帝都再び
眼の前には、帝都の茶色い街並みが広がっている。テーベの国是である武断の姿勢を示すかのように、その周囲には城壁すらなく、日干し煉瓦造りや石造りの建物が並んでいる光景が、何もさえぎるものなく見える。
「よくやった、ハディード。東方軍団だけでなく北方軍団をも糾合し、叛乱勢力の精鋭たる西方軍団ラクダ騎兵部隊を撃滅したその功績は、賞賛に値する」
皇帝アレニウスが、その息子を激賞する。皇帝と皇兄サフラーは南方から、地方貴族たちの勢力を併せつつ北上し、ついに帝都を包囲する形でハディード率いる連合軍と合流したのである。
「ちちう……いえ、陛下にご評価いただいたこと、望外の喜びです」
「うむ。そなたの内治に関する才能はかねてより知っておったが、軍事でこのように鮮やかな手腕を示すとは、儂も予想していなかった、見事だ」
「ありがとうございます。しかしこれまで挙げた成果は、東方および北方軍団の鍛え上げられた将兵によるもの。そして何よりも『軍師』の策と『女神』の奇蹟がなければ、とても成し遂げられるものではありませんでした。私はただ、彼らに頼り、その力を借りただけ」
ここまで大きな功を成すに至っても、謙虚な姿勢を崩さないハディードである。
彼自身は自分に軍事的なセンスがあるなどとは毛ほども信じておらず……惜しげもなく秘蔵の策と魔術を供してくれたファリドやフェレ、そしてそれを生命賭けで実行してくれた軍人たちを、素直に尊敬しているのだ。
「ふむ。そういう姿勢は相変わらずだな、自らに武力がなくとも、そうやって力ある者たちを動かせるそなたの力は、貴重なものだと儂は思うが。大国の君主としてはちと物足りぬところもあるが……そんな皇帝が一人くらい、いてもよかろう」
皇帝の言葉は、明らかに眼の前にいる三男を自分の後継者に擬しているものだ。指名されたハディードもすでに覚悟ができているのであろう。下げていた頭をきっと上げて、父たる皇帝にまっすぐ視線を向ける。
「はい。私が帝国を率いるとしたら、そのようなやり方しかできません。信頼できる仲間をつくり、手を携えて明日を作っていきたいと望んでいます」
いかにも若者らしい青臭い理想像だ。だがそれを聞いても、皇帝は鼻で笑ったりせず大きくうなずいた。
「期待しているぞ。だが貴族たちの中には、文官一筋で、常に身を律して目立たぬよう意識して生きてきたそなたでは、武断の国テーベを率いるにふさわしくないという者が多い」
「そうでしょうね。歴代の皇帝は『強き君主』を標榜してきたわけですから、私のような者が気に入らない貴族は多いでしょう。なれば陛下の御諚は『彼らを納得させられる武功を挙げて来い』ということですね?」
「そうだ。すでに西方軍団を撃破した功はあるが、もう一歩目立つ仕事をしてもらいたいところだな、それは当然……」
「帝都を奪還すること、ですね?」
当たり前のことであるかのようにさらりと言い放つ息子に少なからぬ驚きを抱きつつ、皇帝は無言で深くうなずいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ファリド殿の予想通りでした。陛下は私に、帝都を奪還せよと」
戻ってきたハディードが開口一番告げた言葉に、ファリドがうなずく。
第一皇子が反逆し、第二皇子が殺されたこの状況下、皇帝が第三皇子を後継指名すること自体は自然だ。だが武官としての経歴を持たないハディードが、高位貴族から支持を集めることはなかなか難しい。
高級軍人となっているサフラー皇兄の息子を推す者もいようし、皇女ナーディアに軍人の婿を迎えるべきと騒ぐ者もおろう。もちろん皇帝がごり押しすれば形式上逆らう者はいないであろうが、しこりは残るだろう。息子の治世を安泰なものにするためには、武の道においてもハディードが優れた男であることを示す必要があると、皇帝が考えるのは当然だ。
「陛下の軍は手を出さない。こっちの連合軍だけで攻略しろ、ということか?」
「ええ。陛下は南方西方から帝都を囲み、援軍や物資流入を阻止する役目を果たすと。後は私の才覚次第だとおおせられて……」
ハディードの表情が、曇る。もちろん連戦連勝でほぼ兵を損ねずここまで来た連合軍だ、力攻めをすれば、おそらく勝利は転がり込んでくるだろう。ただしそれは、帝都の市民を巻き込んだ、凄絶な市街戦の末ということになる。もちろんそんな勝ち方でも皇帝は彼を評価するであろうが、彼我の兵だけでなく、無辜の民の生命が数え切れぬほど失われる……真っ先にそこに思考が行ってしまうところが、彼の美点でありかつ欠点でもあるのだ。
もちろん、そんなハディードの心理も、ファリドにはお見通しである。彼には、この優しすぎる皇子の意向を汲んで、市民の生命を脅かさない勝利を提供することが求められているのである。極めつけの難題に、あきらめのため息を深くついて……ふと、その眼を少しだけ優しげに細めた。
その視線の先には、不思議な構造色をまとった黒髪と、ラピスラズリの瞳がある。少し首をかしげて無心な視線を向けてくる愛しい女の姿に頬を緩め、彼は言葉を発した。
「よし、作戦を話し合おう。将軍たちを呼んでくれ」




