激発
翌日の帝都上空には、ハディードの功績を称えるメッセージが派手派手しく浮かんだ。
いわく、第三皇子ハディードは爪を隠した獅子である。兄を敬して身を慎んでいたが、アスランの暴挙に憤って立ち上がり、その能力を存分に発揮しているのだ。皇帝と皇兄、そして皇女を囚われの身から救い、砂漠の民と南方軍団をその支配下においた。そしていまや東方から軍団を率いて、すぐそこに布陣している。帝都は数日うちに、彼の手で解放されるであろう。
「なんだ、あれは! いつまであのように根拠のない宣伝を許すつもりだ!」
見上げるアスランが、ゆでダコよろしく頭に血を昇らせている。
「落ち着いて下さい、殿下。現在あの仕掛けがいかなるものか、探っている最中です」
「惰弱者のハディードに、あのような功績が挙げられるはずはない!」
「お言葉ですが、多少の誇張はあるとしても、そこに描かれたことをハディード殿下が成し遂げられたことは、おおむね事実にて……」
そう、一連の逆転劇は、外から見ればすべてハディードが指揮して成し遂げたものだ。もちろんそこには、「女神」と「軍師」があり得ないレベルの助力をどばどばと注ぎ込んでいるのだが……彼らとて、ハディードがそこにいなければ、その力を貸してはいないはずである。フラットに見れば、彼らの挙げた華々しい奇蹟とその成果は、ハディードの功に帰すべきものとなるだろう。
だが、アスランにとっては、事実などどうでもいいようであった。何かにつけ見下してきた弟が、誰もが認める成果を挙げ、いまや自分の地位を脅かしている、そのことが気に入らない、ただそれだけなのである。
「ええい、不愉快だ! ハディードの軍を早く撃滅せよ!」
「殿下、短気はいけません。簡単に負けることはないとしても、あの大軍と正面からぶつかれば、わが方の被害も大きなものになりましょう。そして今は、帝都の市民がわれわれの盾になって、ハディード殿下としても攻め難い状況になっているのです。ここはご辛抱を」
「ふん、ならばその後はどうするのだ? 時間が経てば、我々が有利になるのか?」
珍しく鋭いアスランの指摘に、ぐっと詰まる宰相である。彼とて今の状況が軍事的に極めて不利なのは理解している。
「まあいい、何とかしておけよ?」
この期に及んでも面倒事は部下に丸投げして、側近や寵姫との享楽に向かう、アスランであった。
「困ったお方だ……」
「それで、小官たちは、如何にすれば??」
いまや彼らを護る唯一の盾となった中央軍団の司令官が、心細げな視線を、宰相に向ける。彼にしてみれば、たまたま帝都を管掌する軍団の長であったがために、いまや反乱軍の親玉扱いされているのである。彼を巻き込んだアスランと宰相に、落とし前をつけてもらいたい心境であった。
「知るか! 軍人風情は、命令に従っておればいいのだ!」
乱暴に吐き捨てる宰相に、司令官は怒りを募らせるが……正直なところ、宰相自身もどうするべきか、まったくわからないのである。空に浮かんだ告発文が事実であるだけに反論もできず、戦力は敵に劣る。まさに八方塞がりである。
「もはや、殿下に責任を取っていただくしかないか……」
つぶやきは、重苦しい空気に溶けていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日は、一転して曇天。灰色の雲が上空を覆っている。
帝都の民は、今日も空を見上げている。それは何十日ぶりの雨を待っているのではなく……空に浮かぶ掲示板を眺めているのである。
今日の文章は、アスランの君主としての資質を、その弟たちと比べ、鋭く批判するものであった。
亡き皇子ムザッハルは自らが敗北を喫した「軍師」「女神」を虜としても不当に扱うことなく、むしろ友として遇した。二人はその心意気に感じてカルタゴの大軍を重ねて破り、彼の武名を輝かしめた。その弟ハディードもその二人と兄姉のように親しく交わった。アスランの反乱で危機に陥った時二人が彼を助けただけでなく、本来敵国の皇帝一家まで救う好意を得たのは、ひとえに皇子の器量であると。
ひるがえって、アスランはどうか。「女神」「軍師」に対しても、ただ服従を要求するだけ、従わぬと見るやその家族を人質に取ろうとする、まさに短慮かつ卑怯な男である。
ムザッハルは兵と寝食を共にし、戦となれば自ら陣頭に立ち勇猛果敢に戦い敵を討つ、類まれな武人であった。ハディードは政に関することなら知らざるなく、多くの官吏に慕われ、自らも寝食を忘れ帝国の民草に尽くす、有能な官僚である。
それに対して、アスランはどうだ。彼は自ら何かをなすことも、有能な者を従えることもない。ただ己におもねるものを重用するだけの、裸の王様であると。
「そういやそうだよなあ。アスラン殿下が何か成し遂げたって評判は、とんと聞かないが、弟君たちの功績は、すげえからなあ」
「それで弟たちをねたむってわけかよ。ずいぶんちっちゃい男だよなあ……大事なモノもちっちゃいんじゃねえのかな、へへへ」
我慢というワードを、母たる側妃のお腹に置いて生まれてきたアスランが、あちこちで公然と語られる自分への悪口に耐えられるわけもない。彼はいとも簡単に撃発した。
「ええい、軍団司令官を呼べ! ハディードの軍を撃滅して来るのだ!」




