西方軍団と
万全の奇襲挟撃態勢を整えたファリドたちであったが……結局のところ戦闘は発生しなかった。ハディードたっての希望で降伏帰順を呼びかければ、完全に戦意を失った一般兵たちは上官の命令など聞かず武器を捨て、敵に向かって両手を挙げたからだ。将校だけで戦ができるわけもなし……彼らもうなだれつつ、降伏するしかなかったのだ。
「なにやら拍子抜けだな」
「いや、同胞相食むことがなかったのは、僥倖というしかあるまい。これもあの『女神』と『神官』のおかげだ」
「うむ、まさにそうだ」
北と東の軍団司令官が、ある種の驚嘆が混じった会話を交わす。
その戦果は、素晴らしいものだ。攻撃側の損失はゼロ。中央軍団側ではガチガチのアスラン派将校が十人ばかり自害したものの、およそ千の兵士は、ほぼ無傷で彼らの指揮下に組み入れられた。そして帝都の最終防衛戦である防壁は、破壊することなく彼らの手に落ちた。
「彼女らのおかげで我々の戦力は、五千五百ほどに膨らんだ。南方から来たる陛下の軍勢と連携すれば、帝都を奪還するはいと易いことだろう」
「うむ、だがこういう時こそ、気を引き締めねば。陛下から預かりし兵たちを、無駄に損ねることは避けねば」
「懸念は……西方軍団の動きだな」
そう。フェレが操る超絶魔術の力をたっぷりと借りたとはいえ、強力なカルタゴ軍を二度三度と連破した西方軍団は、東方軍団に並ぶ精鋭軍である。モスル戦で多数の将兵を失った東方軍団と異なり、ほぼ無傷で駆け抜けてきた彼らは、自他ともに認める最強軍団なのだ。
「どれ、ならば『神官』に、神のお告げを聞きに行くとするか」
「ははっ、お告げか、そりゃあいい。」
二人の将軍が、豪快に笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「西方軍団は、近々こちらにぶつかってくるでしょうね」
司令官たちに向かって「神官」ファリドは、こともなげに言った。
「それは何故だ?」
「帝都は守りに向きません。どっちみち野戦でカタをつけるしかないのです。そうなると私たちが南方軍団と連携する前に叩こうとするでしょう」
「それはわかるが……なぜこっちに来るのだ? 戦力だけなら、我々は南方軍よりはるかに強いぞ? 弱い方を先に叩くのが、各個撃破の定石ではないか?」
「おっしゃるとおりですね。ですが、いくら面の皮が厚い彼らといえど、陛下の軍と直接相対するのはためらうでしょう。陣頭に陛下が現れて名乗りを上げようものなら、矛をさかしまにする兵が出ることすら考えられるのです。それと比べれば私たちの担ぐのはハディード殿下、事情を知らぬ兵士たちにとってはアスランより軽い神輿でしょうから」
ファリドが淡々と口にする推論に、司令官も大きくうなずく。この青年が立てる策は一見奇抜だが、その基本は誰もが納得できる事実と常識で構築されている。但し、最終的にそれを実現する「手段」が、普通ではないだけなのだ。
「ならばその戦こそ、我らが力の見せどころというわけだな。だが西方軍団は精強だ、まともにぶつかれば大きな損失が出よう……兵の生命が無益に失われぬよう、女神イシスはお力を貸して下さるのだろうか?」
そう言いつついたずらっぽい笑みを浮かべる司令官である。もちろん人生経験ならファリドの二倍ほどもあろうかというこの将軍は「神官」と「女神」の精神的関係性を理解している。兵たちが仰ぎ見る「女神」が、眼の前にいるこの男に心酔し依存し、彼の命ずることならどんな困難なことであっても、迷いなく実行するであろうことを。
「もちろんです。罪のない兵士たちを下らない内戦で失うのは、残念極まりないですからね」
若き「神官」が頬を緩めると、二人の司令官もニヤリと口角を上げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
激突の時は、思ったより早く訪れた。放った斥候が、一日進めばぶつかる距離に、五千を超えるラクダ騎兵の群れを発見して戻ってきたのだ。掲げられた軍旗は紅く染め抜かれている……疑いなく、西方軍団である。本来の軍師ラージフが、ため息をつく。
「こんなに早く西方軍団が駆けつけてくるとは予想外でござった。足の遅い兵を残して、機動力の高い兵種だけで急行してきたのでござろう。帝都を押さえ、補給の不安がないからできることだが……参ったでござる」
東方北方連合軍の戦力は、ラクダ騎兵四千五百、土壁で降伏した歩兵が千ほど。機動力まで考えたら、野戦でのぶつかり合いは不利と言わざるを得ないだろう。
「やむを得んだろう、こうなればどちらの軍がより鍛えられているか、競い合うしかない。フサイン殿、準備はよろしいか!」
「うむ、仕方ない。心は痛むが、勝たねば我々の部下が砂漠の土となってしまうのだからな」
二人の司令官が覚悟を決めるが、その表情はさえない。いくら武断の国テーベの軍人といえど、下らない内輪揉めで配下の兵を失うことには、憂鬱にならざるを得ないのだろう。
だがファリドは、ことさら明るく言い放った。
「まあ、何とかなるでしょう。『女神』の力を使えば敵を殺さずに……とまでは行きませんが、お味方の被害を最小限に、必ず勝てるように計らいます。もちろん……圧倒的にね」
これまで謙虚な姿勢を貫いてきた青年が初めて見せた大言壮語に、司令官たちは眼をみはった。
「そういうわけでまずは、兵たちには急いで、地面を掘っていただきましょうか?」




