Part10 悪夢之片鱗
次に俺達が放り出された心の世界は、青空が広がる世界から一転、暗く冷たい空間だった。
その落差に戸惑いを感じつつ、俺はイスミに連絡を取る。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、イスミさん」
「んムム、如何されましたかな、ハルト青年ッ!」
「イカガも何も......何なんだ、ここは? ここも......真耶の心の世界だって言うのか?」
「正解ッ・的中ッ・ザアァァァッツライト! 今お二人が居るのは、藤宮 真耶の深層世界でありますればッ!」
「深層......世界......」
深層。心の奥。
つまりそれは、この暗い世界が真耶の心に横たわっていると言う事に他ならない。
「この世界にある端部は五つ! 接続が終わりましたら連絡するのですぞッ! ではっ!」
「お、おい――」
[ブツリ]
「......」
またも一方的に接続を切るイスミ。
どうしたものかと途方に暮れて膝に手を付ける俺だが、それに構う事なく真耶は左前方――ドアのある方向に向かって歩く。
きしんだ音を立ててドアが開くと、同時に冷たく湿った風が顔に貼り付いて来た。
「やはり、ここですか。懐かしいですね」
ドアを開け放ち、突っ立ったまま、真耶はポツリと呟く。
その視界には何が映っているのか。
気になった俺はそろりそろりとドアに近づき、真耶の後ろから外の様子を伺う。
「これは洞窟......いや、トンネルか?」
正面は壁。
が、左右に首を向けると、赤い電球に照らされた道が延々と続いている。
その形状は直線的で、自然な洞窟には見えない。
天上はU字型のコンクリでしっかりと固められ、壁には太いポンプが何本も走っている。
誰がどう見ても、人の手で作られた空間だ。
「廃坑ですよ。正確には、廃坑を利用して作られた極秘の研究施設、だったようですが」
「研究......施設......!?」
思わず、背中が凍り付いた。
『廃坑を利用して作られた極秘の研究施設』とは、どのような場所なのか。
ゲーム等でよく見ている事もあって、その答えには直ぐに辿り着いた。
内容が何にしろ、ここで行われていたのは真っ当じゃない研究だったに違いない。
そしてこの光景を目にした真耶が、一瞬にして研究施設だと分かったと言う事は――
「なあ。真耶は......藤宮邸に来る前は、こんな所に居たのか?」
「ええ。と言っても、二年間だけでしたが」
「その間、外に出た事は――」
「ありませんよ。ずっとこの暗い空間に、閉じ込められていましたから」
「......」
頭の中を様々な考えがよぎる。
こんな空間に二年間も閉じ込められ、真耶は正気でいられたのか。
何をして、何をさせられていたのか。
浮かび上がるのは、どれもこれも目を覆いたくなるような悲惨な内容ばかり。
胸の内に吐き気を感じ、俺は無理やり思考を切り替えようとする。
「とにかく、端部を早く見つけよう。ずっとこんな所に居ると気が狂いそうだ。真耶、道とか分かるか?」
「いいえ......私は子供でしたし、十年以上も前の事ですからね。この施設の中を自由に移動していた訳でもありませんし、道は詳しくありません」
「そうか......」
暗く閉じた世界。自分達が今、どこに居るのかも分からない。
状況を把握する度に、思考がズルズルと暗い方向へと引き込まれるのを感じる。
「でも逆に言えばさ、それってこの世界が狭いって意味でも無いか?」
「確かに......ハルトのくせに頭が回りますね」
「くせには余計だっての」
いや、駄目だ。無理矢理にでもポジティブに捉えるんだ。
暗い雰囲気を少しでも払拭する為、俺はなるべく自然に笑いかける。
「で、どっちに行くんだ? 右? 左?」
「申し訳ありませんが、どちらが正なのかも私には――」
「んじゃあ右だ。こう言う時は右が良いって法則があるだろ?」
