水果石と蜂蜜のゼリー
ファンタジーの世界で、「石を食用に転化できる」魔法が使える薬師が石を美味しく食べる話。基本的に一話完結。
蜂蜜が手に入った日は、何に使おうかしばし思案に暮れる。料理に使ってもいいし、菓子に使うのもいい。火傷の薬にもなるからそれ用にも保存しておかねば。そんなことを考えながら、大きな巣を清潔な布で包んでから革袋に詰める。早く帰って瓶に移し替えねば。
薬師のリュードはそんなことを考えながら、ふだん採集場所として通う森から家に続く道なき道を歩いていた。ふと風の温度が変わるのを感じて空を見上げれば、黒い雲が低く垂れ込めるのが見えた。
「にわか雨が降るかな」
家に着くまでに雨宿りが必要かもしれない。せっかくの蜂蜜が濡れるのは忍びない。それに、採取した他の薬草も濡れると張り付いて選別が面倒になる。
そう考えたリュードは、目についた岩場の陰に身を滑り込ませた。折しも、雷の低い音が響き、大粒の雨が落ちて地面を叩き始めた。
やれやれ、と岩陰に腰掛け、雨が茂った葉を叩くのを聞くともなしに聞いていると、ふ、とうなじに冷たい風が当たった。首を撫でながら振り返ると、岩陰の奥に、地下に続く横道が開いていた。冷たい風はそこから吹いてくるらしい。
「ふむ」
リュードはしばし顎に手を当てて悩んだ後、そこに潜り込むことにした。この時期、湿度の高い場所であれば薬になるキノコが手に入るかもしれないと考えたからだ。
「まさか、いつもの森にこんな場所があるなんて」
青い水を滔々と称え、淡く発光する地下湖にリュードは息を飲んだ。
コポコポと水が湧き出し、絶えず循環しているのであろう水はどこまでも透明で美しい。水の中には光を放つコケと、小さなエビのような生きものと小魚が泳いでいた。洞窟内にはちらちらと光を放つ鉱物も見てとれる。大収穫だ。
リュードは水を水筒に汲み、コケや鉱物をいくつか採取した。
「この石は……水果石か。いい色だ」
思わぬ収穫に重たくなったリュックを背負い直し、さてそろそろ雨も止んだだろうかと元来た道を戻る。戻る道すがら、つん、と鼻先を掠める匂いにリュードは眉を顰めた。血の匂いだ。
気配を殺し、なるべく静かに横道から岩陰に顔を出す。先ほどまでは確かにいなかったはずの男が
、血まみれで岩壁に身を預けていた。その足元には、絶命した狼型の魔物が転がっている。
「うわっ。い、生きてますか?」
「……生きてるよ」
「それは何より」
血まみれの男は喉を鳴らして小さく笑った。黒髪の髭面で、騎士の制服を着ているがどうやらユーモアを解するようだ。
リュードが簡単に男の傷口に止血を施す。あの狼は炎も纏う。彼の傷口も、通常の裂傷の他に火傷も目立った。ここでできることでは応急手当てにしても足りない。早めに手当てすべきだが、足元で血と泥の混じったぬかるみを作り出している狼型の魔物も、素材としてはぜひ欲しい。
「ちょっと失礼」
「お前、何を」
「まぁまぁ。あ、応急手当てで外した装備は重いし置いていきますね。あとで回収しましょう」
騎士の背に獣を括り付けると、騎士は信じられないといった表情でリュードを見やるが、リュードは知らぬ素ぶりで固定をすると、騎士の肩を貸した。
「お仲間は?」
「今日は単独任務だ。単なる見回りだった」
「あらら。じゃあ俺の家に運びますね。大丈夫、もうすぐなので」
声をかけながら、雨上がりのぬかるむ道を進み、やがて森に半ば埋もれたボロ家……リュードの家が見えてきた。
騎士の男を風呂場に連れ込み、血と泥に塗れ、焼け焦げが服を脱がせて清潔な水をぶっかけて洗う。いちばん大きな脚の咬み傷は幸い火傷はないが、咬まれた衝撃で骨が折れているらしい。
腕には防御創だろうか、火傷を伴う裂傷があった。他は細かな打ち身や擦り傷だろう。
「あーあーあーあー……痛そう〜。あの森に狼が出るなんて、たいへんでしたね」
「ああ。生息域ではなかったはずだから、油断した。群れでなかったのが幸いだ」
「子育てが終わった時期は、若いはぐれの雄が思わぬ場所をうろつくんですよね。普通の動物ならもう少し先が子離れですけど、魔物はその辺よくわかってないですしねぇ」
鎮痛剤を飲ませ、傷口を洗い終え、タオルで体を拭った後薬を塗って包帯を巻いていく。脚は止血後に添え木も当てた。火傷のある腕は傷もあるため、家に残っていた蜂蜜を塗って包帯を巻き、氷嚢を当てる。
「蜂蜜?」
「そう。化膿止めにもなるし、火傷にはいいんですよ。今日追加も取れたから、在庫も思う存分使えました。ま、ここで普通の薬師にできることって終わりなんですけど」
