ヘビは意外と怖がりの臆病者でした~ヤンデレ神官は聖女の愛を信じない~
あとがき部分に、キャラクター紹介があります。
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教会の直轄領でのみ、大規模な不作が発生した年のある夜のこと。わたくしは自室の窓から、村人が教会に火を放つのをぼんやりと眺めておりました。こんな状況になってもなお、村人たちに食糧を配給することもなく贅沢三昧の聖職者たち。金を溜め込んでいる教会が襲撃の対象になるのも当然のことです。
すぐにわたくしの部屋にも、煙が回ってくることでしょう。逃げ出そうにもわたくしがいるのは教会の最上部。どうせ外へ逃げ出したところで、暴徒と化した村人たちになぶり殺されるのが関の山です。それだけの憎しみを集めているのが今の教会。それならばここでひとり最期を迎える方が、いっそ穏やかに旅立つことができるはず。そう覚悟を決めていたにもかかわらず、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
「聖女さまはすでにその身を神に捧げられた。尊きそのお志を踏みにじるつもりか」
朗々とした声で教会に押し入った村人たちに語りかけているのは、わたくしの側仕えをしていた神官アルメルです。贅沢を好まず、質素堅実な姿勢から村人たちからの信頼も厚い彼の言葉に、ぴたりと辺りの怒声が止みました。純白の神官服に咲いた小さな赤い花に気がついたのかもしれません。
端正な顔をしているにもかかわらず、普段は下を向いてどこか憂鬱そうな様子をしていたアルメル。ともすれば地味で暗い印象を与えていたのが信じられないほど、今の彼は堂々としています。その声色は教会の中でゆっくりと響き、いっそ厳かにさえ聞こえるのです。まったく、とんだ詐欺師ですこと。
そもそもわたくし、まだ死んではおりませんのよ。ちょっとした仮死状態とでも言うのでしょうか。ぐったりと体に力が入らず、側仕えの彼にお姫さま抱っこされておりますが。さらに言えば、目も見えず声も出ませんけれど。それでも、心の臓が止まってしまっているわけではないのです。
「不作は神の怒りそのもの。我ら人間の罪は、聖女さまによって贖われたのだ」
ぼんやりしていたわたくしは、続くアルメルの言葉にはっとわれにかえりました。これは聞き逃せません。ちょっとお待ちになってくださる? 「我ら人間」だなんておっしゃるけれど、そもそもあなたは人間ではないのではなくって? お忘れならば言わせていただきますが、わたくし、あなたにいきなりがぶりと首元を噛まれたせいで、こんな風になってしまいましたの。しかも勝手に舌で首筋をなめあげるなんて、躾のなっていないヘビですこと。
お妃教育で毒への耐性をつけていたわたくしがあっさりと倒れたのですから、一体どんな猛毒なのやら。おそらく不作とやらにも、彼が一枚噛んでいるのでしょう。ひんやりと体温の低いアルメルのてのひらを感じながら、わたくしは心の中でため息をつきました。まったくこれからどうなってしまうのでしょう。やっぱりわたくしの人生踏んだり蹴ったり。どこに行ってもうまくいかないものなのですね。
「やっとやっと手に入れた。これであなたは、俺だけのものだ」
わたくしにだけ聞こえる不穏なささやき。悲しみに沈む周囲をよそに、アルメルは小さく震える手でわたくしの手をとるとそっと口づけました。それは聖女へ別れを告げる敬虔な神の僕のように見えるに違いありません。嬉しくて笑い出したくてたまらないのを必死で堪えているだなんて、きっと誰も気がつかないでしょう。
ちょっと、どさくさにまぎれて変な場所を触らないでくださいませ。なんとも歯がゆいことに、この状態では悲鳴をあげることもできず、胸の中で悪態を吐くことしかできません。わたくしはその後、教会墓地に埋葬すると見せかけて、あっさりと連れ去られてしまったのでした。
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わたくしが教会に身を寄せるようになったのは、わたくしとこの国の第二王子殿下との婚約が解消されたことによるものでした。政治的な背景で結ばれた婚約が解消されたのは、殿下の「運命の恋」とやらが、異類婚であったためです。もともと王家の成り立ちも、異類婚姻譚として語り継がれています。通常ならば許されない婚約の解消も、神の御心とあらば祝福されてしまうのです。
