
皇子の度量に感動してしまった己の不覚が、怒りを倍増させる。逆上した宰相は隠し持っていた短剣を抜き放ち、ハディードに向かって突進した。その刃が今にも届こうとするその刹那、手首に鋭い衝撃を感じて、宰相は短剣を取り落とす。
彼の手首には深々と、投擲用の細長い刃物が突き刺さっていた。それを投じたらしい若い娘が、少しだけ頬を染めつつも、冷たい視線を向けてくる。
「私がいる限り、ハディード様には、指一本触れさせません」
そのデレた言葉に満足げな笑みを浮かべつつ、守られた皇子は口を開いた。
「こやつを連れてゆけ。その辺にいる腐りきった貴族どもと一緒にな」
大貴族たちはわあわあと騒ぎつつも、為すところなく兵士たちに捕まり、後ろ手に縛られてどこやらへ連行されてゆくのだった。
「ひどいですよ、ファリド殿。こんな茶番劇までやらされるなんて……」
「済まないな。だがお陰で奴の絶望は、倍増しただろうさ。古き書によれば、いったん持ち上げてから一気に落とすのが、『ざまあ』の極意であるのだそうだ」
子供のような表情に戻って抗議するハディードに、彼にはよく理解できない、いにしえの俗語を返し、笑うファリドであった。




