喫茶店「シエスタ」
フロアタイルを磨くようにしてモップをかけていく。ただただ無心に。かれこれ二時間ほど同じ作業をしているため、床はとっくに綺麗になっていた。木目調のタイルは鏡面のような艶を見せ、やや明かりを抑えた店内の様子をぼんやりと映している。
「…………おっと」
尻が無垢材の机とぶつかる。いつの間にかカウンターのところまで戻って来ていた。十坪ほどのあまり広い店内ではないため、掃除なんてすぐに終わってしまう。今ので本日四回目の掃除だった。
モップで床を突くようにして、重ねた手の甲に顎を乗せる。足元に映る自分の顔を見下ろしたが、その不鮮明な像から表情は読めなかった。
だが、自分が今どんな表情をしているかは分かっている。脱力するように溜息を吐きながら、視線を床から窓の外へと向ける。
「弱ったなぁ……」
暗く淀んだ空から、途切れることなく雨が降っていた。
地を打つ雨の音は大きな壁のような存在感を持っており、まるでその壁にこの店が閉じ込められたような錯覚に陥る。
いや、実際に閉じ込められてしまったのかもしれない。自分以外誰一人としていない店内を見回し、そんな妄想をしてしまう。
「普段から客が少ないとはいえ、まさかゼロ人とは……」
また溜息を吐いて、もう今日は店を仕舞おうかと思ったその時、入り口のドアベルが慎ましく鳴った。慌てて姿勢を正しながら、入り口へと体を向ける。
「いらっしゃいま―――」
言葉に詰まった。
「…………」
十歳くらいだろうか。入り口に立っている少女は、この雨のせいか全身が濡れていた。薄い空色のワンピースが肌に張り付き、ところどころ透けている。
彼女は何度か口をパクパクさせたが、すぐに口を噤んでしまう。それから小さなバッグからノートを取り出すが、雨に濡れたせいでぐしゃぐしゃになってしまっていた。
「………」
困り果てた様子で、こちらを見る。
「えぇっと……。紙がいるのかな?」
そう言うと、彼女はふんふんと首を縦に振る。裏からメモ用紙を取って来て、ついでにボールペンも渡す。
彼女は覚束ない手つきで何事かを書き、その文字をこちらに向けた
『泊めてください』
「…………………ん?」
これが、彼女との出会いだった。