親子で散策、戦場なのに
戦象たちの死骸が累々と連なる中を、右手をフェレ、左手をファリドに預けつつ、マルヤムが歩いている。親子の時間を邪魔しないように少し遅れて、リリが三人を追う。
「象さんたち、可哀そうだね」
「……そう、可哀そう。だけど仕方ない。あのままこの子たちが突っ走っていたら、大勢の人が死ぬ。辛いけど、止めるしかなかった」
「うん、わかる」
マルヤムが、つかんでいたフェレの手を、ぎゅっと強く握る。彼女もわかっているのだ。こんな割り切ったようなことを口にしているフェレが、自分よりももっと深く傷ついていることを。
「大丈夫、フェレ母さんは悪くない。母さんはテーベの人の命を、たくさん救ったんだよ」
まだ幼い娘が自分を力づけようとしていることに気付いたフェレが、ラピスの視線をマルヤムに向け、へにゃりと微笑む。黄金の瞳が見つめ返せば、フェレはたまらず、その小さな身体を抱きしめてしまうのだ。
そのほっこりした光景を笑みを浮かべながら見守っていたファリドが、ふと何かに気づく。
「雌の個体が混じっているな……それも、かなりの数」
「どういうこと?」
マルヤムが子供らしい好奇心で、疑問を投げかける。ファリドは少し口元を緩めると、自身の考えを整理するように語りはじめた。
「戦象部隊は、普通なら雄だけで編成するはずだ。雄の方がはるかに身体が大きくて強いからね。雌は繁殖するために欠かせないから、戦場には出さないと聞いていたんだ」
「そうかもしれないね」
「だが、今回はその貴重な雌まで戦場に出してきた。こうやって見ると、まだ成長しきっていない仔象まで動員しているようだ」
「どうしてなの、ファリド父さん?」
「カルタゴは今回の戦に、必勝を期していたんだろうな。何か国内に不安があって、絶対に外征で輝かしい勝利を挙げないといけない状況があるんじゃないだろうか。だから将来のことなんかより、目の前の勝利を優先して、母象や仔象まで出陣させたんだろう」
あえて子供向けではなく、大人に話すような言葉使いで説明するファリド。それも教育だと考えているのだ。こくこくとうなずくマルヤムの姿に、わかってくれたかとほっとする彼である。
「……それじゃ、この後はもう?」
「そう、しばらくカルタゴの戦象部隊は立ち直れないだろう。こんな規模の象は、あと十年やそこら、揃えられないだろうな」
「……そうか」
はっと顔を上げて問うフェレに、できるだけ彼女を安心させるようにと気を使って答えたけれど、彼女の憂い顔は晴れない。それは結局、そんな長期間立ち直れない程の規模で、生命を奪ってしまったということなのだから。
「フェレが気に病むことはないんだ。彼らは、テーベの民を殺し、奪うために来たんだから。罪なき者とは、言えないんだよ」
そうは言ったものの、フェレはラピスの視線を伏せたままだ。そう、兵たちは悪意を持って攻めて来ているが、象には何の罪もないのだ、ただ飼い主に鞭打たれ、連れてこられただけの哀れな生き物なのだ。
慰める手段もないままに、三人はさらに動かぬ象たちの間を歩いていく。
「そろそろ、帰ろうか」
「うん……あっ、待って父さん!」
何かに気づいたように黄金の眼を大きく開いたマルヤムが、二人の手を振り切って走り出す。まだ落ち込んでいた風情のフェレも、その動きに我に返り、あわてて愛娘の姿を追いかける。
フェレが少し息を切らしつつ追いついたそこには、窪地にはまっている仔象がいた。ほんの二メートルばかりの凹みだが、そこだけ柔らかい砂が風の働きで堆積し、そこに肢を取られて動けなくなったようだ。
「……こんな小さな仔まで」
「ひどいな。だが体重が軽かったから、落ちても致命傷を負うことなく、助かったんだろうな」
「ね、お願い。フェレ母さん、この仔を助けてあげて?」
「……ん」
短い返事と共に砂が一斉に舞い上がり、マルヤムが感嘆の声をあげる。もちろん彼女もフェレから「粒を操る」念動の業を学んで、驚くべきことに一定レベルまで習得している。だが、マルヤムが操れる「粒」は、せいぜい百個かそこらなのだ。フェレが今、宙に浮かせている何千万、いや億を超える粒に統一した動きをさせることは……おそらく今後もできないだろう。
「うわぁ、やっぱりフェレ母さんは、すごい魔術師なんだなあ」
窪地に吹き溜まっていた砂が一掃されると、身体の半分までそれに埋まってもがいていた仔象が、力尽きたようにぺたんと座り込んだ。そしてマルヤムが、恐れる様子もなく近づいて、黄金の眼をこの哀れな動物に向ける。ファリドが少し慌てる……仔象と言えども、人間くらいなら押しつぶせる身体を持っているのだから。
「お、おいマルヤム、危ないからちょっと待つんだ」
「うん? この仔は何もしないよ、ファリド父さん。 ね、大丈夫? 痛いとこない?」
仔象が、力無い鳴き声を一回だけ上げる。それはこの無垢な魔族少女の問いに、大丈夫だと答えているように見えた。マルヤムがさらに近づいて、頸のあたりを優しく撫でると、仔象はその鼻を彼女の背中に回す……まるで、抱き締めるように。
「そう、痛かったよね……もう大丈夫だからね」
そんな姿を眺めていたファリドが、何かに気付く。
「もしかして、本当に象と会話できているのか?」
「おう? 知らなんだか。魔族には動物や魔獣と意思を交わせる者が、あまた居るぞ……儂はさっぱりじゃがの」
いつの間にかアフシンが姿を現して、面白そうに孫の様子を窺っている。まあ純血の魔族たる彼が言うのだから出来るのだろうと、無理やり納得してもう一度娘を見やるファリドである。半魔族娘は、夢中でしがみついていた仔象の身体からがばりと身を起こし、子供にしては低いが、弾んだ声でねだった。
「母さん、父さん。この仔、連れて帰りたい!」




