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短編(未商業)

悪役令嬢とチョコレート

作者: 辺野 夏子

「わ……わたしはただ、普段お世話になっているセルジュさまに感謝の気持ちをお伝えできたら、と……」


 とある晴れた冬の日、学園のテラスでハリエット・マーシャル公爵令嬢はマキナ・ルミエラ男爵令嬢をひんやりとした目で見つめた。


 彼女はマキナが『手作りのチョコレートを王太子に贈る』と周りに語っていたところを見咎め、学園の監督生、そして王太子セルジュの婚約者として注意した所だった。


「……殿下には専属の料理人がついております。国の未来を担う方に、誰の手を通したのかわからないものを召し上がっていただくわけにはいきません」


 マキナは手の中の小さな箱を抱きしめ、大袈裟に怯えた様子を見せた。


「これはわたしが材料から集め、聖魔力を練って丹精込めて作ったものなんです。セルジュさまが『最近癒しが足りない』とお疲れの様子だったので……」


 ある日突然異界から現れたと言われるマキナは、この世界に様々な知識をもたらした。その一つがチョコレートである。それまで薬としてしか利用されていなかったカカオに、砂糖とクリームを足し滑らかに仕上げたもの──はたちまち人々を虜にした。


 そうして、彼女は異国の風習「意中の人物にチョコレートを贈る」までもこの国に広めた。平民も貴族も関係なくその行事は受け止められ、毎冬毎に人々は選りすぐったチョコレートを求め、街は賑わいを見せる。


「セルジュさまだって、喜ぶと思います。だって、この前チョコレートの話を興味深げに聴いてくださいましたもの」


 マキナの含みのある甘い声に、ハリエットの心はささくれだった。最近セルジュとマキナがよく会話していると嫌でも耳に入ってしまうのだ。


 告げ口あるいは親切を装った嫌がらせか、様々な人が入れ替わり立ち替わりに『ご報告』としてやってくるため、ハリエットの精神はすり減る一方だった。


「……婚約者のいる男性にみだりに声をかける、その上個人的な贈り物をするなど、褒められた事ではありません。あなたも社交界デビューを控える身なのですから、今後は男爵令嬢としてそれ相応の礼儀を身につけて……」


「下賤な元平民などと、セルジュさまはそんな事をおっしゃいませんわ!お優しい方ですもの」


 マキナが張り上げた声に周囲はざわついた。もちろん、ハリエットはそんな事を一言も口にしていない。


「わたしが式典の代表に選ばれたこと、やはり気にしてらっしゃるのですね。でも、ハリエットさまのお怒りはごもっともですわ……」


 マキナはぽろぽろと大粒の涙をこぼした。彼女が話しているのは、学園行事である「聖夜祭」のことであった。


 男女それぞれの監督生が代表して、学園の象徴であるランプに魔力で火を灯すのだが──ハリエットは生まれついての『魔力なし』であり、その責務を全うする事ができない。


 そのために『異界の乙女』であるマキナが代役として選ばれたのだが、ハリエットは悲しみを感じながらも、自分の至らなさとしてそのこと自体は受け入れていた。


「わたし、やっぱりセルジュさまになんとか代わっていただけるようにお話ししてみます。だって、申し訳ないですもの。いくら魔力がないと言ってもハリエットさまは()()婚約者でいらっしゃいますものね」


