掲示板?
「おい、なんか空に、茶色っぽい文字みたいなものが見えないか?」
「空に文字? 雲じゃなくてか?」
「違うよ、雲にしては色がおかしいだろ、それにあれ読んでみろ、明らかに文字だぜ!」
男たちが指さす空は、快晴の青空。だがそこには、確かに白茶けた蛇のようなものがいくつも浮いていて……それが絡み合い、テーベ文字で文章を形作っているのだ。
その文字にいわく。
現在帝都を不当に占拠しているアスランは、兄ムザッハルを殺し、父なる皇帝を幽閉した、反逆者である。ムザッハルの赫々たる戦功を妬み、後継者の座を脅かされたと邪推し、兄だけではなく父にまで牙をむいたのだと。
それを見た市民が、めいめい勝手に騒ぎ始める。
「そういえば、最近陛下が公式行事にお出になっていないよなあ。ご病気だって発表されていたが……アスラン様に囚われていたということなのか?」
「そういえば、ムザッハル殿下の亡くなられかたもおかしかった。華々しい活躍をされた直後に……演習中の事故という発表だが、一般兵士ならともかく皇子殿下に、それはないよなあ。暗殺だったということなら、つじつまが合うな」
「そういやあのアスランとかいう第一皇子は、感じ悪かったよな、なんか国民を見下してるようでさあ」
「一体どうなってるんだ! 地区長のところに押しかけて真実を教えてもらおうぜ!」
あれよあれよという間に市民が地区を治める代官の屋敷に押し寄せ、事実を明らかにせよと迫る。だが地区長とてそんな雲の上の暗闘を知っているわけもない。あちこちの地区から問い合わせが相次ぎ、皇宮も大混乱だ。
そして、辛辣にあげつらわれているその本人も、空を見上げていた。
「何だあれは! すぐにやめさせろ!」
「そう仰せになっても、いったいあのような不忠の言辞を誰が、どこから、どのような手段で空に描いているのか、私どもにもさっぱりわかりませんで、いったいどうすればよいのか……」
「ええい、役立たずどもめ!」
そもそも告発されるような悪いことをしたアスラン自身が一番悪いのだが、この皇子に自責という考え方はないようである。幼き頃より皇太子候補筆頭としてちやほやされ、叱られることなどなかった彼には「良いことは俺のおかげ、悪いことは誰かのせい」という主義が、徹底的に染み付いているのである。
「いいか、すぐやめさせるんだぞ!」
側近たちに怒鳴りつけ、後宮へ去っていくアスランに、このおかしな皇子を利用して権力を握ろうとしていた宰相も、さすがに表情をゆがめた。
「この方に我が人生を賭けたのは、間違いであったか……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、こちらは帝都の外、東方北方連合軍の陣でも、空に浮かぶ奇抜な掲示板に、将兵が眼を奪われていた。
「うおっ! すげえな!」
「帝都は大騒ぎだろうな!」
「事実だから、否定もできないだろうし……これは効くぞ」
「さすがは我らが女神イシス様、奇蹟も派手だな!」
わいわい盛り上がる兵たちを眺める首脳陣も、あまりにスケールの大きなデモンストレーションに、度肝を抜かれている。
「一体あれは、どういう仕組みなのだ?」「女神の奇蹟というのは、実に不思議なものだ……」
司令官たちはしきりに不思議がっているが、さんざんフェレの「奇蹟」を見せつけられている総帥ハディードは今さら驚きもしない。
そう、たった今、空に浮かんでいる白茶色の文字は、砂である。
フェレは無数の砂粒を集めて「砂の蛇」を作り、自由自在に空に舞わせることができる。ならば、その「蛇」を組み合わせて文字をかたどり、それを空中に浮かせることで、超ド級の巨大掲示板を青空に設置することはできないかというのが、ファリドの発想だったのである。問題は、操る「蛇」の数が、今までとはケタ違いに多くなることなのだが……フェレはあっさりと言い放った。
「……問題ない。動かし続けないといけない『砂の蛇』と違って、空中に止めておくだけなら、とても楽」
それもそうかと、納得する一同である。何万何億という数の砂粒に統一した動きをさせるには、超人的な集中力が必要だろう。それに比べれば、宙に留め置くという方が、言われてみれば意識しやすい技のように感じられてくる……どっちにしろ、フェレにしかできない芸当なのだが。
そのフェレは、傍らに出したガーデンテーブルで、リリが淹れた甘いチャイを、マルヤムと一緒にのんびりとすすっている。なぜか隣にメフランギスも座って、ニマニマと微笑んでいる。
「ねえフェレ母さん、あれ浮かせておくの、疲れない?」
「……疲れないよ。今日は陽が沈むまで、あのままにしておくつもり」
「すごいね! やっぱり母さんは世界一の魔術師だよ!」
マルヤムは無邪気に喜んでいるが、周りの大人たちはもはや、驚くというよりあきれるレベルである。この空中看板、ファリドでさえほんの十分くらい持ちこたえれられればいいと思っていた代物なのだ。それを丸半日維持し続けても平気だとあっさり口にするフェレの力が、女神になぞらえられるのは無理もない。
「これを続ければ明日、遅くても明後日には敵が動くでしょう。その時には、将軍閣下たちの出番ですよ?」
「お、おう……」「任せておけ!」
まるで何事もないように超絶魔法を維持し続ける華奢な女を横目に、男たちは決意を交わし合った。