本当に悪趣味な神さまですこと。政治的なバランスや貴族の男女比を考えずに行われる異類婚によって、一体幾人が涙を流してきたことでしょう。そもそも種族が異なる相手に対して、恋心など抱けるものなのか不思議でなりません。例えば昆虫などは人間とは異なり、骨格が一番外側にあるわけです。柔らかい皮膚を晒してうろついている人間なんて、奇妙極まりない生き物に見えるのではないでしょうか。まあ、こんな夢のないことばかり考える女ですから、殿下の心を繋ぎ止めることもできなかったのでしょう。
殿下の隣で微笑むお相手のような可愛らしさがわたくしにあれば。どこかきつく見えがちなわたくしとは正反対の容姿が憎たらしい。ええ、わかっておりますとも、男性はみなあのように庇護欲をそそる女性がお好きなのです。一体彼女はどんな種族だったのでしょうか。いっそ、カマキリかクモだったらよろしいのに。殿下など頭から食われてしまえば良いのです。
幼少期から受けていたお妃教育もすべて水の泡。王家はしっかりと慰謝料と次の結婚相手を見繕ってくださいましたが、わたくしは慰謝料のみを受け取り、新しいお相手についてはつつしんでお断りさせていただきました。こちらが頑張ったところで、またも「運命の恋」とやらが生まれてしまっては勝ち目がありません。これ以上、当て馬になどなりたくないのです。
異類婚姻譚は嫌いですし、それを賛美するこの国も、教会が祀る神様も大嫌いです。それでもわたくしが心穏やかに暮らせる場所は、皮肉なことに教会しかなかったのでした。
「殿下の大馬鹿者! 自分だけ幸せを見つけるだなんて、さっさとはげ散らかしてしまえば良いのですわ!」
優雅な貴族暮らしから堅苦しい教会暮らし。どうなることかと心配していたものの、わたくしは静かな生活を意外なほど心地よく感じておりました。特に気に入っていたのは、教会の敷地内にあった清めの泉です。こちらで殿下への怒りを叫ぶと心が洗われるようでした。今までの人生で使ったことのないような言葉のお陰ですっきりしたのもつかの間。この日課が修行だと見なされて、聖女のような力を授かってしまうことになるなんて。
ひっそりと教会内に引きこもって余生を過ごす予定がまったくもって台無しです。何かあるたびに、王族と同じ場所に立ち続けることが苦痛でした。何が悲しくて、元婚約者たちが仲睦まじげに過ごす姿を見なくてはならないのでしょう。
聖女などなりたくもない。ともすれば腫れ物のように扱われるわたくしを、アルメルは特別扱いすることはありませんでした。わたくしが何か失敗をすれば、片眉をあげて少しだけ嫌そうに頬をひくつかせてはいましたけれど。けれど、他の神官たちのように、わたくしのことを憐れんだり、あるいは媚へつらわれるよりもよっぽどましだったのです。
わたくしは、さっさと聖女を罷免されたいという思いから、あえて他者にはきつく当たっておりました。嫌われればそれだけ早く、聖女にふさわしくないと判断してもらえると思ったからです。教会の掟は率先して破りました。見ず知らずのご令嬢に難癖をつけたこともあります。それでも教会は見て見ぬふりをするばかり。扱いやすい馬鹿な娘だと思われたのか、わたくしの周りには教会で甘い汁を吸う狸爺ばかりが集まる始末。
多くの神官たちが日毎に陰口を叩くようになる中で、アルメルだけが我関せずと言わんばかりに、無言を貫き通しておりました。それをわたくしは、わたくしのことなど眼中にないからだと思っていたのです。もともと聖女の資格などないと思われていたがゆえに、諌められることも蔑まれることもないのだと。王子への憎しみから力を得るなんて、確かにありえないことですから。アルメルの中に、これほど強い感情があるなんて想像することもできなかったのです。
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「あなたはこれから、下賎と見下したこの俺に身体を暴かれるのだ。さあ、この醜い顔をよくよく心に刻み込むがいい」
アルメルはそう言いながら、わたくしを三日三晩むさぼりました。最終的に毒が少しばかり抜けたところで、アルメルに平手打ちをしてやっと寝台から離れることができました。力なく振り上げたわたくしのてのひらとこぼれ落ちた涙。アルメルはそれを、わたくしからの拒絶だと理解したのです。
けれど考えてもみてください。いくら毒で弛緩し、どれだけ丁寧に扱われたとしても、飲まず食わず、不眠不休の状態で絶倫の相手ができますか! 少しくらいわたくしから罵られても、仕方がないのではありませんか。わたくしはヘビではないのです。初夜で腹上死だなんてまっぴらごめんですわ。