 ハリエットだけに見える様、マキナはほんの少し唇の端をを歪めた。


「そのような話では……」


 ハリエットは口下手であった。反対にマキナは愛嬌があり、いつも人に囲まれている。愛らしいその蜂蜜色の瞳に見つめられると、皆マキナの味方になってしまう。



「マーシャル公爵令嬢。今日もお小言か?」


 そんな二人の間に割って入る勇敢な男性がいる。ハリエットの従兄弟であり公爵令息のレオナルドだ。


「レオナルドさま!」


 マキナの白く細い腕が、甘えるようにレオナルドに絡みつく。


「……女生徒の代表として、風紀が乱れるのを諌めたまでですわ」


 レオナルドの乱入により、ハリエットは若干の落ち着きを取り戻した。


「レオナルドさま、ハリエットさまをお責めにならないでください。わたしが彼女を傷つけるような事を言ってしまったのです……ハリエットさま、申し訳ありません」


 いつもこうだ。マキナはいつも「自分は悪くない」と周りを丸め込んでしまうのだと、ハリエットは誰にも見つからぬよう、こっそりと手を握りしめた。


「……わたくしは、自分がすべきと思うことをしているだけです」


「母親じゃあるまいし、お前は堅苦しすぎるんだよ。もう少し肩の力を抜いて殿下と付き合った方がいいと俺は思うね。ま、今回に関してはマキナが悪いよ」


 ハリエットが一歩前に進み出ると、マキナは渋々とチョコレートの包みを渡した。


「それではマーシャル公爵令嬢。監督生として、これからもよろしく頼む。それは適切な処分をしておいてくれ」


 幼少期から全く変わらない軽薄な笑みを貼り付け、レオナルドはマキナの肩を抱いて去っていった。


 ハリエットの手には、握りしめられたチョコレートの箱だけが残される。


 マキナの『レオナルドさまの分はわたしのサロンにありますから』と甘ったるく語りかける声を背に、ハリエットは一人学園内にある自分のサロンへと戻った。



『魔力なし』


 それはハリエットを嘲笑する言葉である。


 魔力に優れた者を多く輩出したマーシャル家。その第一子として生まれ落ちたハリエットの魔力は、使用人たちが気の毒に思うほどに──『なし』と言って差し支えないほどに貧弱であった。


 両親は虐げこそしないものの、ハリエットはまるで期待されず育った。


 それなのに理由がわからないまま、何故か王子の婚約者に選ばれてしまった。


 ハリエットは長年、自分なりに努力してきたつもりだ。しかし最近マキナの取り巻きが「王太子はハリエットに同情して、真のお相手が見つかるまでの繋ぎの婚約者として選んだ」と吹聴して回っている。


 それを信じる人々も少なからずおり、婚約破棄は間近で王太子はマキナを選ぶに違いない……と噂が飛び交っている。


 相談しようにもセルジュは非常に忙しいらしく、手紙は送られてくるものの顔を合わせることは滅多にない。



 茶の用意にやってきた使用人を下がらせ、一人ため息をつく。


 今日の茶葉は、紅茶にオレンジとチョコレートの香りをつけたもの。甘いものが好きではないセルジュに合わせてハリエットも同席する時はあまり甘味を口にしない。せめて気分だけは──と選んだものだ。


「わたくしだって──」


 ハリエットは恨めしそうにテーブルの上の箱を見つめた。マキナがもたらした知識である点を除けば、ハリエットも親愛の証として異性に贈り物をする行為に憧れを持っていないと言えば嘘になる。


 他の娘たちのように堂々とチョコレートを渡して、セルジュの隣に立ちたいと思っているのだ。そんな事を考えながらじっとチョコレートの箱を見つめていると、心がざわつき、鼓動が速くなっていくのをハリエットは自覚し始めた。


 ──いったい、どうしたのかしら。


 ふらふらと赤い箱に手を伸ばし、何かに操られるようにかけられたリボンを解く。中には赤いチョコレートが4つ並べられていた。


「綺麗……」


 マキナの顔を思い浮かべるだけで憎たらしいのに、どうしてそんな事を感じてしまうのか。


 ──ダメよハリエット、あなたおかしいわ。何を考えているの。


 思考とは裏腹に手が勝手に動き、ハリエットはひとつのチョコレートを手に取った。


 ──どうして? わたくしはそんなことをしない。体が自由にならない。助けて。誰か止めて……!



「ハリエット。美味しそうなお菓子を持っているね」


 だらだらと冷や汗を流し、必死に見えざる力に抵抗するハリエットに声をかけてきたのは、いつの間にか現れた王太子セルジュその人だった。


「あ……」


 ハート型のチョコレートがハリエットの手からぽろりと落ち、芝生の上を転がっていった。ふっと体が自由になり、今度は彼女の体は震え始めた。


「どこで手に入れたの?」

「これは──」


 ハリエットはどこから説明したものか、と混乱していた。ありのままを正直に申し上げるならば『あなたに贈り物をしようとした女子に嫉妬してそれを取り上げて、あろうことかそれに手をつけてしまいました』となる。


「わたくしが──」


 とりあえず説明しなければ、と顔を上げたハリエットの唇をセルジュの唇が塞いだ。


「──っ!?」


 思わず反射的にセルジュの肩を叩くと、ハリエットは解放された。と思ったのもつかの間、もういちど唇を塞がれた。


「!?!?」


 ややしばらくして、体が離れる。ハリエットの瞳に、セルジュの青い瞳が映りこむ。


「効いた?」 

「な……何が、でしょう」


 ハリエットは問われている事が全く理解できずに、ぐるぐると上下左右に視線をさまよわせた。


 ──今、殿下に口づけをされたような気がするのだけれど。それも二回も。



「自分がどうなっていたのか、俺の行動がなんなのか、全てがわからない。そんな顔をしているな」


「……はい」


 セルジュはハリエットの隣に腰掛け、ぴん、と指でチョコレートの箱を弾いた。


「このチョコレートには呪詛がかかっている。俺には効かないが、抵抗する術を持たないハリエットには効果があった様だ」


「……っ」


 セルジュが説明する事には、チョコレートには魅了の魔法がかかっており、口にせずにはいられない。魔法以外にも中には薬が盛られているだろう、とセルジュは腹立たしげにつぶやいた。