「何ですかそれは。私は初耳ですが」
「え? そうなのか?」
軽い口調で言葉を交わしつつ、俺と真耶は部屋を出て右へと歩き始める。
どこからともなく響いて来る、ゴウンゴウンとくぐもった音。
背後からは背中を舐めるような、冷たく湿った風。
時折鳴り響く、亡霊の怨嗟の声のような気味の悪い空洞音が、耳からヌルリと入り込む。
怖い、怖い、怖い。
普段の俺なら怖気づき、脚が震えて動けなくなってしまいそうだ。
だが、この中でも真耶は普段の顔を崩さない。
この程度、怖くも無いと言う事だろう。
これ以上に怖い経験をして来たのだろう。
だったら、俺も立ち止まる訳にはいけない。
廃坑らしからぬ、手入れの行き届いたレールの上を歩くこと数十分。
やがて坑道の脇道に、俺達が出て来たような鉄製のドアが現れた。
小窓は無く、中の様子は見えない。
耳をそっとドアに当てる。音も無い。
真耶と視線を交わし、黙ったまま頷き合う。
ドアノブを掴んだ手が若干汗で滑るのを感じつつ、俺はゆっくりとドアを開ける。
そこには――
「あった、端部だ......でも、上に乗ってる物は何だ?」
床から突き出た灰色の筐体。その先端に、端部とは違う見慣れない物があった。
皿だ。可愛らしいウサギの絵が描かれた幼児用の皿が、端部の上に置いてある。
中には、僅かに盛られた白米とソーセージが二本。
他のスペースには何も無く、あまりしっかりしたメニューとは言えない。
「何でこんな物が――」
「ハルトッ! それに触れてはッ!」
叫びつつ俺の手を掴み、制止しようとする真耶。
だが、もう遅かった。
筐体から退けようと、皿に触れたその瞬間。
視界がブラックアウトし、皿を中心に世界がザアっと広がって行く。
そして――
「ァグッ......!?」
直後、頬に触れる拳。
その衝撃は脳を揺らし、首の捻じれる痛みと共に俺は床に倒れ込む。
視界の端には、割れたウサギの皿。
何が起こったのかと懸命に首を持ち上げると、一人の見知らぬ女が子供用の椅子に手をかけ、肩で荒く息をしていた。
だが、どうしてだろうか。
女の顔に、俺は僅かな既視感を抱いたのだ。
「お前の......お前のせいよッ!」
女は怒鳴りながら俺に近づき、髪の毛を掴んで俺の身体を持ち上げた。
俺の身体? いや、違う。
俺の身体は女性に持ち上げられる程軽く無いし、小さくも無い。
一体どうなっているのか。混乱しつつも思考を巡らそうとするが
「ごめ、んぁさぃ......ごめんなさい、ママ......」
答えは俺の――否、俺の意識が宿る少女の、その声が物語っていたのだった。
「その顔で......私を見るなッ!」
泣きじゃくった顔を見た瞬間、女は俺を力一杯投げ飛ばす。
軽い女児の身体は勢いよく転がり、大きな音を立てて壁と衝突した。
「くそっ、お前なんか......お前なんか、産むんじゃなかったのよッ! 消えろッ! 散れッ!」
怒号を飛ばし、椅子を両手で掴む女。
死ぬ。殺される。
心の底に刻まれた恐怖で顔が歪み、生えかけの歯がぶつかりカチカチと音を立てる。
椅子を持ち上げ、叩きつけようとする女。
それに対し、俺は両手を上げて頭を庇う。
が、しかし。
いつまで経っても、その時は訪れない。
恐る恐る両手を退けると、女の顔からは怒りが消え、苦い後悔の表情が。
そして女は両手を離し、手にしていた椅子がガタンと音を立てて落ちた。
首を横に振りつつ、力なく自らの席に座る女。
「違う......違うのよ......あたしよ、悪いのは、ぁたしっ、なのよォ......ごめんなさい、ごめんなさぃ......あたしが、あたしが駄目な女で......あなたを産んだのが、あたしで......」
泣きむせび、女は謝罪の言葉を口にし続けた。
殴られた痛みと数々の恐怖で揺さぶられた脳に、その声が響き渡る。暗くなる世界の中で。
ずっと、
ずっと、
ず っ と ............
