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Part1 夏の風、いずれ訪れる冬

「父親は息子の20分後に出発したんだろ? 時間をxにしてる訳だから、これを(x+20)にすれば......」

「えっと、じゃあここをこう組めば良いの?」


 セミの声が聞こえ始めた七月、俺はアリスの自室で数学を教えていた。

 分野は連立方程式。内容も、地球でよく見る“追いつくパターン” の問題だ。

 見慣れた内容、そして教育制度も一緒。と来れば、アレがある。

 そう、七月前半にある期末テストだ。


「ふう、何とか解けた」

「......この調子で赤点回避出来るのかね......」

「い、今から挽回するんだから!」


 いや、だって今解いてたの、ページの最初の問題だろ......? 先は長そうだなぁ......


 などと頭の中で溜息を吐く俺だが、別にアリスがアホの子と言う訳じゃない。

 英......じゃなくて安語が俺以上に出来るのは言わずもがな。

 記憶力も良いから、暗記科目はお手の物。

 ただ数学だけは苦手で......要するに、典型的な文系なのだ。

 

 それに、一般的に見ればそこまで駄目な訳でも無い。俺の通ってた市立の中学なら80点はイケるんじゃないか、と言った所。

 それでも苦戦してるのは、アリスの通ってる学校のレベルが高いせいだ。


 と言うか、次の問題何だコレ。

 父親は息子の10分後に出発して、途中でコンビニのトイレに寄って......息子は息子で8km地点で道に迷って、なんて連立方程式で解けるのか?

 妹の勉強を看つつ難関大学を目指してる俺でさえ、一筋縄で行かなさそうなんだが......


「もう、何で数学を勉強しないと駄目なのかしら」

「数学が嫌いな人間は皆それ言ってるぞ。でも正直、連立方程式は案外役に立つ事があるから、覚えといて損はないハズ」

「ほんと?」

「ホントホント。まだマシな部類」


 じゃあ具体的にいつ使うんだ、って言われたら答えられる自信無いけど。


「虚数とか方程式の二回・三回微分とか、最初は意味不明だったな......」

「キョスー? ビブン?」

「こっちの話。さて、文句垂れてないで次の問題行くぞー」

「えぇ~、一回休憩しない?」


 渋い表情を作るアリス。

 10ページほど前からやり始めて、今現在200分ぶっ通しで苦手科目の勉強中。

 集中力が切れるのも無理ないか。


 と、コロリと表情を切り替えたアリスが、問題集から俺の方へ向く。


「ハルトは自分の勉強しなくて良いの?」


 うぐっ、不意打ちで痛いトコロ突いて来るな......


「俺はまぁ......まだ時間あるし?」

「受験本番はいつ?」

「ら、来年の一月末から」

「もう半年も無いじゃない」

「やめろォ、浪人生の前でその台詞を言うんじゃあないッ!」


 共通テストの勉強が終わってないとか、二次の過去問を解こうとしたけど全然分からなかったとか、今は忘れたいんだっ!

 仕方ないじゃないか、こっちは宅浪(じたくろうにんせい)なんだっ!

 塾で楽しく勉強出来る奴とは違う――


「ねえ、ハルト?」

「ん?」


 逃避していた現実を突きつけられ、身をよじって悶えていた俺に、アリスは再度話しかける。

 呼びかける言葉こそ大きかったが、その後はスッと消えてしまうようなほどに弱い声。


「ハルトは......大学受験に失敗したからここに居るのよね?」

「ま、まあそうだけど」


 大学受験に滑った事が恥ずかしくて親元に帰れず、ここに居候していると言うのが俺の設定。

 いや、ホントは違うんだけど。


 今更そんな事を確認した訳じゃない、よな?