「一服盛って既成事実を作るつもりだったのかな。ハリエットにここまで影響があるとは思っていなかっただろうが」


「そんな恐ろしいことを彼女が……?」


 ハリエットにかけられた呪いをセルジュが魔力を口移しで渡すことによって解呪した……と言うところまで説明を受け、ハリエットは目をぱちぱちとさせた。


「俺はレオナルドと一緒にマキナ嬢の背後にいる貴族を洗い出していた。あいつの演技はなかなかだろう? あの女は自分に与えられた魔力を全て魅了魔法の習得に注ぎ込んでいたようだ。……とんだ異界の乙女もいたものだ」


 セルジュは隣に腰掛け、もう心配することはないとハリエットの肩を優しく抱く。


「ハリエットが大人しくしていると思って、最近はあまりにも目に余る言動だった。泳がせるためとは言え、つらい思いをさせてすまなかった」


「でも、わたくし、褒められた行動ではありませんでした。魔力がか細いのは本当のことですし、理由をつけて彼女のことを妬んでいたのです。だって、本当は聖夜祭で殿下の隣に立ちたかったのですから……」


「それは先ほどの儀式で解決したはずだ……マキナ・ルミエラのことは綺麗さっぱり記憶から消してしまって構わない」


 ハリエットは確かに、魔力が自分の中でみなぎっているのを感じた。セルジュはここ最近は魔力の受け渡しの練習をするために、根を詰めて修行していたのだと言う。


 口移しをする必要は全くないのだけれどね、とセルジュが笑う。


「癒しが足りなくて、本当に困ったよ。試験がパスできなければハリエットには会わせない、としごかれて」


 セルジュはハリエットの使っていたティーカップの中身を飲み干した。


「そ、それは私の飲みかけなのですが……」

「魔力を使うと喉が渇く」


 王太子がわざわざ自分を訪ねてくれたのに、茶を出す事すらしていなかったのだとハリエットはさあっと青ざめた。手をあげて人を呼ぼうとすると、それを制される。


「チョコレートの香りがする。本物を貰いたいものだ。今回は頑張ったんだ、そのくらいのご褒美が欲しい」

「……まあ、では、殿下は本当にチョコレートに興味がおありで?」


 セルジュは肩をすくめた。


「それはもちろん。マキナ嬢に罪はあっても、祝いごとにはない。国が盛り上がるのはいいことさ。まあ、こうして『格差』が生まれてしまうわけだが。俺はわがままを言えないから、何も貰えない。つまらない話だ」


「まあ……」


 ハリエットは自室の机に思いを巡らせる。そこには、こっそり外出して街で買い求めたチョコレートが置かれているはずである。


「ハリエット。俺に何かを隠している? 今夜、公爵家にお邪魔すれば教えてもらえるのかな?」


 セルジュの悪戯めいた問いかけに、ハリエットは頬を紅潮させ、俯いた。


「わたくし、殿下に由縁が不明なものを差し上げてはいけないと生徒たちに言い含めたばかりですから、自分だけ抜け駆けは……」


 その頬に手を添え、セルジュはハリエットを自分に向き直らせた。


「先程のように、君が責任を持って毒見をしてくれればいいんじゃないか」


「で……殿下、お戯れはおやめください……」


「俺は子供の頃からずっと本気だって、いつになったらわかってくれるのかな」


「セルジュ様……」


 ハリエットはひたとセルジュを見つめ、短く息を吸った後意を決したように立ち上がった。


「既製品しかありませんので……わたくし、大急ぎで戻って準備をしようと思います」


 今ならまだ、厨房に何かしらの材料があるはずで、頼みこめば手伝って貰えるだろう。セルジュが贈り物を求めると言うのなら、自分も全身全霊で取り組まなくてはとハリエットは考えた。セルジュはそんな彼女を引き止める。


「それは来年の楽しみに取っておく。今は久しぶりの逢瀬を楽しもうじゃないか」


 セルジュがティーカップを持ち上げると、遠巻きに控えていた使用人が慌てて走り寄ってくる。そう言えば見られていたのだとハリエットは顔から火が出そうとはこのことね……と赤くなった。

お読みいただきあありがとうございました。他作品のリンクを下に貼りましたのでそちらもよろしければお願いします。

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