しかも、あの男、何も知らぬ初心なわたくし相手になんということを教え込んだのでしょう。せめて普通のやり方はできなかったのでしょうか。どうしてこの国の神は、微妙な場所の種族らしさにこだわるのでしょう。アルメルからはその後言い訳のように決して痛みは生じないように配慮されていると聞きましたが、普通にしてあればそのような配慮などそもそも必要ないのです。ええ、口に出すのもはばかられることに、もうすっかりそれにも慣れてしまいましたけれど。
「窓の外の月ばかり見て、そんなに殿下が恋しいか」
時々アルメルは、勝手な解釈をしてわたくしを組み敷きます。可哀想なひと。月がどうして第二王子殿下と結びつくのです。あの月の色は、あなたの瞳の色に良く似ているでしょう。けれどそう思ったところで、アルメルにわたくしの言葉は届きません。わたくしが答えるよりも先に、わたくしの唇を封じて言葉を奪ってしまうからです。
アルメルが素直になるのは、わたくしが眠っている時だけ。時々夜中に目を覚ましてみれば、驚くほど優しい言葉を聞くことができます。
「ひっそりと涙を流すあなたを見て、ただ笑ってほしいと願っただけなのに。結局俺が、あなたを苦しめる。愛してくれなんて言わない。憎んでくれていいから、どうか俺を見てほしい」
愛されないならいっそ憎まれたいだなんて。最初から甘やかして大切にしてくださったなら、わたくしはきっと素直にあなたに心を預けましたのに。だってこんな風に屋敷の中に閉じ込められている今でさえ、アルメルのことを憎めないのです。わたくしはいつも、アルメルが部屋に来てくれるのをずっとずっと待っているのです。気が触れたと言う者もいるでしょう。ほだされただけだと思う者もいるでしょう。良いではありませんか。恋とは熱病のようなもの。アルメルとわたくしの間に生まれた熱は、確かに今ここに存在しているのです。
わたくしは、教会でアルメルに出会った時から彼のことを好ましく思っておりました。
わたくしのことを特別扱いしない姿を。
淡々と日々の雑事をこなす姿を。
欲に溺れる狸爺たちの代わりに村人たちへ施しを行う姿を。
村人たちとともに荒れた農地を耕す姿を。
アルメルだけがわたくしの涙を知っていたように、わたくしだってずっとずっとアルメルを見ていたのですから。
アルメルは痛みを感じさせないように、そしてわたくしが逃げださないように、いつも行為の前には首筋に歯を立てます。少しずつ毒に慣れたとはいえ、今でもその最中にかすかな喘ぎ声を上げること以外許されないのです。
ぎゅっと抱きしめられたところで、力の入らないこの腕ではアルメルを抱きしめることなどできません。
「愛している」と囁かれても、「愛している」と返すことはできません。
優しい口づけに応えることも、脚を絡ませあうこともできないのです。
ああ、アルメル。あなたはいつになったら、わたくしを信じてくれるのでしょう。
本当に臆病なひと。傷つくのが怖いから、先にわたくしに噛みつくなんて。毒を放っておきながら、愛されたいと嘆くなんて。けれどその愚かさがわたくしには何より愛おしい。わたくしをあっさりと捨てた殿下を覚えているからこそ、わたくしはあなたに執着されるのが嬉しいのです。わたくしを聖女として祭り上げた教会を覚えているからこそ、力ではなくただわたくしだけを求めるあなたが好ましいのです。
「愛している。本当に、愛しているんだ」
ええ、アルメル。わたくしも、愛していますわ。
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「おかあしゃま、だいしゅき」
「ありがとう。お母さまもあなたのことが大好きよ」
末の娘が、わたくしにぎゅっと抱きついてきました。ふんわり甘いお日さまの匂いに、つい顔がほころんでしまいます。子どもというのは、どうしてこんなに良い香りがするのでしょう。
陽の当たるサンルーム。春の光が柔らかに射し込んできます。人型をしているからとはいえ、ヘビの血を継いでいるからでしょうか。寒さが苦手な子どもたちは、みなここに集まってのんびりと過ごしています。可愛い子どもたちに囲まれて、わたくしは幸せです。親馬鹿になってしまうのを止められないほど、みな自慢の子どもたちなのです。結婚などしない、一生教会暮らしで構わないと思っていたわたくしが、まさか4人も子どもを産むことになるなんて。
「もう、おかあしゃま、くしゅぐったい」
わたくしが子どもたちを抱き締め、ほおずりしていると、アルメルが庭を横切って行くのが見えました。窓越しにこちらを一瞥したっきり、苦虫を噛み潰したような表情で立ち去っていくその後ろ姿は、不機嫌なのがまるわかりです。そう、アルメルもまたこの団欒にまざりたいのです。だったらさっさとまざれば良いものを、「一緒にいいかい?」というそのたった一言が言えない、不器用で大人げないひとなのです。
「まったく、困ったお父さまだこと」
