淡い恋
その夜、事情を知る関係者だけでささやかに、もう一つの表彰パーティが行われていた。昼間のあれは正規軍の士気を高め、ミラードの指揮権を一般兵士達に認めさせるためのイベントなのだから、ファリドやフェレが目立ってはいけないのである。真の主役たる彼らは、この夜の部でひっそりと賞賛されることになるのだ。
「……複雑、だね」
「ええ。あんなに一途に想われたら、私も……」
「……本当に好きになって、しまった?」
「正直申し上げると、かなり。ですが、あくまでこれは私にとって、お仕事ですから」
珍しく宴の始まりからワインの杯を重ねるフェレの問いに、わずかに頬を染めて切なそうな眼をする「ゴルガーンの一族」リリ。染めていた髪色を戻し、フェレの侍女然として振る舞っている姿は、実に可憐だ。
リリは、フーリと共に兵士や将校が出入りする飲食店に潜り込んで、反クーシャーの宣伝活動を行ってきた。その中で彼女は、大当たりくじを引き当てたのである。クーシャーの親衛隊に任命されたばかりの真っ直ぐで純情な、ダーラーという青年貴族を。
自分を助けてくれた若く正義感あふれる将校に恋する娘の役を演じるのは、リリにとって難しいことではない。そうやって男の気を引き、秘密をしゃべらせたりうまく騙して敵軍から寝返らせたりといったテクニックは「ゴルガーンの一族」の女にとって、絶対に身に着けねばならない必修科目であるのだから。
そんな手練手管を幼き頃より叩きこまれているリリに、これまでひたすら軍務に打ち込んで女に見向きもしなかった純朴な男がコロリとダマされてしまうのは、無理なきことであろう。
ダーラーはジラという偽名を名乗っている彼女に夢中になり、思い切って昼間のデートにも誘った。夜とは違う清楚な娘姿で現れたリリと食事を共にし、一緒に繁華街を冷やかし、立ち寄った店で彼女に良く似合う空色のスカーフを贈った。嬉しそうに頬を染める娘の姿に、彼の胸も初めてのときめきに高鳴るのであった。
そして、肩を並べて座った公園の木陰で、心を許したらしい彼女が驚くべき身の上話を始める。何と彼女の母は、イマーン将軍の隠し子だというのだ。しかも、秘かに孫を可愛がってくれていたその将軍は、彼が仕えるクーシャーに陥れられ、病気療養と称して軟禁されていたのだという。
将軍がなぜか脱営し、怪しげな連中と共に西に逃亡したという噂は耳に入っていたダーラーであるが、ようやくその真相をこの娘から知らされたのである。これまでクーシャーの言い分を疑いもしていなかった彼であるが、初めて恋したこの無垢で可憐な娘が語る言葉が、嘘であるはずがない……彼は、義憤に燃えた。
すぐにでも上官に事実を質しに行こうという勢いの若者を、ジラは優しく制した。
「そんなことをすれば、貴方ご自身が危うくなります。私はダーラー様をお慕いしています、死んでほしくはありません」
ダーラーは益々感激し、彼女の細い肩を抱き締めて、自分にできることはないか、何でもすると誓ったのだ。
ジラは、しばらく迷った風情の後、言った。
「これから貴方は出征されて、祖父の勢力と相対するのでしょう。恐らく相まみえることはないでしょうが……もし万が一、眼の前に祖父イマーンが現れたら、どうか守ってあげて頂けないでしょうか」
万を超える兵力同士がぶつかり合う中で、彼がイマーンと相対する確率は、流れ星に当たるようなものだろう。それでも、そのわずかの機会があるならば、祖父を助けて欲しいと濡れた瞳で哀願されれば、女を知らぬダーラーが堅く誓ってしまったのは、当然の流れというべきであろう。
そしてそのまさかは、実現した。万を超える大軍を信じられない寡兵で突破してきた敵の中に、イマーンがいたのだ。そして味方の兵が、彼を押し包んで討たんとしている。
ダーラーは、これこそ神の決めた運命だと信じた。ジラの切ない祈りが通じて、イマーンが絶体絶命の危機にあるこの時、自分がここにいるのだ。そして諸悪の元凶である司令官クーシャーが、自分に背を向けて眼の前に在る。これがカーティス神の導きでなくて、何であろうかと。彼は迷いなく、司令官の首に腕を回して刃を突き付けたのだ。
そうやって彼は、昼間の論功行賞でヒーロー扱いされる座を勝ち取ったのであるが、そんな都合の良い運命や偶然があるはずもない。リリが親衛隊の若者を籠絡したと連絡を受けたファリドが、フェレの魔術で作り出した濃霧を利用して、司令官の天幕に直接突っ込む決断を下したのである。必ずダーラーが寝返ってくれるであろうという、確信をもって。
だがそんな殊勲を挙げたリリは、あの純朴な青年を騙して、その前から突然消えた罪の意識に悩んでいるらしい。そしてあろうことか、彼女も青年の真っすぐな純愛に、胸を射抜かれていたようなのだ。無理もない、男を手玉に取るよう訓練されているといっても、まだ心の内はせいぜい二十歳かそこらの小娘……そして、真底ストレートに男の好意を受けたのは、彼女にとっても初めての経験だったのだ。
「……後悔、してる?」
「いえ、これが私の務めです。でもダーラー様にとてもひどいことをしたという申し訳なさはありますし、何より私も切ないです。今晩はフェレ様の胸で、泣かせて頂きたい気分なのですが……ファリド様、お許しいただけますか?」
久しぶりの野営でない泊まりに、フェレとの大人のあれこれを期待していないでもなかったファリドであるが、こればかりは不器用にうなずくしかなかった。
今回はリリ主役?




