Part16 変わらない姿
近づいて来る足音は早く、何処か余裕が無い。
これはさっきの俺と一緒だ。
って事は......!
「ヤバイ、誰か入って来るぞ!」
「はーい、お疲れ様......ってアレ!? ど、どうしよう!?」
一瞬、俺をからかうように口角をあげたソラ。
が、洗面器の上にチラリと見た途端、その表情から余裕が消える。
一体どうした......いや、今聞いている余裕なんて無いッ! こうなったら――
「悪いっ」
「え!? な――」
次の瞬間、俺はソラの右手首を急いで掴み、掃除用具入れのドアを開ける。
[バタンッ!!] [ガチャリ]
掃除用具入れとトイレの出入口、二つのドアの開閉音はほぼ同時期だった。
「あれ、誰か居た感じか? まーいーや。ヤッベーよ、マジ漏れる寸前だったよ、やっべやっべ」
如何にもチャラ男っぽい独り言をつぶやく男。
雰囲気からして生徒っぽいが、どこかで聞いたような......思い出した、ソラと同じクラスの、確か旗立とか言う名前の生徒だ。
旗立はそのままスリッパを履き、個室のドアを閉める。音がした位置からして、俺が入った方とは別の個室みたいだ。
ふう、何とか助かっ――
「ぁ」
頭を前に向けた瞬間、間抜けな声が漏れた。
と言うよりかは、一度出しかけた間抜けな声を飲み込んだ、と言った方が正しいかもしれない。
なせなら。
俺の目と鼻の先には、ソラの顔があったのだ。
掃除用具入れの中は殆ど真っ暗で、ソラの表情までは見えない。
顔の輪郭が微かに見える程度だ。
だが、それでも分かるものは分かる。
うっかりともすれば互いの息がかかる近さ。
息を殺しても伝わる、相手の体温・匂い。
俺とソラの身長差から考えて、通常ならこんな状況は発生し得ない。
が、ここは足場の悪い掃除用具入れ。
何か踏んでいれば、10cm程度の差は埋まる。
そして壁に触れる感覚からして、今の俺は肘を壁に付けて立っている状態だ。
そして、ほんの数cm先にはソラの顔。
つまり考えてみると、こう言う事だ。
今の俺は、ソラに壁ドンに近い行為をしている。
ぬあああああーーーーッ!?
これ何て青春イベントだっ!?
ヤバイッ、意識した途端に心拍数が跳ね上がって来たぞッ!
落ち着け俺ッ、相手はソラだ、実の妹だっ!
数か月間その顔を見ていなかったとは言え、それまで毎日互いの顔を見て来た関係っ!
妹はッ! 『未ダ 女ニ アラズ』と書く! つまり少女だけどオンナじゃない! OK!?
それに今はブレスレットをしている、だからオンナだと感じる事は絶対に――
「んあ? 何だこのブレスレット?」
無い、と。そう考えようとしていた矢先に、旗立が声を上げる。
え、そこにブレスレットがあるって事は?
ソラはブレスレットをしてないのかッ!
今の俺は、ソラがオンナに見えるのかッ!?
道理でソラが焦ってた訳だ!
道理で俺がドギマギする訳だ!
これは本格的にマズイ!
一旦目を閉じ......るのは駄目だ!
視覚以外の刺激が強くなるし、目を閉じた瞬間にソラの姿が脳裏に浮かぶ!
また首を逸らす…...のはアリだが、何分も持つ自信が無いぞ!?
それにもし正面に向き直った時、今度こそソラの顔が触れる......考えるだけでもNOだ!
耐えろっ! 今は耐えるしかないっ!
またこんな展開かよ、勘弁してクレメンスゥゥゥゥゥゥー!!!
等と、脳内で叫び声を上げながら。
旗立がトイレから出て、直後にチャイムが鳴って別の生徒が入って来て。
己との闘いは、15分ほど続いたのだった。
「な、長かった......ギリギリの戦いだった......」
六時間目開始のチャイムが鳴ったのと同時に、俺は掃除用具入れから飛び出して膝に手を突く。
大袈裟に息を吐いて、心の内に溜まっていた物を追い出す。
が、他人から見れば大袈裟なリアクションをする俺とは対照的に、ソラはノーリアクションだ。
と言うよりも、掃除用具入れから出て来ない。
ん、やっと出て来た――
「ヘブホッ!?」
直後、ソラの膝蹴りが俺の鳩尾にメリ込む。
「グエッ、オボッ、アグッ!?」
そして胸を両手で抑え悶えていた所を、追撃のボディブローが計三発。
ぐ、我が妹ながら気持ちの籠った拳を放つではないか。い、意識が遠のくぜよ......
冗談では無く、その場で仰向けに倒れる俺。
視界が暗くなる直前、ソラの顔が一瞬見えた。
......あれ、何だその表情は?
