Part64 NIGHT APOSTLE
「ごめんね、兄さん。嘘ついて」
そう呟いてから、私はベッドに身を投げる。
ボンと反発した身体は、随分と軽くて。
ただの女の子と、何も変わらない。
「ただの女の子......だったら良かったんだけどなぁ......」
ハハ、と乾いた笑いが口の端から漏れた。
身体的な観点から、人間から段々と離れているのは自覚していた。
けれどまさか、それが精神にまで影響していただなんて。
気付いたのは今朝の事。
ミツキさんとの試合に勝つ、そんな決意を胸に私は部屋を出た。
が、気が付くと、この部屋で佇んでいたのだ。
時刻は朝から夕方になっていて、夕日が私の顔を赤く照らしていた。
最初に感じたのは戸惑いだった。
けれど、身体に残った疲労感は一日を過ごした事を主張していて。
何よりも......瞼の裏に残っていた光景と、そこでの動揺した兄の表情に、私は嫌な予感がした。
そして電話をし、兄の不安げな声を聞いた時、私は確信してしまった。
あの光景が夢では無かった事を。
私と言う存在が、徐々に浸食されている事を。
私は電話を切って、笑うしかなかった。
「今考えると、前から変だったかも......」
なぜ、兄に対して特別な感情が湧いたのか。
なぜ、自らを犠牲にしてまでも大切なものを守ろうと言う気になったのか。
なぜ、心を無にして、人を......
......
「ああ、そっか。そうなんだ......」
ゆっくりと、両目を右腕で覆う。
けれど防ぎたかった物は、その隙間から零れ落ちてしまう。
「私はもう......とっくに人じゃなくなってるんだね......」
胸の内から溢れ出る哀しみを、私は嗚咽と共に吐き出そうとする。
けれどその弱った心は、不意に感じた気配によって、瞬時に仕舞い込まれた。
「お姉ちゃん、お部屋を真っ暗にして何してたの?」
右腕を退けて目を開け、視線を横に向けると、一人の少女が枕元に立っていた。
月明かりを閉じ込めて逃がさない、漆黒の髪。
何も映らない瞳は、私の未来を表しているように感じた。
「......特に何も」
「いつもお部屋真っ暗にしてるの? 夜陰の使徒って二つ名、そんなに好きなんだ?」
そう言ってケタケタと笑うムニンに、胸の内で苛立ちが生まれる。
私だって、こんな通り名嫌なんだから。
「それで、現れた理由は何?」
「えっとね、ホーコクしに来たんだ! トクダネってヤツ! 国家保安局の幹部がね、今回の試合を観てたんだって!」
知ってる。
「それでね、お姉ちゃんを特殊作戦班員として向かい入れたいんだって!」
考えずとも分かる。
「だからね、近いうちに本部に呼び出される......って、お姉ちゃん聞いてる!?」
「聞いてる。けど、想像ついてたから」
「えー、つまらないの! ムニン、お姉ちゃんの青ざめた顔が見たかったのに~!」
ベッドに顔を乗せ、ぶーたれるムニンを横目に、私は深い溜息を付く。
そう、これらは全て想定されていた事態。
Sランカー......しかも、その中で白兵戦に特化した者との一対一の試合。
そこで勝ったとなれば、国家は間違いなく目を付ける。
「ムニンも聞いた事あるんだけど、特殊作戦局員のお仕事って大変なんだってー。お姉ちゃん、頑張ってね?」
「......言われずとも」
どこか小馬鹿にした態度を取るムニンに対し、私は毅然と返事する。
特殊作戦局員になれば、これまで通りの生活を送る事は難しい。
それもこれも、今日の試合で勝ったから。
でももし負けていれば、私は主代高校の中に閉じ込められていたのだ。
それだと、街に出掛ける事すら叶わない。
それに私の力を......主代高校で抑える事なんて、出来る訳が無い。
自分の身は自分で守る。その為なら、この肩書は必要だ。
「足掻くよ、私は。未来を少しでも良くする為に」
悲観していたって意味が無い。
進むしかないんだ、今は。何が待っていようとも。
それが、私の取りうる最善の手なのだから。
◇◇◇◇◇
「くそっ、見つからねぇか......!」
日が落ち、昼間の活気が嘘と思える程の静寂に包まれた主代高校。
その一角にある生徒会室で、レイドはモニタに向かって声を荒げていた。
モニタには、ミツキとソラの試合の映像と、使用された魔術のログが写っている。
ミツキが負けるなんてあり得ない。九条 ソラは禁術の類を使っていたのだ。
そう考えて何度も映像とログを見返すレイドだったが、引っかかるような箇所は一向に見つからなかった。
「随分と熱心に調べておるようじゃな」
と、ある人物が部屋の外から顔を覗かせる。
金色の髪と眼を携えた、妙齢の女。
“光”を母体としたレイヴンの構成体の一つにして、この高校の学長——日野雲 チカだ。