「――ハルトッ!」
「ぁ......あ?」
オ
ン
ナ
ノ
カ
オ
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?」
眼前に迫る顔を見た瞬間、俺は肩を掴んだ手を力一杯振りほどく。
「やめろ、やめろっ! 死にたくないッ! 殺さないで......許して......」
「ハルト、気をしっかり持ってください! 私です、真耶です!」
「マ、まマぁ......あ、ま......や?」
かざした手をゆっくりと退ける。
目の前に立っている女の顔に浮かぶのは、怒りでも狂気でも無い。
純粋に俺を心配している――真耶の顔だ。
「俺......どうなって......」
「非情に質の悪い幻覚ですよ、ハルト。もっともこの世界も幻のような物ですし、現実に帰って来たと言うのも変かもしれませんが」
「あれが......幻覚?」
徐に立ち上がり、筐体の上を見た。
あの皿はもう無い。部屋を見渡しても無かった事から、幻のように消えてしまったのだろう。
何をする訳でも無く、俺はそのまま立ち尽くしてしまう。
あれは何だったのだろうか。
一つ確かなのは、あれを体験している時、俺は俺でなく、幼い少女になっていたと言う事。
あの少女は誰だったのか。ただの幻か。
いや、違う。
「真耶......俺、筐体の上にあった皿に触った瞬間、幻が――いや、一人の女の子の記憶が、流れ込んで来たんだよ」
「そう、ですか。そこまで悪質だとは、我ながら思いもしませんでしたが」
「あの記憶......真耶のもの、なのか......?」
「......恐らく。私の、ごく小さい頃の記憶です。そこまでハッキリ残っているとは、かなり印象に残っていたのですね」
「......」
言葉を失ってしまう。
やはりそうだったのだ。さっきの幻は、痛みは、恐怖は、真耶が実際に体験した事なのだ。
女の顔を何処かで見たような気がしたのは、真耶の母親だったからだろう。
幻で現れた女の、あの表情。
目に宿るは狂気と、身の竦むような怒り。
そして、荒れた肌に乱れた頭髪、顔に深く刻まれたしわが、その女の境遇を物語っていた。
生活が苦しくなった末の、家庭内暴力。
それが真耶の心理に眠る、幼少期の記憶。
「いくら何でも、コレはないだろ......」
全てに合点がいった直後、俺の中で激しい怒りが込み上げて来る。
真耶の境遇に対してもそうだが、これをそっくり再現するテストの悪質さに。
「おいイスミ! 中止だ! こんなの中止しろ! 聞こえてるのか!? 返事しろよ!」
感情に任せ、俺は狭い部屋の中で怒鳴る。
が、イスミからの返答は無い。
次の心理を探すのに熱中しているのだろうか。
「クソッ、何で――」
「良いんですよ、ハルト。続行しましょう」
「いい訳あるか! こんなのがあと四回もあるなんて......心が耐えられねぇよ!」
「なら次にあった場合は、私が受けますよ。それで問題無い――」
「いいや、問題大有りだ! 何で触らないと見えない? それだけ思い出したく無いって証拠だろ!? 何であんなにリアルなんだ? それだけ心に刻まれてるからだろ!? 真耶にとって辛かった事ぐらい、俺にも分かる――」
「だったら分かって下さいよ! もうこんな思いを、生活を、私はしたく無いんです!」
まくし立てるように重ねる俺の言葉を、真耶の叫び声が打ち消した。
息を荒げ、俺を見る瞳と表情に表れたのは、かつてない程に色濃い真耶の悲痛な気持ち。
「だから......だから......私は今の日常を、今の暮らしを手放したく無いんです。何があっても、何をしても。その為に辛い過去を見る必要が有ると言うのであれば、私は何度でも見る。未来が辛い物にならない、その、為に......」
言葉を詰まらせ、下を向く真耶。
さっき俺が見たのは、真耶の辛い記憶のほんの一部なんだろう。
でも、それだけで分かる。真耶が今の日常を手放したくないと強く願う気持ちが。
カミングアウトしてしまっても何とかなるやも、等と甘い希望を抱かず、最悪の結果を想像してしまう気持ちが。
でも、だからと言って、こんな苦痛に向き合えと言うのか。そんなの、余りに酷だ。
「今を手放したく無いのは分かる......けど、自分から辛い過去を思い出すのは......」
「忘れましたか、ハルト。私は今回、この身体を治すヒントを得る為にここに来たのです。この身体になった原因は禁術......恐らく、普通の書物に解決法は記されていないでしょう」
「そ、そうかもしれないけど......」
「私はこの高校に眠る禁書を見ないといけない。その許可を貰わないといけない。テストを拒否し、自分の都合だけ聞いて貰おうとすれば......許可を貰えないかもしれない」
「真耶......」
真耶の覚悟は相当な物だ。
俺もあの記憶を見て、力になりたいと思った。
その意志を込めて、俺は真耶に手をさし出す。
「分かった。乗り越えよう、二人で」
「ハルト......」
「過去を見るのは交互。次は真耶、その次は俺。これでいいか?」
「ええ。正直、ここまでハルトが役に立つとは思っていませんでしたが」
「悪ぅござんした」
へっ、とわざとらしく笑って見せる。
さっきの疲れも残っていて、あまり語気が力強いとは言えない。
それでも、少しだけでも力になってあげよう。
そう思った直後の事だった。
「真耶、何か臭わないか?」
「......ハルト、上です!」
俺が上を見たのは、真耶が注意を促したのとほぼ同時だった。
それは音を聞いた訳じゃ無い。何かが触れた訳でも無い。
排気口から漏れ出る強烈な膿の臭いが、俺の嗅覚を突き刺していたからだ。
次回更新は4/19(月)19:20頃を予定しています