リュードはにんまりと口に笑みを乗せる。
「俺が唯一使える面白い魔法をお見せしましょう」
男がリュードが貸した清潔な服に着替える間に、狼の血抜きをする。騎士が持ち帰るかもしれないが、少しはお礼としてもらえる期待もある。
よく手を洗い、リュードは今日の収穫を机に並べ立てた。
蜂蜜、薬草数種類、光る苔、湧き水、水果石。
そこから蜂蜜を水果石、湧き水を手に取り、台所に立った。それから、酸味が強い果物と砂糖を取り出した。
まず水果石を水で洗い、ついでに「唯一使える魔法」を使う。リュードの手元が柔らかな光に包まれる。黒い洞窟の岩を母石としてくっつけていた柱状の鉱物だったが、その黒い母石がまるで野菜の皮でも剥くようにガサガサと剥がれ落ちた。
それも綺麗に洗い、プルプルとした感触になった水果石をボウルに入れて水にさらす。
その間に湧き水を煮沸し、酸味が強い果物の種を取り、その汁を加え、ボールに入れていた水果石も水から上げて鍋に加え、混ぜる。
やがて石が溶けたら火を止めてグラスに注ぎ、氷の魔術がかかった保存箱に入れる。
固まるまで待つ間に、新しい水果石に魔法をかけ、こちらの母石も剥き、こちらは水に晒さずに軽く洗って水を切り、包丁で一口大に切って蜂蜜に和える。
急速に固まったグラスを保存箱から取り出し、蜂蜜で和えた水果石を上に乗せ、酸味が強い果物もスライスして添えて完成だ。
「でーきましたよ」
「魔法を使うと言っていたが、料理のことか?」
鎮痛剤が効いて少し落ち着いたのか、騎士の顔色はだいぶよくなっている。疑わしげにリュードが持ってきたグラスを睨むくらいには元気もあるらしい。
「なに、手当ての仕上げですよ」
「手当ての?」
「そうです。まぁどうぞどうぞ。美味しいですよ」
男はそう言われ、匙で薄水色のプルプルした水果石を持ち上げ、訝しげにしげしげを眺めた後、リュードも同じものを口に運んだのを見てから匙を口に入れた。
「美味いでしょう?火傷によく効きますよ。本当は骨折に効く石が欲しかったんですけど、それは今在庫がなくて」
「確かに美味いが……石?」
「今口に入れてるやつです」
騎士がきょとんと目を見開く。リュードはいたずらが成功したような顔でにんまりと笑うと、水果石を机に置いた。
「これですよ。美味しいでしょう」
騎士は石を手に取り、信じられないといったように矯めつ眇めつ石とグラスを見比べている。
「俺の唯一使える魔法はね、石を食べられるようにする魔法」
「なんだそれは」
「ですよね。俺もなんだそれって思ったんですけど、俺が食用に転化した石って薬用効果が高いものもあることに気がついて、どうしようもない魔法しか使えない落ちこぼれの小僧は薬師を目指すようになったんですな」
「そうか……」
「ま、そう見る見る治るようなもんでもないですが、痕は多少薄まると思いますし治りも早まるはずです。という訳で今回のお代はこれくらい」
ぱくぱくと甘味を食べながら、リュードは笑顔で使用した材料等が記載された領収証を取り出した。
「あといらないならあの狼の魔族も欲しいんですけど。あれくれるなら多少値引きしますよ」
「……たくましいやつだな」
騎士は毒気を抜かれたように小さく笑うと、頷いてそれを懐に仕舞った。
「防具の回収の時に支払いさせる。狼は証拠として耳が必要だが、ほかは好きにしていい。値引きもしなくていい」
「あら、そりゃ有難いお話で」
「かわりに、騎士団に迎えを寄越させるまでここに居てもいいか?」
「もちろん、なら前に漬けてた蜂蜜酒も出しましょう。今日新しいのも漬けますしね」
リュードと騎士は顔を見合わせてにんまりと笑うと、薄青に金の蜂蜜を纏った甘味に再び取り掛かった。
【蜂蜜】
蜜蜂をはじめとする蜂が花の蜜を採取し、貯蔵したもの。集める花によって色合いや風合いが異なる。保存性が高いため用途は多く、甘味はもちろん保存食としても利用される。調味料として肉などにも使われる。酒の原料にもなり、火傷にも有効。その他の用法としては、化粧品や芳香剤、画材にもなる。
【水果石】
よく水辺の洞窟などで見られる水色の鉱物。柱状で淡い水色をし、透明度が高ければ宝石としての価値もあるが、硬度が低く、傷つきやすいためあまり高価な石ではない。食用に転化した場合、火傷や炎症に効用がある。熱を加えると溶け、冷やすと固まる性質をもつ。味はさっぱりとしていて、青いブドウを思わせる瑞々しさが楽しめる。