 そう思って言葉を待っていると、アリスはそろりと口を開けた。


「もし合格したら......その、このお屋敷からは出て行くの?」

「! アリス......」


 伏し目がちに俺の顔を見たり、かと思えば視線を逸らしたりするアリス。

 予想外の質問に内心動揺する俺だが、それを悟られるのは恥ずかしかった。


「おー? 何だ寂しいのか!」

「ち、ちがっ! 寂しいだなんて――ちょ、撫でないでよっ!?」

「愛いヤツめー、愛いヤツめー。ハッハッハ」


 押さえつけるぐらい乱暴に頭を撫で、アリスの顔がこっちに向かないようにする。

 うわ、髪の毛超サラッサラ。この頭の小ささもあって、昔のソラを思い出すなぁ。


「......只今帰りました」


 と、俺とアリスが戯れていたところ、気付けば真耶が部屋の入口を開けて入っていた。

 撫でる俺の手をペチリと平手で打ち、取り払うアリス。地味に痛い。

 それと少しふくれた顔が可愛い。


「おかえりなさい真耶。結構時間かかったわね」

「はい、いつもの書店は在庫切れになっておりまして、別の書店にまで足を運んでおりました。この時期、他にも買う方がいらっしゃるようで」


 そう言って真耶が取り出したのは、アリスの学校で使われている参考書の解説集だ。

 心待ちにしていた物を手渡され、アリスは表情をパァッと明るくする。


「ハルト、私が出掛けている間、どこまで進みましたか」

「123ページ目の問1までかな」

「分かりました。では、後は私が見ますので」

「ああ頼んだ。んじゃアリス、健闘を祈る!」

「ええ、ハルトもね」


 敬礼のポーズを交わした後、俺はアリスの部屋から出る。

 その瞬間、七月のムッとした空気が顔に貼り付いて来た。

 ......受験が終わった時はまだ寒かったのにな。もう夏か。

 浪人生の一年はあっという間とは聞いてたけど、まさかここまで早いなんてさ。

 

 異世界にも慣れて来た。常明学園での一件以降、特に大きな事件も起こっていない。

 そうなれば、毎日同じ生活の繰り返しだ。

 自宅(地球)藤宮邸(異世界)の自室など、場所を変える事はあるが一日中勉強してる事には変わらない。


「あ、いや。そうでも無いか?」


 最近は藤宮邸の掃除やリーシャ一家の手伝いをしたり。

 それで貰ったお金で、異世界の街に出掛けたり。

 なんだ、宅浪のくせに結構充実してるじゃないか、俺。殆ど異世界のお陰だけど。

 

 ボンヤリと考えつつ自室まで戻って来た俺は、どっかりとベッドに寝転ぶ。


「この屋敷から出て行くのか、ねぇ」


 そして、アリスに言われた言葉を反芻する。

 実際に合格した場合、アリスの言う通り......いや、それ以上の変化が起こる。

 大学に通い始めたら、異世界に行く時間はめっきり減るだろう。

 もちろんソラが異世界に居る以上、ゼロになる事は無いと思うけど。


 俺に問いかけた時の、アリスの様子。

 きっと、この先どうなるのかある程度予想していて、それで言い辛そうにしていたんだろう。

 ただ、もし俺の進学先が藤宮邸の近くにあって、ここから通えると言ってくれたなら。

 その言葉が欲しくて聞いたのかもしれないけど......まあ、正直に言うのは恥ずかしいわな。そう言う年頃だし。

 

 でも、俺が通うのはこことは別の世界の学校だ。

 藤宮邸に居候するのは......無理だろう。


「この日々も、少なくとも来年の四月までには終わるって事だよな」


 そう口にした瞬間、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。

 感傷的になってるなぁ、俺。初めて異世界を訪れたのはGW明けだから、これからの時間の方が長いって言うのに。

 まだ時間はあるのに、ちょっと先を考えた瞬間に心が痛むって......


「それほどまでに好きなのか......今のこの生活が」


 勉強して、気分転換にアリスと戯れて、昼下がりのおやつと共に真耶と雑談して。

 リーシャや屋敷の手伝いをして、たまには魔法も使って、夜にはソラと電話したりして。


 ヤベ、なんか涙腺緩んで来た。

 このままだと声漏らして泣くぐらいに気持ちが落ち込みそうだったので、俺はベッドから起き上がり、窓を開けて顔を出す。

 ぬるっとした風が、今は何故か心地良い。


「しっかしまあ、さっきから恥ずかしい事ばっかり考えてるな。もしこんな所を誰かに見られたら......おお、怖い怖い」


 そう口にしつつも、外の景色を見る俺の表情は未だ感傷に浸ったままだ。

 すぐにリセット出来るほど、軽い気持ちじゃない訳よ、うん。


 いやー、しかしまあ。この景色ともいずれオサラバかー。

 首を左右に動かしてみる。

 屋敷の外に広がるは西洋庭園。反対側には和風庭園もある。

 下にはアイラさんが手入れする植物園。

 左には涼しげな音を立てて葉を揺らす大木。

 

 大木に脚をかけて宙吊りになり、ニタニタとした笑みを浮かべてカメラを向けてくるニーナ。


 ――――


 俺は無言で窓とカーテンを閉めた。

2023/3/5 文章の細かい調節、心理描写の追加を行いました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 4章の滑り出しから、ハルトくん浸ってますねぇ。 物語も半ばまできたというお話を聞いて、私もはっとさせられました。物語も始まりがあれば、いつか終わりもくる。 ハルトくんの異世界生活も、彼にし…
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