顔を赤くして怒ってる?
いや、怒った顔とはどこか違うような――
「ハッ!?」
意識を取り戻した瞬間、俺は上半身を弾かれたように起き上がらせる。
「あ、起きたんだ」
ソラは俺とは少し離れた位置で、壁にもたれて立っていた。
チラチラと、俺の顔を見ている。
「......何分ぐらい気を失ってた?」
「三分、ぐらいかな」
「そう、か」
たどたどしく声を交わす。
「そう言えば、ブレスレットはどうなったんだ?」
「え!? あ、ああ。アレ、ね。旗立君が持って行ったみたい。面倒な事にならなかったら良いんだけど......ハハハ」
「だよなー」
わざとらしく声を上げるソラに、わざとらしく腕を組んで頷く俺。
気を失う前の、ソラの行動。
あれにについては触れない事にした。
全くのノータッチで、ソラも結構驚いているみたいだ。
正直言うと少しは謝って欲しいと思う。
それぐらいに、あの蹴りと拳は痛かった。
ただ、ソラに嫌悪感を抱かせたのは俺だから、それについては言い返せない。
それに加えてソラの様子を見るに、ソラ自身も心の中ではやり過ぎたと反省してるみたいだ。
そうで無かったら、気絶している俺を置いてトイレから出ていたハズ。
さっきからソワソワしてるのも、俺をチラチラ見てたのも、俺が怒って無いか心配している為。
ま、何よりこのパターンはこれまで何回と経験してるしな。ふふ、相も変わらず可愛い妹め。
大人の対応など無い、矛盾を孕んだ有りのままの妹の心情の変化を楽しめるのも、兄の役得。
いやぁ、最高ですなぁ。
なんて、俺だけが満足していてはソラの心配は晴れない。
ここは雑談でもして場を保とう。
「そう言えばソラ、昼間弁当を残したまま席外してたよな?」
「え? あ、そー言えば......」
「あの後、サキトがソラの弁当食っててさ。旨さにびっくりして『ソラみたいな彼女が欲しい』って言ってたぞ」
「エ!? バレるような事して無いのに......」
「別に気付いてる感じじゃ無かったけどな。でも、弁当にも気を付けた方が良いんじゃないか?」
「分かった、ありがと」
「お兄さん的には、妹の手作り弁当を食べられる権利を譲りたくない、ってのもある」
「......それがホンネ?」
「おうともよ!」
「そー言うと思ったよ......」
なんて取るに足りないやり取りを、ぼんやりダラダラと続ける。
中身があるのか無いのか、ハッキリしない内容。
だが、今は無性に楽しく感じる。
横に座るソラの顔を直接見る......のは少し恥ずかしいので、ガラスに映った顔を見る。
大きく破顔させる訳でもない、ただ自然な表情。
でも、それは再開してから一番自然な表情で。
ああ見れて良かった――
「ン?」
窓の外を見た瞬間、違和感を感じた。
はたして、6月初旬の昼下がりはここまで暗かっただろうか、と。
いくら梅雨の中曇りと言っても、日暮れみたいに暗くなるのは流石におかしい。
トイレを出る。が、やっぱり暗い。
廊下の窓から頭を覗かせ、空の様子を確認する。
絶句した。
学園の上空を、異常なまでに深い鈍色をした雲が支配していたのだ。
だが、遠くには雲一つない青空が広がっている。
誰がどう考えても、異常な光景だった。
「一体どうなって――痛っ!?」
心の中を掻き回されるような不安を感じた、その直後。何かに頭頂部を強く殴られた。
衝撃が走った箇所に手を当てると、そこには
「氷?」
砕けて、細かくなった氷。
これが空から? いや、待て。
砕けてこの大きさなら、元々はゴルフボールぐらいの――
「兄さん下がって!」
「グェ......っ」
雹の大きさを計ろうとしていた所を、ソラに襟元を掴まれて強く引き戻された。
「ちょ、何す――」
[ガシャァン!]
直後、雹が窓ガラスを突き破って侵入する。
そして雹が床に当たって砕ける直前、その大きさを一瞬目にしただけで、俺はソラの焦る理由を本能的に理解した。
さっきの雹の大きさ、間違いなく俺のコブシ以上の大きさだ!
「ウ、ウソだろこれ!?」
「兄さんトイレに! 早く!」
ドアを開け、トイレの中から手招きするソラ。
「くそっ!」
トイレの中に転がり込む俺。
勢いよくドアを閉めるソラ。
そして、腕を掴んで俺を引き寄せる。
ソラが二人を囲むように自身のマナを床に散らすと、あっという間に土のドームが形成され――
その直後、氷の大砲が学園に降り注いだ。




