ラクダ騎兵をつぶせ
遮るものが何もない乾いた平原で、横隊に展開するラクダ騎兵の大軍は、立っているだけで威圧感を与えてくる。おそらくその数は、六千騎以上。ラージフが感心したようにつぶやく。
「西方軍団は、騎兵全軍を動員してきたようでござるな」
西部に残してきたのは歩兵のみ。国境警備は本当に大丈夫なのかと言いたいところだが、西の脅威であるカルタゴとその属国を、他ならぬフェレとファリドが徹底的に叩き潰してしまっているのだ。こんなことなら少しくらい敵を残しておくのだったかと、ひとりごちるファリドである。
対するこちらは、四千五百騎。歩兵が千ばかりいるものの、機動力が物をいうこんな戦場では、むしろ足手まといの存在だ。正面からぶつかれば、多少練度に差があろうが、数の力で押し切られてしまうだろう。
「さて、『女神』様の出番でござるな」
ラージフの視線の先には、歩兵たちが急造した櫓が一つ。その上に立つのは、もちろんフェレ……ファリドに買ってもらったお気に入りの蒼いワンピースの裾を風になびかせ、まっすぐ敵軍を見つめている。
「……汝らの戦いに正義はない。悔い改め、善に戻ろうとする者は今すぐラクダを降りよ。さすれば許されよう」
軍お抱えの「拡声」魔術師に力を借りて発するフェレの言葉は、全軍に響き渡った。
「何を言ってやがる! 悔い改めるのはそっちだ、小娘の分際で!」
「お、おい、だけど……あの若い女、見覚えないか?」
「バカ野郎、世界の半分は女だぜ、全然覚えなんか……え? あれは?」
「やっぱりそうだ! 女神様、女神イシス様だ!」
一人の兵士が気付いて叫ぶと、次々に声が上がる。
「そうだ、あの方は、カルタゴの戦象部隊をお一人で壊滅させて下さった……あの絶対的な力は、まさに神罰と言うしかなかった!」
「俺はイシス様が海をそっくり凍らせるさまを見たぞ! あれは神の奇蹟だった!」
「カルタゴの砦を指一本で崩したのも女神様だ!」
タイミングを見計らったかのように、フェレのまわりで砂塵が舞い上がり……それはやがてひとつの細長い塊に形を変えて、彼女の頭上で舞い踊り始める。得意の「砂の蛇」である。
「あの方に逆らったら、俺たちにも罰が下されるのか??」
「ひええっ、かなうわけがねえ!」
「降参だぁ!」
迷信深い一部の兵が手綱を放り出して逃げ出すと、その弱気はあれよあれよという間に伝染して……ものの五分もたたぬうちに、三分の一ほどのラクダが、その乗り手を失った。
「いやはや、見事と言うしかないでござる」
「まあ、相手が西方軍団で助かりました。彼らには、フェレの理不尽な力を、これでもかというくらい、見せつけましたからね」
面白いほど思い通りの展開に感心するラージフに、平然と応じるファリド。彼にとってこれは策略ともいえない、単なる作業である。
「ですが、そろそろ限界です。あとの連中は、かなりの筋金入りみたいですからね」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ええい! 何を動揺しているのだ! ここで逃亡しても、戦後縛り首が待っているだけだ! 哀れに流浪する皇子ハディードの首を挙げれば、恩賞は欲しいままだぞ! 戦うのだ!」
「た、確かにそうだな!」「だが、女神と呼ばれる魔術師が……」
「魔術師なんてものは、接近戦に持ち込んでしまえば弱い! 一気に蹂躙せよ!」
「そうだ、やるしかねえ!」「突撃だ!」「うおおおっ!」
覚悟を決めたらしい騎兵が態勢を立て直し、一気に突っ込んだ。まもなくトップスピードに達した四千超のラクダは、まるで砂漠に突然顕れた津波のようにみえた。
「軍師殿、このままの勢いで押し寄せられたら……」
「大丈夫です。仕掛けはご覧になったでしょう?」
「だが、あんなあからさまな罠に引っかかるとは……」
「まあ、ご覧になっていて下さい。閣下らの出番は、その後ですよ」
落ち着き払ったファリドの涼しい顔に、言葉を飲み込むしかない司令官二人。のどの渇きを抑えきれずごくりとつばを飲み込む司令官の視野に映るのは、猛然と砂煙をあげて向かってくるラクダの大軍……そしてその先頭を走る騎兵が、不意につんのめったかと思うと、やたらと派手なアクションで転倒するのが見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うわあっ!」
「どうしたんだ……おおっ!」
「ぐわああっ!」
西方軍団のラクダ騎兵が、一瞬で阿鼻叫喚の混乱に陥っている。それは、先行していたラクダたちが、あちこちで急に足を取られて転倒したり、大きくよろめいて騎手を振り落としたりしているからだ。
密集して突撃してきているのだ、先頭がコケて倒れれば、後続のラクダも、左右の騎兵も巻き込まれる。前方の様子を見て何か危険があると気付いた兵も、巨大な体躯で爆進するラクダを急停止させることなどできない。何とか止まったとしても、後方から突っ走ってくるラクダにぶつかられ、さらに混乱を広げることになるのだ。
「どうですか、言った通りになったでしょう」
「いや、しかしどうして……」
「ためらっている暇はありませんよ。敵が混乱しているこの隙に叩くべきです、それは将軍様がたの仕事でしょう?」
驚きに眼を丸くしている丸くしている司令官たちに、ファリドはしれっと言い放つ。もちろん受ける側も百戦錬磨である、すぐに我に返った。
「うむ、貴官の言う通りだ、せっかく作ってくれた機会、存分に活かしてみせよう。東方軍団、全軍突撃!」
「北方軍団も準備はいいな? 我々は側方から崩すぞ、出撃!」
勇んで飛び出していく彼らを見守るファリドの表情は、勝利の確信に満ちていた。




