高貴な人質
「くそっ、そういうことだったのか!」「何で外にいる連中を砦に入れないのかと思っていたが……将校どもはけしからん!」
真実を知って、口々に怒りを吐き出し始める兵士たち。指揮官たちも必死でなだめるが、貴族のボンボンである将校のたどたどしい言い訳と、もと大将軍と皇帝の堂々とした言葉……いずれが重いか、比べるまでもない。
「静かにしろ! 従わぬ者は営倉入り、いや処刑だ!」
「てめえのほうが処刑される方だ!」「そうだ、逆賊を捕らえようぜ!」「おう!」
「くそっ、死にたいなら、この場で斬り捨ててやる!」
じりじりと数を恃んで迫ってくる兵士たちの圧力に耐えられず、将校が剣を振りかぶった、その時。不意に膝から力が抜けたかのように若い貴族がくずおれ、仰向けに倒れた。
「どうしたんだ?」「俺はまだ、何もしてないぞ?」
いぶかりつつ兵士たちが将校の顔を確かめれば、額の中央に、何かで突き刺されたような傷が、ぽつりと一つ。少し離れたところでも、同じようにボンボン将校が倒れ込み……やはり正確に額の中央を、何かが撃ち抜いている。
「お見事」
「たくさん練習したからね」
ファリドに頭を撫でられて、ご機嫌なマルヤムである。そう、鉄球を意のままに飛ばし、ターゲットが見えさえすればどこまでも追いかけて撃ち抜く狙撃銃のような彼女の魔術は、毎日のようにオーランと積んだ特訓のおかげで、正確さと威力をさらに増していたのだ。
「……マルヤムにこんなことばかりさせて」
「まあ、今回は仕方ないだろう。貴族の将校たちを好きにさせておいたら、兵士に犠牲者が出る」
「……」
もちろんファリドとて、愛娘に狙撃兵の真似などさせたいわけではない。だが敵にさっさと抵抗を諦めさせ、一番犠牲の少ない解決を図ろうと思ったら、皇帝と皇兄の演説と、無慈悲な魔術による最低限の殺戮……これがベストなのだと、自分に言い聞かせるしか無い彼である。
そして、マルヤム自身、人を殺すことにそれほど抵抗を感じていないらしい。初めて他人を殺めた時にリリの胸で泣いていた少女は、もうどこにもいない。他人を傷つけることを恐れ、ひたすらファリドに依存することでその罪悪感を押さえつけるフェレとは対照的だ。
もちろんマルヤムとて人殺しが好きな訳ではない。だが彼女にとって殺人を厭う気持ちと、フェレやファリド、そしてアフシンにリリ……共に暮らす家族の安全を守りたい心を比べれば、圧倒的に後者が重いのだ。フェレに危ない思いをさせないためならば、彼女はオーランに仕込まれた冷酷極まりない暗殺技を使うことに、まったくためらいはない。
「見たか諸君! 奸臣に良心を売り渡した者に、天罰が下ったのだ!」
倒れた将校を指して皇兄サフラーが大音声で宣言すれば、兵士たちから歓呼の声が上がる。残った将校は逃げる者、頭を抱えてうずくまる者……そしてもともと反乱側にシンパシーのない者は、さっさと武器を捨ててその身を兵士たちに委ねている。
「大丈夫だ、諸君らは上官の命令に従ったのみ。素直に我々の指揮下に入れば、一部の幹部を除いては、特に罪に問うたりはせぬ」
安堵のざわめきが、兵士たちの中に広がる。知らなかったこととはいえ皇帝と大将軍に逆らったのだ。いくら何でも咎めがあるだろうと覚悟していた彼らは、意外なほど寛大な皇兄の言葉に、胸を撫で下ろしている。
「俺たちは、皇帝陛下に逆らってもなんの得もねえし……さっさと従おうぜ」
「そうだよな、そもそも司令官が反乱軍だなんて、さっき初めて聞いたぜ」
「大将軍様、我々に命令をくだせえ!」
兵の大勢が定まるのを待って、皇兄サフラーが再び口を開く。
「諸君らの忠誠に感謝する。まずは跳ね橋を下ろし、対岸にいる部隊と合流して、その将校の指示に従うのだ」
このへんは、ファリドとサフラーが事前に打ち合わせていたとおりである。何も知らされていない兵士たちは、そのまま指揮下に組み込む。だがさすがに将校たちは、選別せねばならないだろう。平民出の叩き上げ将校は恐らく何の情報も与えられずただ司令官の指示で動いていたのだろうが、貴族出身の者は事情を知った上で、アスラン側についた可能性が高いのだ。そのまま使ったら、またいつどこかで裏切らないとも限らない。
「よし、橋を下ろすぞ!」「俺も行くぞ!」「手伝う!」
十数人の兵士が跳ね橋を操作する櫓に駆け寄る。三人がかりで巻き上げ機に取り付いて、いよいよ回そうとした、その時。
「やらせはせんぞ! もはやテーベを統べるのはアスラン様なのだ! もはや老害をさらすだけのアレニウス、これを見よ!」
本陣であるらしい石造りの建屋から、軍人には似合わぬ豪奢な衣服の上に、鉄の防具をがちゃがちゃと不自然に着けた中年の男が、貴族将校を幾人か従えて現れ、いきなり喚き立てる。そして後ろ手に拘束された若い娘の首根っこを捕まえ……短剣をその豊かな胸に擬している。
「むっ……」「ナ、ナーディア!!」
皇帝兄弟が、同時に驚愕の声を上げた。