「で、九条 ソラが禁術を使用した痕跡が見つからず、内心困惑している、と」
「......ああ、そうさ。でも別に変な事じゃないだろ。あの試合内容だったんだぞ」
「......」
レイドは座ったままレイヴンを睨みつけるも、彼女は余裕の笑みで返す。
「逆に聞くがな、アンタは禁術無しでアレが出来ると思うのか?」
その反応が気に入らなかったのか、レイドはまた質問を投げつけた。
だが、やはりレイヴンは表情を崩さない。
「可能じゃよ。ワシら程のコントロール技術があれば、な」
「へぇ。じゃあ何だ、九条 ソラのマナの操作力は、アンタの域に達しつつあるとでも?」
ハッと鼻で笑いつつ、肩をすくめるレイド。
恐らく、彼としては『そんな事は無い』と言う返事を予想していたのだろう。
「その通り」
だが、レイドの問いに対して、レイヴンは落ち着いた様子で肯定した。
まさか肯定で返されるとは思っていなかったレイドは、驚きの表情を露わにする。
「操作力だけでない。直にあの子の実力は、名実共に世界のトップに到達するじゃろう」
「ッ......! 今でさえ、Sランカーのミツキに勝ったんだぞ......!? しかも、たった一人で」
「禁術無しでもあの実力じゃ。手始めに、まずはその鎖を外そうではないか。のう?」
口角を吊り上げながら、レイヴンは手に持っていた書類をレイドに渡す。
それに目を落とした瞬間、彼は目を大きく見開いた。
「身体強化に無痛化、強制覚醒......このリスト、まさか......!」
「左様。先ほど、九条 ソラが国家保安局 特殊作戦班に推薦された。これは、同時に使用が承認された禁術のリストじゃよ」
「アンタらは......九条 ソラの精神を、人外の化け物へと堕とすつもりか!?」
「その意図は無いが、そうなる可能性もある。ま、力ある者の宿命と言った所かの」
「くっ......!」
手に込められた力により、書類がクシャリと音を立てて歪む。
鼻息を荒くし、歯ぎしりを立てるレイドを見て、レイヴンは蔑むように目を細めた。
「愚かしいのぉ、天龍砕 レイドよ」
「何だとッ......!」
「今回の試合、このような結果になるとは思わなかったのか? Sランカーが居れば、九条 ソラを救う事が出来るとでも? この高校の中で、あの子を保護できるつもりだったか?」
「アンタは最初から、こうなる事を見越して......!」
「その通り。利用させて貰ったぞ、レイドよ。学長の意向にここまで尽くしてくれるとは、本当に立派な生徒会長じゃのお?」
煽るような言い方をするレイヴンに、レイドは激情を露わにする。
が、何かに気付いたのか、今度は眉間にシワを寄せてレイヴンに問いかけた。
「逆に......アンタは考えなかったのか? 九条 ソラがミツキに負け、この高校で保護される結果を」
レイドの正面に座っていたレイヴンは一瞬驚いた顔をするも、また笑みを浮かべた。
「ほう、意外と冷静なヤツよの」
「答えろ、どうなんだ」
「考えが浮かんだ事もあった。が、成り行きに任せた。......これが答えじゃ」
「成り行きに任せた、だと? アンタの思惑から外れる可能性があったのに......?」
レイドは視線を落とし、自らの内へと意識を沈ませる。
九条 ソラとミツキとの試合も、俺と北条 ハルト達との試合も......勝敗が逆転する可能性はゼロでは無かったはずだ。
あのレイヴンが、そんなリスクを放置したと言うのか......?
いや——違う。
「まさか......外れる可能性が無かった......?」
その答えを導き出したレイドに対し、レイヴンはどこか寂しげに、フッと息を吐く。
それが、全ての答えだった。
「全てはアイツの思うまま、か......」
「その通り。彼の者が何を考え、未来に何を見たのか......それは、誰にも分からん。ワシでさえも、な」
そう言って、レイヴンは窓の外へと目線を向ける。
一番答えを......救いを求めているのは、レイヴンなのかもしれない。
柄ではないと分かりつつ、レイドの脳裏にはそんな考えがよぎったのであった。
これにて、第四章 完となります。
計64パート、26万文字となりました。
ここまで読んでくださった方々に感謝感謝……ですが、まさかここまで延びるとは。完全に予想外でした。
はてさて、第五章ですが……実は、具体的な流れが出来ておりません。
登場人物や舞台設定、物語に込めるメッセージは決まっているのですが、『どうそれに繋げるか』が浮かんでおらず、、、
なので、暫くは読書でインプットしつつ、改稿作業をチマチマと進める予定です。
相変わらず遅筆で申し訳ございませんが、今後とも応援いただけますと幸いです。