離宮
翌日、皇兄サフラーは、一行と離れ南へ向かっていった。
「爺は爺同士のほうが、話も合うものじゃて」
そう言って同行を申し出たのは、アフシンである。もちろん老将を単独で荒野に放り出すわけにはいかない、オーランかアフシンに護衛を頼まねばと考えていたファリドにとっても、この提案には二つ返事でうなずかざるを得ない。本来であれば身の回りの世話もできるリリがついていくのが一番良いのであろうが、彼女とハディードの間に流れる何とも言えない空気を、一同みな承知している……引き離すわけにはいかないだろう。
そしてファリドたち一行は東に向かった。追手も出ているはずだが、ここ数日の間敵影を見たのは一度だけで、岩陰に隠れ無事にやり過ごせている。起伏が激しく水も得られぬこの半山岳地域ゆえ、まともな旅人が辿ることはないと、判断されてしまっているのだろう。
しかし、彼らは「まともな」旅人ではない。空に一片の雲さえあればそれを引き寄せ、たっぷりの水に変えることができるフェレが、極度の乾燥地帯を長期間行軍することを可能にしてくれる。そして、視認できる範囲に鳥獣がいれば、百発百中の鉄球を撃ち込んで仕留められるマルヤムのお陰で、不毛地帯にあっても食料調達に不自由することはない。地理に不案内な外国人軍団である一行に情報を与えてくれるのは、国内の詳細地図が脳に刻まれているような博覧強記のハディード。そして抜群の索敵能力をもつ「ゴルガーンの一族」オーランとリリが、敵の気配を慎重に探って適切なルートを探ってゆく……まさに最強の逃亡者たちなのだ。
「そう考えると、一番役に立たないのは俺だな」
小休止をとりつつ、ファリドが苦笑いするのも、無理はない。
「いえ、皆さんの足を引っ張っているのはこの私ですから」
相変わらず謙虚なハディードがフォローする。最初は死にそうな顔で、よろよろしながらやっとこさついて来ていた彼だが、今や足取りはしっかりとしてきている。それでもリリが仏頂面で引く手を離さないところは、若い男の性というものであろう。
「多少回り道をしましたが、ずいぶん進みました。明日には、離宮を目にすることができるかと……」
「ハディード、皇帝陛下がおられる可能性は、どのくらいだと思う?」
「九割以上だとみています。浅慮なアスラン兄なら、父陛下を害しようとする可能性もありますが、重臣たちがそれを抑え、丁重に遇するよう説得するはずです。王族らしい待遇で軟禁するなら、サフラー叔父が監禁されていたあの砦か、この離宮しかないはずですので」
慎重な物言いをするハディードが、珍しく自信を込めて言い切るのを見て、ファリドも表情を改める。
「よし、必ず皇帝陛下を救い、アスランが正統な後継者たりえないことを、帝国貴族たちに示そう」
◇◇◇◇◇◇◇◇
崖上にそびえる赤茶けた岩の陰から、一行は離宮の様子を窺っている。
「これはまた随分豪華なものをこしらえたものだなあ、テーベの財力、おそるべしだ」
テーベの穀倉地帯を潤し民を養う大河も、この辺りではまだ川幅も狭く、両岸に河岸段丘が広がる、ちょっとした渓谷をなしている。皇族や外賓のためだけに造られたこの離宮は、段丘の二段目をそっくり使う広壮な構えだ。大規模なパーティも可能であろう豪華な本館の周囲を、賓客用の離れ、浴場棟や庭園、警護要員や使用人用の宿舎などが囲んでいる。
そしてテーベではここだけにしかないという温泉が敷地内に湧いており、源泉から盛んに湯気が立ち昇っている。この湯を引き込んだ大小さまざまの趣異なる浴室が、選ばれた者だけが味わえる体験として、賓客をいたく喜ばせるのだという。中でも敷地の真ん中に広がる長辺三十メートルばかりのどでかい浴槽というより温水プールとでも呼ぶべきものには、さすがのファリドも度肝を抜かれた。
本来であれば今頃、皇帝との約束が期限を迎え自由の身となったファリド一家を、盟友ムザッハルがここに招き、皆あのプールで温浴を楽しんでいるはずであった。だがそのホスト役はすでにこの世になく、彼らを解放する約束すら、このままでは反故にされることが確実である。
「ええ、本来はもっと国の財を傾けるべき事業があまたあるというのに……このような見栄に国富を費やすなど……」
内政の専門家であるハディードとしては、武力と財力を誇示して周辺国を威圧する現テーベのやり方に、かなりモノ申したいことがあるらしい。
「まあ、それは仕方ないさ。まずは、皇帝陛下を探さねばな。俺たちはあの建物の中がどうなっているのかなんか、さっぱりわからん……ハディード、頼むぞ?」
ファリドの言葉にリリがうなずき、このインドア系で頼りなげな皇子にまっすぐ視線を向ける。ハディードの方もまるでファリドなど目に入らぬように、リリの目だけを見つめ返して、きっぱりと宣言した。
「はい、私の持てる知識すべてを挙げて、父陛下を見つけます」




