砂嵐の中を
気象係の予測は正しかった。その夜から吹き始めた風は砂塵を巻き上げ、一晩中荒れ狂った。朝になっても風はやまず、陽は昇れど十メートル先の人影も見えない、そんな悪条件の中、司令官たちはそれぞれ、己の軍団に命令を下した。
「前進せよ!」
「出撃だ、『軍師』と『女神』殿の指示に従うのだ」
各々のラクダは、前をゆくラクダと後ろを行くそれと、互いにロープでつなぎ合ってゆっくりと進む。これによって、バラバラになって迷ったり、見えない同士ぶつかりあったりする事故を防ぐのである。
そして、東方軍団の先頭を視界の利かない中案内するのはファリドとフェレ、北方軍団を導くのは、オーラン……ではなく、彼に抱えこまれてラクダに騎乗するマルヤムである。オーランはただ彼女の言いなりに、その指さす方向へ進んでいるだけなのだ。
「お嬢は、こんな砂嵐で、地形が見えるのですか?」
「見えるよ? だって、おじいちゃんから教わったもん」
「いや、爺さんは暗闇の夜目は利いても、霧や砂のような『白い闇』は見えないと……」
「オーランだって言ってたでしょ『持てるすべての能力をさらす奴は、生き延びられない』って。それと同じよ」
あの爺、騙しやがった。胸の中でアフシンに毒づいたオーランだが、マルヤムが言ったことはもっともだ。狙い狙われることが宿命の闇社会に生きる者にとって、自分の能力をすべてさらさず「とっておき」を残しておくのは、半ば常識といってよい。すっかり家族のような付き合いをして油断していたが、アフシンはその能力を、愛する孫にだけ教えていたのだ。
「だからオーランだって一つや二つ、スキルを隠しておかないといけないんだよ?」
「お嬢の言う通りですね」
言われずとも隠している力は、まだ残している。だがそれを、まだ子供であるマルヤムに語ることもない。オーランは少女に一つ微笑むと、ラクダの手綱を引いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「む、この登り坂は、砂丘か?」
先鋒隊の指揮官が思わず声を上げる。視界はほとんどなくとも、熟練の騎手である彼らは、わずかの傾斜も鋭敏に感じ取るのだ。
「確かにある意味砂丘ですが……これは人為的に造ったものです」
そう。フェレの「粒なら何でも、どれほどでも」という能力を使えば、土壁の前後に砂を盛り上げることはたやすい。そうやって二十メートルばかりの幅で砂を盛ってやれば、数珠つなぎになったラクダたちが壁を乗り越えることも、容易なこととなるのだ。フェレは城門の左右、五百メートルばかり離れたところにこんなスロープを二箇所つくり、ひとつはマルヤム、もうひとつは自分がナビゲートして、軍勢をいざなったというわけだ。
「これは素晴らしい。実に素晴らしいが……どうやってこの砂嵐の中で、正確な位置を……」
指揮官が独りごちているが、あえてそれをファリドに聞いてくることはしない。明らかにこれは秘匿すべきレベルの能力だ。それをあえて自分たちのために使ってくれたことが、容易に理解できたからである。
そして、フェレが向かおうとする先「だけ」砂煙が嘘のように収まり、迷わず進めるのも、ほんのこの間アスランの支配地域を突破したときと同じである。息をするように超人的な魔術を使うフェレの姿が、東方軍団の兵士たちにとって「女神イシス」に見えてくるのも、無理からぬことだ。
「さあ、いまいましい壁は乗り越えたぞ。あとは砂嵐が去るのを、待つだけだ……その後は貴殿たちに頼むぞ。ムザッハルの無念を、晴らしてくれ」
「か、必ず!」
指揮官は感動に身を震わせながら「軍師」、いや、「女神イシスの神官」に向かって、堅く誓った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
昼前になってようやく砂嵐が去り、中央軍団の兵士たちはのそのそと兵営から出た。
どうせ東方から来た間抜けどもも、あんな猛烈な砂塵の中動けるはずもない。兵力はこちらの方が劣るかもしれないが、この壁がある限りその大軍を活かすことはできないのだ。壁を壊しに来る工兵さえ確実に射殺していれば、そうそう抜かれることはないだろう。
そんなのんきなことを考えていた中央軍団の将兵たちは、眼の前に広がる信じられない光景に、固まった。
そこには、ラクダ騎兵の大群。恐らく二千騎を下るまい。砂嵐を抜けてきたとは思えない、整然、かつ堂々とした布陣である。そしてあろうことか、居並ぶ敵兵は、あれほど頼みにしてきた土壁の、内側にいるのだ。
「あんな砂嵐の中土壁を破壊して、ラクダの大群を送り込んできたというのか?」
「そんなバカな!」
「現実に、やつらが目の前にいるじゃないか!!」
兵たちが、悲痛な叫びを次々に上げる。
「ええい、しっかりするのだ、簡単に負けはせぬ! 急ぎ戦闘準備!」
将校の毅然とした命令に、パニックに陥りかけた兵は落ち着きを取り戻し、なんとか兵装を整えようとしたが……彼らの背後から、さらに悲鳴が上がる。
「後方にも敵! 数……千を超えています!」
先程までは気丈に部下を叱咤していた貴族将校も、大きく息を吐いて、うめきを漏らす。
「な、なぜ、こんなことに……」




