防壁を攻略せよ
眼の前には、乾ききった半砂漠地帯に簡素な防壁が、延々と横長に行く手をふさいでいる。これがイスマイリア地峡を守る、テーベにとっては最終防衛線なのだ。帝都にすら城壁を造らないという、攻めダルマ的なメンタルを持ったテーベ人でも、さすがにこの要衝だけには、きちんと防衛のための施設をおいている。
しかしそれは防壁といえど、高さ一メートル半ほどしかない土壁で、一キロ置きくらいに城門と望楼が設けられているものでしかない。歩兵の進出を防ぐためのものではなく、ラクダや馬といった機動力を持った兵を、飛び越えさせないためだけの壁なのである。そこに拠って領土を守るという普通の発想で設けたものではなく、逆撃態勢を築くまでの準備時間を稼ぐ、足止めの意味しか持っていないのだ。
「どうでござるかな? 『軍師』殿ならどうやって、あの壁を突破されるかな?」
ファリドが産まれる前から「軍師」であるラージフが、興味深そうな視線をファリドに向ける。彼にとってファリドとの共闘は、たまらない知的遊戯であるようだ。
「まあ、まともな防衛力はほとんど持たないただの土壁ですからね。まともな軍であったら、城門から一定距離離れたところに工兵を集中的に送り込んで一気に壁を崩し、そこからラクダ騎兵を一斉になだれ込ませるというのが定番になるでしょう」
「軍が『まとも』だったら、という但し書き付きなのでござるな」
「ええ。まともな軍にはそんな方法しかないと思いますが、最初の突破に多少の犠牲、それも貴重な工兵に損失が出ます。しかし幸いなことに、たった今の我が方は『まともな軍』ではないですから」
「ほほう、まともではござらんと」
この賢い若者と思考のキャッチボールを楽しむ、ラージフである。
「ええ、どんな軍隊でもフェレが加わったとたん、『まとも』な戦術を使うのがばからしくなりますので」
ファリドの言葉に、ラージフが笑い声を漏らしつつ、あごの白髯を撫でる。
「確かに、今までの事例を紐解けば、さようでござるな。ではその『まともではない』戦術をお聞かせ願いたいのでござる」
「それは、実に単純で……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
砂漠地帯から迫る東・北連合軍と、防壁に拠って待ち構える中央軍団は、結局一日睨み合って動かなかった。
「何故、この勢いのまま一気に攻めないのか、『軍師』殿! あの程度の防壁、我々の力ならば一日で揉みつぶして御覧に入れるというのに!」
「確かに、こちらの戦力をもってすればあれを抜くのはたやすいでしょう。だが、力攻めでは少なからぬ犠牲が出ます。帝都での決戦に備えて、できる限り損失を少なくすべきではありませんか?」
フサインという名の北部司令官が、ファリドに迫る。
彼はファリドたちがモスル戦線やカルタゴ戦線で挙げた赫々たる戦績を伝え聞いて、彼を積極策が好きな「軍師」とみなしていた。テーベ将官の例にもれず自らも積極策大好きである彼は、ファリドがきっと合流で爆上がりした兵の士気をよしとして、あの中途半端な防壁を一気に突き破る策を与えてくれると期待していたのだ。
だが、この若者はしばし待てという。待てば損失が少なくなるといわんばかりだが……。
「気象係は、今晩あたりから砂嵐になるという。砂嵐となれば拠点にいる敵より、砂漠に布陣している我々のほうが、不利になるのだぞ、軍師殿はそれを承知なのか?」
「ええ、一般的にはそうなるでしょうね。ですがその砂嵐、今回の我々にとっては福音となりそうです。嵐は、どのくらい続きそうだと?」
「む……報告では、明日の昼にはやむと」
砂漠地帯の夜戦で、嵐の襲来を喜ぶ軍隊はいない。彼らにとってそれは視界を奪われ、ひたすら時間と兵糧を消費させられるだけのお邪魔イベントなのだ。だがそれを僥倖だというこの若者に、司令官は首をかしげる。
「将軍がいぶかられるのも、無理ありません。しかしうちの魔術師の力を使えば、こんなこともできるのですよ」
司令官二人と、ラージフを加えた四人で頭を突き合わせ、ひそひそ声でささやくファリド。その意図するところを理解した司令官たちは、その眼をかっと見開いて、興奮したように声を上げる。
「そんなことができれば、勝利は確実だ!」
「にわかには信じられぬが、今まで『女神』が為した奇蹟を思えば、あり得ないことではないな!」
「ええ、砂嵐の中でこの準備をすることが、フェレなら可能です。あとは嵐の中で、将軍ご両名の麾下が、どれだけ動けるかということですが……」
控えめに、だが若干の煽りを込めて発したファリドの言葉に、司令官たちは自信たっぷりに応じた。
「任せてもらおう、我が東方軍団は砂の上でずっと戦ってきた。視界がゼロであっても、行軍することが可能だ」
「うむ、北方軍とて訓練を繰り返してきたのだ。遅れは取らぬぞ」
力強く、やや気負ったその言葉に、ファリドが破顔した。
「わかりました。では明朝行動開始できるよう、全軍にご指示を」




