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Part11 奈落ヲ這ウ闇

 天井の排気口から漏れる臭い。

 それは一度鼻に突き刺さるとへばりついて取れない、例えるなら何日も履き続けた靴下のような。独特で、強烈な臭いだった。

 鼻が捻じ曲がりそうになる悪臭に、思わず後ずさりしたその直後。

 排気口から降ってきた何かが、俺の鼻を掠める。


「臭いの元は、これかッ......!」


 足元にある黒くねばついたヘドロを見て、俺は顔を歪ませる。

 立体感が感じられない程に黒いそれは、まるであらゆる光や彩りを飲み込む、この世の闇。


[ベチリ、ベチョッ]


 不快な音と共に次々と排気口から落ち、積み上がって行く闇。

 それは瞬く間に俺よりも大きくなり――

 身体の一部を腕のように変形させ、俺に襲い掛かって来た。

 

「ハルトッ!」

「分かってる、っよ!」


 予めこうなる事を予感していた俺は、懐からステッキを取り出し炎で迎撃する。

 が、ヘドロの動きが鈍るだけで、燃えるまでには至らない。


「このっ......ガッ、ゥグ」


 同時にヘドロから発せられる、悪臭の蒸気。

 それをモロに浴びてしまった俺の目や鼻、喉に刺すような痛みが襲う。


「ゲホッ、ガッ、ホ......!」


 咥内をタンや涙が噴流し、酷くせき込む。

 こうなっては、攻撃を中断せざるを得ない。


「<ウインド・スラスト>!」


 その間に詠唱を終わらせていた真耶が、横から風属性の魔法を打ち込んだ。

 耳元を風が抜けるのを感じた後、壁に土がぶつかったような音が聞こえる。

 その後、真耶が足音を響かせて駆け寄って来た。


「大丈夫ですか、ハルト」

「ああ、悪い......」


 涙が止まらず前の見えない俺は、声を頼りに真耶の肩を掴む。


「アレは......どう、なったんだ」

「バラバラになって動かなくなりましたよ。ハルトも、今は喋らないでください」

「そ、だ――エ゛ッ、ゴホッゴホッ!」

「言った傍から......」


 溜息を漏らす真耶。

 それから真耶に促され、目を閉じたまま俺は腰を降ろした。

 真耶の足音が、部屋の中心へと向かう。恐らく、端部にケーブルを差し込むのだろう。


 それにしても、アレは何だったのだろうか。

 ここは真耶の心の世界。なら、普通の魔物とは考えづらい。

 酷い膿の臭いがしたのも引っかかる。これも、真耶の心を反映している気がするが......


「ハルト、立ってください」

「何、が......!?」


 真耶の声にはやや焦りがにじんでいる。

 何事か。そう思った直後に、その答えは聞こえて来た。


[ベチリ、ベチョッ]


 不快な音に、耳が奥まで冒される。

 目を服の袖で強く擦り、それでも溢れる涙に邪魔されつつも音源に目をやると――


「くっ、まだ来るのかよ......!」


 嫌な予感が的中する。

 黒いヘドロが、また排気口から落ちて来たのだ。


「逃げるぞ、真耶!」

「はい」


 短く言葉を交わし、俺達は急いで部屋から出る。

 そしてすぐにドアを閉め、炎で鉄を溶かして隙間を埋めた。

 これで、少しの間ならあのヘドロを閉じ込められる――


[ベチリ、ベチョッ]


