イスファハンからの援軍
「出撃準備は、ほぼできた。あとは援軍の到着を待つだけだ」
「……援軍って?」
「モスルだよ。まあむしろ、モスルのバックにいるイスファハンというべきかな」
腐りきっていたモスル王室は、モスルの姫でありイスファハンの元皇太子妃であるメフランギス率いるイスファハン精鋭部隊に叩き潰され……現在のモスルはメフランギスをトップとする自治領のような形となっている。緩やかに衰退の道をたどっていたモスルも、強く清新なリーダーシップを得て、急速に復興しているのだという。もともと「胡椒の道」の中継地として豊かさを謳歌してきた国なのだ、遠からずイスファハンを経済的にも軍事的にも支えてくれる、力強い領に生まれ変わるだろう。
「……じゃあ、だれが率いてくるのかな。ミラード将軍?」
「いや、そんな大物は来ないだろうさ。今回の援軍要請は、象徴的なものだから」
そう、これはまさに「参加することに意義がある」参戦要請なのだ。
今回の戦は単なる内戦……民を守るわけでも領土を得るわけでもなく、同じテーベ帝国の中で、醜い権力争いをしなければならない。それだけに、そこには己の正統性を示し、争いに加わる大義名分が必要になる。
皇帝を擁する南方軍団の旗印は、揺るぎない。アスラン派の看板は、帝都を実効支配しているというまさにその事実。それに比べると東方軍団が動くには今一つ大義名分が乏しかった。もちろん彼にとっては長年率いたムザッハルの弔い合戦という側面が強いが、そもそもムザッハルの死は公然のものになっておらず、アスランが手を下した証拠もないのだ。
ハディードという皇子が加わったことで、彼らにも担ぐ神輿ができた。だが第三皇子、しかも武断主義のテーベでは軽んじられる文官皇子の彼だけでは、まだちょっと長子アスランに対抗し難い。
そこで、ファリドは提案した。ひとつは皇帝からアスラン討伐の勅令を与えること、そしてもう一つは、イスファハンもしくはモスルとの共闘を申し入れることだ。
皇帝の勅書は、ハディードが肌身離さずここまで抱えてきた。それを披いた時の司令官の顔が感動にゆがむさまは、見ものであった。ファリドからしたら何もありがたみのないその書状を、震える手で持ち何度も何度も読み返した彼は、兵士たちの前に勅書を掲げて大演説をぶちあげ、それを聞く者たちは天も揺るがすかと思われるほどすさまじい歓呼の声をあげた。息子や重臣に裏切られた情けない初老の皇帝も、この国の軍人たちに敬愛されることは、驚くレベルである。
そして同時に、皇帝とハディードが共に署名した書が、騎馬のリレーでモスルへ向けて飛ばされた……ファリドの添え書きも加えて。もちろん内容は、少数でも構わないから正式な軍を、ハディードと東方軍団のもとに送ることを要請するものだ。戦力として期待しているわけではない、モスルのバックにいるイスファハン……いまや隣接する国で最強のイスファハンが、ハディードを支持すると示すことで、彼の行動への賛同を集めようとしているのだ。
「……テーベは、モスルを攻めて、領土を奪った国。そんな奴らの援軍要請を、イスファハンは聞く?」
「どうだろうな。まあ、テーベから使者が来たら決して追い返さず話を聞けとは、書状で残してきたが……モスルの総督はメフランギス妃だ、外交の機微をよくご存じのはず、これをチャンスと捉えて、少数でも派手に目立つ兵力を送ってくるのではないかな」
「……目立って、ハディードの看板を務めるわけか。見返りは……」
「もちろんあるだろうさ。たとえば奪われた領土の、返還とかな」
そう、テーベはモスルのカヴァ渓谷以南地域を奪ったが、そこは果てしなく広がる乾燥地域……領土拡大で武威を示したところまではいいが、経済的な価値はそれほどなく、正直なところ持て余しているところなのだ。義勇軍を出した返礼としてモスルに返すのであれば、名分も立つというものだ。
「……そうだね、ギース様なら、即断するかも」
そう、彼女は、自ら馬を駆り剣を振るう、行動の人だ。本国へお伺いなど立てず、モスルの民に利となることなら、ためらわず行うだろう。
「援軍が騎馬かラクダ隊なら、そろそろ着いてもいい頃だがな」
ファリドがつぶやいたちょうどその時、兵士たちが大きくざわめいた。
「モスルより援軍来たる!」「おおっ!」「やはり大義は我らにあり!」
別にメフランギスは、彼らの行いが正しいから援軍を出したわけではなく、単に自国の利益を優先しているだけなのだが。
「まあ、俺たちも援軍を出迎えに行こう。知り合いがいるかもしれないからな」
「……うん」
天幕を出て、兵たちが群がっているあたりに向けた彼らの眼に、自由に流した栗色の髪が映った。その持ち主、西方風の顔立ちを持つ青い眼の美貌が不意にこちらを向いて……。
「フェレちゃん!」
そう。精鋭騎馬隊を率いて乾燥地帯を走り抜けてきた勇ましき指揮官は……モスル総督メフランギス、その人だったのだ。