わたくしは子どもたちを離し、アルメルを追いかけます。子どもたちも、なんとも不器用な父親のことを知っていますから心得たものです。そう、自分達の父親が、本気で子どもたちに焼きもちをやいているということをこの幼さですでに理解しているのですから。末っ子の娘にまで気遣われるとは、何とも情けないではありませんか。
本当にいつになったら気がつくのでしょう。愚かで臆病者のわたくしのアルメルは。好きでもない相手の子どもを4人も産み、育てることができると思っているのでしょうか。アルメルの願い通りわたくしがアルメルを憎んでいたならば、望まぬ子どもの顔など見たくもないと育児放棄しておりますものを。
そもそも異類婚は、相手に受け入れられ、愛されなければ破綻してしまうはず。神にも良心があるのでしょう、押しかけ女房だろうが、攫い婚だろうが、結婚が成立するというものではないのです。結婚相手の心が離れてしまったならば、ともにはいられない。もとの姿に戻るどころか、最悪命を落としてしまう。それが異類婚の掟なのです。自身が元気で動き回っていることを鑑みても、愛されていると理解しても良いはずですのに。
けれど、寝台以外で「愛している」と言ってくれないのなら、わたくしだって伝えてはあげません。わたくしは、アルメルがわたくしのことを愛しているのだと十分に身をもって知っておりますけれど、それとこれとは話が別なのです。わたくしは、結婚式も何もなかったことだって怒っているのです。プロポーズもウェディングドレスも女性の憧れ。それをひとっとびして四児の母になってしまったのはいただけません。
それでも、そんな困ったアルメルのことが、わたくしは本当に大好きなのです。破れ鍋に綴じ蓋、蓼食う虫も好き好き。きっとそんな風に言われてしまう傍迷惑なわたくしたちですけれど、物語の終わりはいつだって「めでたし、めでたし」だと決まっているのですから。
◼️登場人物紹介◼️
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聖女さま
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高位貴族のご令嬢。虫嫌い。
見た目は本人が言うほどキツくはない。キツく見えるのは、徹底的に相手を追い詰める彼女の物言いのせい。4人も子どもを産んだとは思えないほどの若さと美貌を保っている。
「むやみやたらに大量の脚がある生物より、いっそ脚のないヘビの方がまだマシ」と教会お抱えの庭師に話しているのを聞かれたせいで、アルメルにまとわりつかれるようになった。ぶっちゃけ聖女的には、正直どちらも好きではない。とはいえ、うっかりもふもふを褒めたり愛でたりするとアルメルが泣くので(そして夜に泣かされる羽目になるので)、気をつけている。
高位貴族のご令嬢らしく、弁がたつため怒らせるととても怖い。アルメルに対しても「少しくらい」どころかがっつり文句を言い(その権利が彼女にはあるわけだが)、アルメルの心をぽっきりと折った。ネチネチと貴族らしい回りくどい嫌味を連発するため、精神的なダメージが大きい。
教会の敷地内にある泉は、泉というよりも滝。毎晩滝に打たれながら絶叫していたため、神さまもちょっとビビって聖女っぽい力を授けて逃げた。
(イラストはあっきコタロウ様)
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アルメル
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ヘビの王子さま。
イケメンだが、根暗で下を向いてばかりいるので誰もその顔の良さに気がついていなかった。神殿にいた時は前髪長めで目元も隠れていたが、神殿を離れた後は聖女の好みにより目元が見える長さに髪を整えている。
自己評価が低く、色々とこじらせているせいで、聖女との関係が無駄にややこしくなった。普通に結婚を申し込んで還俗させれば良いものを、「どうせ自分なんかと結婚してくれるはずがない」と、聖女の地位を失うように画策。悪評が流れるのをあえて放置し、最後は聖女が死んだように見せかけて誘拐した。普通に犯罪だが、聖女が許しているので結果オーライ。(実際、もしも本当にアルメルが結婚を申し込み、聖女が承諾したとしても、聖女の力を教会が手放すはずもなかった)
なお、好きすぎて聖女の名前がなかなか呼べない純情。そのくせ夜はがっつり聖女を食らう。まだ幼い息子、娘たちから、ダメンズ、ヘタレなど散々な認識をされている。また無意味に神官服を着ていることは、キモいと評されている。(着用理由は、聖女に似合っている、カッコいいと言われたから)