「おいおい、マジかよッ......!?」


 などと言う想定は甘かった。

 坑道を走るダクトホースが不自然に膨らみ、破れてヘドロが中から噴き出す。


「一体どうすれば――」

「ハルトッ、今はここから離れるのが先決です」

「そうは言ったって、何処に逃げるって言うんだよ!?」

「安心してください、私に考えがありますので」


 本当かと聞く余裕は無かった。

 手招きする真耶の後ろを追う形で、俺達はヘドロから逃げ出す。

 が、走っても走っても頭上のダクトホースからヘドロが漏れ出し、振り払えそうな気配が無い。


「な、なあ真耶っ、本当に大丈夫なのかっ!?」

「それは―― ! ありました、こっちです」


 息を切らしながら質問する俺に、言葉を詰まらしかける真耶だったが、何かが見えたのか走る速度を上げる。

 手前に見えるのは切り替えスイッチ。

 真耶は合流した先の進行方向では無く、もう一つの分岐に入って行く。


「こ、これは......!」


 その奥にあったのはトロッコだった。

 盛られた土の上に、人二人なら余裕で乗れそうな大きさの貨車が止めてある。


「ハルト、早く」

「あ、ああ!」


 俺がトロッコに飛び乗った直後、真耶が脇に付いていたレバーを倒す。

 するとトロッコは勢いを付けて斜面を駆け下り、レールの上を滑りだした。

 人が走るよりも、何倍も早く移動できる手段。

 これならヘドロも振り切れるかもしれない。


「よくこんなのがあるって分かったな」

「当然ですよ、私の心の世界ですから」


 黒髪をなびかせ、真耶が涼し気な顔で返す。

 ヘドロが追って来ている事のサインであるダクトホースの異常も、トロッコを走らせる内に目に付かなくなった。

 どうやら、振り切るのに成功したようだ。


「にしてもこのトロッコ、どこに向かってるんだ?」

「それは――待ってください、部屋です」

「ああ、やっと見えたか」


 真耶の指差す先に、鉄製のドアが灯りに照らされ浮き上がっていた。

 ドアを見た瞬間、緩んでいた気持ちが引き締まるのを感じる。


「ハルト、ブレーキを掛けます。耳を塞いでください」

「分かった」


 俺が左右の手を両耳に当てたのを確認してから、真耶はレバーを立ててブレーキを掛ける。

 金属が擦れる音は耳を塞いでいても強烈で、頭が割れるかと思うぐらいに煩い。

 が、真耶は相変わらず涼し気な顔をしている。

 やはり、子供の頃に聞き慣れていたのだろう。


 トロッコから降り、俺達はドアを開ける。

 その先にあったのは、またしても端部。

 そしてその上には――


「今度はなんだ......何かの包み紙?」

「......」


 拳より少し大きいぐらいの包み紙が、端部の上に乗っかっている。

 紙の表面には、何かのロゴマーク。


「ではハルト、次は私自身ですね」

「あ、ああ......」


 何にしても、これと真耶の暗い過去が繋がっている事に間違いは無い。

 身構える俺に対して、気にせず端部へ近づく真耶。

 よく臆さずに近づけるな、と感心しかけるが、今考えるべきはそこでは無い。

 包み紙に描かれた、あのロゴマーク。......気のせいだろうか、何処かで見た気がする。


「確かコレって、前行ったファストフード店の......!」


 俺がその正体に気付いたのは、真耶が包み紙に触れた直後だった。

 それと同時に、以前に真耶が言っていたある言葉を思い出す。

 『お嬢様が一緒で無ければ、絶対に食べない物です』。


「そうか、そう言う事だったのか......!」


 俺はてっきり、健康面から余り食べたくないと言う意味だと思っていた。

 だが、今コレが出現した場所は真耶の心の闇を映した世界。

 つまりは、真耶にとって辛い記憶を想起させるものだったのだ。


「うっ、ゴホッゴホッッッ!」

「真耶!? 大丈夫か!?」


 突如、包み紙に触れていた真耶が咳き込む。

 すぐさま駆け寄り、真耶の様子を伺うが――


「お、おい真耶、聞こえてるのか!? おい!」


 真耶の様子がおかしい。

 目を開いてはいるが、その焦点は合っておらず、俺の言葉も聞こえていない印象だ。

 そして、もう一つ気付く。

 真耶が触れる包み紙が、段々と消えている事に。


「もしかして、これが......」


 呼びかけても反応しない真耶。消えていく包み紙。

 これは、先ほど皿に触れた時の俺と似ている。

 つまり今、真耶は自身の過去を追体験しているのだ。


「辛い......よな。無事だと良いけど......」


 苦しんでいる真耶を目の前に、俺は何も出来ない。


「ウッ、ァ、アア......!」


 今度は耳を押さえ、うめき声を漏らす真耶。

 真耶は何を耐えているのか。何を見ているのか。

 待つ事しか出来ない自分が、酷く無力に感じた。


「ァ、ああ......はあ、はあ......」


 何分続いていただろうか。

 苦しんでいた真耶の声が、不意に落ち着く。

 端部にあった包み紙は、消えて無くなっていた。


「真耶、大丈夫......か?」

「ハルト、ですか。ええ、大丈夫、ですよ」

「......」


 口ではそう言っているものの、顔の青い真耶は本当に具合が悪そうだ。

 わざわざ辛い過去を聞き出す理由も無いだろう。

 そう考えた俺は、真耶が落ち着くまで暫く待とうと


「......それもさせてくれないのか。ほんと、質が悪いな」


 したものの、その淡い願いはすぐに打ち砕かれる。

 耳を澄ませると、あの不快な音が近付いていた。

 それは真耶も感じ取ったようで、一瞬だけピクリと顔が動く。


「真耶、ケーブルの準備は」

「ええ、差し込むだけなので、直ぐに終わります」

「そうか、終わったら外で待っといてくれ。もしトロッコが使えそうなら、発車させる準備を頼む」

「分かりました。......何かしたい事があるのですね、ハルト」

「ああ、奴さんに仕返しを、な」


 ニッと不敵な笑みを浮かべると、真耶の顔が少しだけ緩んだ。

 真耶は言われた通り端部にケーブルを差し、先に部屋の外へ。

 その際、トロッコの位置はそのままにするよう伝えると、真耶はやや困惑した声で返事した。


 そう、トロッコはそのままの位置。

 この部屋から少し離れていないと、巻き添えを喰らいかねない。


[ベチリ、ベチョッ]


