テーベの姫君
カカカッというような連続性の打撃音が耳を打つ。
身体にぴったりと貼り付いて、動きやすいように大胆なスリットが腿まで入った、テーベ風の扇情的なドレスに身を包んだ若い娘の身体が躍動し、間断ない攻撃を浴びせ続けている。娘が一撃を放つたびに栗色の髪が揺れ、その勝ち気そうな瞳が輝きを帯びる。細身の身体であるが、しっかりとした存在感を主張する胸の膨らみや、きゅっと引き締まった腰のラインに、兵士たちの視線はまさにくぎ付けだ。
持っている剣も、また特有のもの。細身の三日月型だが、大きく反った刀身の内側にも刃がある、ショーテルと呼ばれるこの地域にしか見られない形態だ。取り回しにクセのあるこの剣を自由自在に操る娘の技量は、確かなものだ。
「かっけえ……惚れそうだ」
「阿呆、お前みたいな下っ端がいくら懸想したって、向こう様は見向きもしないさ」
「まあ、姫殿下じゃなあ……」
そう、魅惑的な身体から汗を飛び散らせ、見事な動きを披露している娘は、テーベ皇帝の一人娘、ナーディアである。高貴な人質としてアスラン側の将校に囚われていたが、ファリドたちに救い出され、さっそくそのお転婆ぶりを発揮しているというわけだ。この活発な姫君は、厳格な父が自分にだけは甘いのをいいことに、武芸に熱中してひとかどの腕前になっているのである。
「いきますわ、はあっ!」
彼女の剣をことごとく止める対手に闘志を掻き立てられたのか、お転婆姫は一層高い気合を入れるや、鋭い一颯を送り込む。受け止められても剣の先端が前方に回り込むこのショーテルは、なかなかさばきにくいやっかいな武器なのだが……対戦相手は素早く身をかわしつつ、三日月型の刀身を難なく受け止め、跳ね返す。
練習パートナーを務めているのも、また若い女である。艶のある長めボブの黒髪は、その頭頂部と毛先にモルフォ蝶の構造色に似た不思議なグラデーションを帯びていて……ラピスラズリのような深い蒼の瞳と相まってエキゾチックな雰囲気を漂わせている。表情に乏しいが整った顔に注目する兵たちも少なくはないのだが……膨らみの乏しいスレンダーボディは、やはり皇女のメリハリボディに比べると、男たちの視線を引くには、今一つのようだ。
そう。衆人環視の中、模擬剣を振るって皇女と鍛錬に汗を流しているのは、皇帝を解放するという大仕事を終えて暇になった、フェレである。ファリドは皇帝たちと今後の動きを検討するのに余念がないが……頭を使うことは愛する男に丸投げと決めている彼女は、同じく手持ち無沙汰のナーディアに求められるまま、その練習相手を務めているというわけなのだ。
「さすがですわね、でも、これならいかが!」
ナーディアが攻撃のリズムを変え、大きく反った三日月の外を使い内を使い、変幻自在の攻撃を仕掛けてくる。見慣れぬ刃の動きに少し戸惑ったような表情をしたフェレだが、内側を使った攻撃は受け止め、外側を使った斬撃は刃を軽く当てて受け流す。
「ま、守りが硬いですわ……」
「……今度はこっちから行く」
宣言するなり、フェレが鋭く踏み込んで、片刃のシャムシールを横殴りに振るう。剣に自信があるのだろう、余裕たっぷりに防ぎ止めたナーディアの表情に、小さく驚きが浮かぶ。彼女の予想より、襲ってくる刃が速かったのだろう。そしてフェレは素早く手首を返し、真上から、そして反対から、皇女を休ませることなく鋭い攻撃を送り込んで……耐えきれずよろけた隙に、その首筋にシャムシールの峰をピタリと止めた。
「負けましたわ。剣術にはかなり自信があったのに……フェレお姉様は強いのね」
一瞬だけ悔しげな表情をした皇女は、もう満面の笑みに変わっている。皇室や、親しく付き合いができるほどの高位貴族令嬢には、お転婆な彼女を負かすような強者はいなかったのだ。
「……リドに鍛えられたから。今日は使ってないけど……身体強化すれば、ほとんどの男には勝てる」
そう、冒険者時代ファリドに仕込まれた実戦的な剣術に、速度特化の身体強化を乗せれば……軍の大会でわざと部下に優勝を譲っていたアミールに対してさえも、あっさりと勝ちを収めていたフェレなのである。自らの能力を自慢するようなことを普段はしない彼女だが、ファリドが絡んだ時だけは別である、その頬が少し桜色に染まって、ラピスラズリの眼は誇らしげにまっすぐ上げられている。
「あらあら、お姉様は旦那様のことになるとそんな幸せそうな顔をなさるのね。妬いてしまいますわ」
皇女の吐く「旦那様」というフレーズに、また頬を染めるフェレである。実のところファリドとフェレは、すでに身も心も深く結ばれているとはいえ……世間一般でいう「結婚」はまだしていないのである。
ファリドの「妻」となることを、宝石よりも黄金よりも何よりも求めている彼女なのだが……その想い人は、知識はあるし思慮は深いというのに、こういうところだけやや鈍感だ。ものすごいスピードで流れる周囲の情勢に流されて……二人の関係は、なんとなく現状維持で来てしまっている。そんなフェレの心を読み取ったのであろうか、ファリドたちとは違って人心の機微に敏感な皇女は、表情を輝かせて言った。
「そういうことですの! なら、私が最高のセレモニーをお約束いたしますわ! この戦が終わったら……」
それはどこぞの時代ではフラグと呼ばれる台詞であったが……この世界では誰も知らなかったのは、幸いといえるだろう。




