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【完結】残念な追放魔女を育成したら めちゃくちゃ懐かれてます  作者: 街のぶーらんじぇりー
第三部 いざテーベへ
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優雅な魔法の使い方

「わあっ、あの果物、見たことないけど美味しそう!」


「……これを、五つ」


 マルヤムが無邪気な興味を示せば、フェレがふっと口許を緩めて、売り子に銅貨を手渡す。この新しくできた娘の言うことなら何でも聞くという、極甘な母親になってしまった彼女である。


「フェレ様、少々買いすぎではないでしょうか?」


「……リドが、全部持ってくれる」


「あ……それもそうですね」


 市場で買い物に熱中する女たちの荷物を一人で背中の行李に背負っているのは、ファリドである。その量にリリが一瞬だけ気遣わし気な視線を向けるが、結局のところこの哀れな主人を、見捨てることにしたようだ。何かにつけフェレ最優先の彼女らしい、塩対応である。


 ため息を一つついて、すでに八割ほども荷物が詰まった行李を肩に引っ張り上げるファリドは、実のところ暇を持て余している。


 「客分」として屋敷の管理や使用人の給金、そして貴族に準ずる生活費……といったところに相当する金貨は、ハディードの手配で支給されているから、あくせく働く必要はない。だが、何もすることがない生活というものも、なかなか辛いものがあるのだ。館のあちこちを磨き上げたり、家族のためにあれこれ工夫した食事を作ることに喜びを見出しているフェレと違って、ファリドは本当に暇なのである。


 思えば、かつて二人が心から楽しんでいた故郷の村での「のんびりスローライフ」も、「何もしていない」わけではなかったのだ。麦畑や果樹園の状態をチェックし時には領民と共に農作業をし、民から通報があれば崩れた山道を修繕する手配をし、農産物を王都に売り払うに当たっては検品から経理まで……領主の跡継ぎというものは、存外に忙しいものだったのである。


 だがしかし、帝都でのそれは、自分から何かやろうとしなければ、本当に無為なのである。日がな一日寝ていようが、誰も文句は言わないのだ。楽といえば楽……ではあるのだが、これまでひたすら働いてきたファリドにとっては、何となく落ち着かない。


「……リドは、少し休んだ方がいい、今まで頑張ってたから。それに……」


「それに、何だ?」


「……どうせ間もなく、また面倒ごとに引っ張り込まれる」


 不気味にフラグめいたフェレの言葉に苦笑して、ファリドはよく言えば無為の、悪く言えば穀潰しの立場を受け入れた。


 かくして彼は、剣の素振りをたまにする他は、のんびりチャイをすすりつつ好きな書物に没頭するか、忙しい女性陣の買い物にこうやって付き合うか、そんな楽隠居生活を満喫しているというわけである。


「……うん、この豆はいい」


 そうつぶやいて、決して安くはないそれをしこたま買い込むフェレ。今度は銅貨ではなく、銀貨が売り子の手に渡る。


「……帰ったら、今日こそ美味しいのを淹れる」


「ああ、楽しみにしている」


 豆を見つめるフェレの真剣な表情に、荷物の重さも一瞬忘れて笑みをこぼすファリドであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 鉄鍋の中に入れた豆に向かって、フェレが息を詰めてそのラピスラズリの眼を大きく見開いている。タイミングを測っていたのだろうか、ゆっくり一つ息を吸って、気合を入れる。


「んっ!」


 ぶわっと、鍋の中で風が渦巻いて豆が踊り、何とも言えない芳香が立ち昇る。シャランシャランというような音が、耳に心地よい。


 やがて、フェレが大きく息を吐いて、眼を閉じた。


「……うん。今回は、うまく出来たはず」


 溺愛する主人の声に思わず鍋を覗き込んだリリも、会心の笑みを浮かべる。


「素晴らしいです、早速挽いて参りますわ。フェレ様はネルのご準備を」


「……ん」


 フェレは、何やら持ち手のついたごくごく小さなざるのような道具に、厚手の布を敷く。そこにリリがわくわくした表情で持ち帰ってきた黒い粉を少量流し込んで、さらに上から慎重に少しずつ、湯を注ぎ始める。芳香が、より強くなる。


「おおっ、これは良さそうだな!」


「……自信作。リドに、飲んで欲しい」


 ざるのような道具の下においたカップに満たされているのは、黒褐色の香り高き液体。イスファハンでは飲まれていない、珈琲である。テーベのはるか南方、アクスム王国の特産品であり、この国では広く飲まれている嗜好品だ。


 起き掛けに飲むと頭がすっきりするところは二人のお気に入りだが、この国の淹れ方は炒って挽いた珈琲豆を小鍋でぐつぐつ煮込んで抽出したもので、アクが強すぎるのが難である。そこに、遠い昔にはネル布でドリップする方法があったらしい、とファリドが読んだ書物の知識を披露した途端、フェレの探求心に火が着いたのだ。


 オーランに手伝わせてそれらしい道具をこさえ、ドリップ方式に合うように、焙煎も工夫する。最後には直火で焙るのに飽き足らず、魔術で空気の温度を上げ、火を使わず仕上げるところまで凝ってしまったのだ。高価な豆を二度三度とダメにした経験を無駄にせず、会心の一杯をここに得た……世間から見れば、超絶魔法の無駄遣いにしか見えないであろうが。


「……どう?」


 カップから立ち昇る湯気にあごをくすぐらせているファリドを、ラピスの瞳を輝かせて見上げるフェレ。なんだか芸を覚えて褒めてもらいたがっている仔犬のようだと思えてしまったのは、内緒だ。


「美味い」


 愛する男が一口含んで満面の笑みを浮かべると、フェレの表情もへにゃりと崩れた。



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