 真耶が出た直後、ヘドロが天井から落ちて来る。

 相変わらず嫌な音だ。が、今この瞬間においては、待ち侘びていた音だ。


「さあて、爆ぜてもらおうか、ヘドロさん?」


 手に持ったステッキで、憎きヘドロを指し示す。


「<火の力よ その熱の作用の源よ 我に力を貸したもう」

 先の戦闘において、炎だけでは奴を倒せなかった。


「我が求めるは爆発なり 全てを破壊する爆裂なり」

 が、真耶の風により、奴は崩れた。

 恐らく、炎を浴びる事で一部の身体の水分バランスが乱れ、崩れてしまったのだ。


「炎の脅威を体現し 地上の象を爆破せよ>」

 であれば、炎と風の両方―― つまり爆発を以ってすれば、奴を倒す事が出来るはず。 


 <エクスプロージョン>の組成式を構築した後、それを残したまま踵を返すように部屋から出る。

 

「真耶、三つ数えるから、それと同時に発車だ!」

「分かりました」


 急いでトロッコに飛び乗り、


「3......2......1......」


 カウントを取り、


「<エクスプロージョン>!」


 そして、唱えた。

 瞬間、発光と共にヘドロの居る部屋が爆ぜる。

 爆発による衝撃は外の壁にまで伝わり、部屋があった辺りの坑道は大きな音を立てて崩落した。

 真耶の<ウインド・スラスト>により発車させたトロッコの中で、俺達はその様子を見届ける。


「随分と派手にやりましたね......」

「ああ、奴さんも間違い無く、爆発四散だな」

「......こんな事をしても、どうせまた現れるとは思いますが」

「いーんだよ、こうやらないとスカッとしないし」

「自己満足ですね」

「ああ、大満足だ!」


 へへ、と得意気に笑う。

 毒を吐き、溜息まで付いている真耶だが、その顔には笑みが浮かんでいる。

 二人を乗せたトロッコは、そのまま終着点まで――


「ぶえっくしょい!」

「何ですかハルト、そのわざとらしいクシャミは」

「いやだって、冷たいからさ......」


 ......自分でも格好悪いタイミングだったとは思う。

 しかし、空気が冷たいだけで無く、トロッコ自体が何故か濡れており、それが余計に身体を冷やすのだ。

 だが、何よりも不思議なのはトロッコから発せられる臭い。

 さっきは嗅覚がやられていたせいで気付かなかったが、何処か消毒液のような臭いがする。


「トロッコが濡れてるのは地下水のせいとしても......この消毒液臭いのが変だな。なあ真耶、ここでしてた事って一体 ―― 」

「......」

「真耶?」


 俺は疑問に対する手掛かりを得ようと、真耶に尋ねかけて―― そして、辞めた。

 真耶が、真剣な表情でこちらを見たからだ。


「ハルト、貴方は動作テストのサポートとして、この世界に来た。そうですね」

「そう、だけど」

「一つ約束して欲しいのです。もし端部に触れると見る幻覚が、この研究施設の目的に触れるような内容だった場合......私に、その役を譲ると」

「真耶......」


 助け合おうと言った後の、負担を偏らせる提案。

 普段なら反論の一つや二つが出そうなものだが、真耶の顔を見てその気も抑えられてしまう。


「私は、この研究施設の目的を知っています。そして、だからこそ言える。この施設の目的を、無理に知る必要は無いのだと」

「それは、俺の番がもう無いって事か」

「いえ、恐らく次のものは違います。かなり苦痛を伴う内容だとは思いますが......」

「そんなに、この研究の闇は深いってのか」

「はい。ですので、どうか」

「......分かった」


 正直、ここまで素直にお願いをして来る真耶は珍しい。だからこそ、どれだけ研究の内容を知って欲しくないと願っているか、その気持ちの強さが伝わる。

 ここで拒否するのは、逆に真耶の為にならない。

 そう感じた俺は、大人しく真耶の提案を飲み込む。


 重い空気を引きながら、トロッコは終着点に着く。

 俺が直接役に立てるのは、これが最後かもしれない。そう思うと、自然と足が早くなった。

 ドアを開けた先には――


「これは......台車か?」


 空の台車が、部屋の真ん中に鎮座している。

 見た所、おかしな様子は無い。

 真耶の予想通り、この研究の核心に触れるほどのおぞましい幻覚では無いだろう。


「よし、行くぞ......!」


 そう思い込んだ俺は、グッと心を引き締めて台車に触れる。

 その時。


「ハルト、それは......!」


 ほんの一瞬遅れて入って来た真耶が悲壮な表情を浮かべたかと思うと、瞬時に視界がブラックアウトし


「こ、れは......?」


 視界が戻った時、俺は生物(なまもの)の積み込まれた台車を手にしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんだかハルトくんがとても頼もしくなった気がして感無量です。魔法も使いこなしてるし、マヤちゃんのことも気遣ってるし…………これは本当にハルトくんですか?実は双子の弟がいるとかいう裏設定は……
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