Part63 夜陰の白状
お、遅くなりました……!
「なるほど、そのような事が」
「ああ......」
時刻は夜中の11時半ごろ。
アリスが就寝し、静けさに包まれた藤宮邸の自室で、俺は真耶と話していた。
いつもと様子の違うソラと別れた後、俺はレイドと話してから主代高校を出た。
そして寄り道をせずに藤宮邸へと向かい、ただいまも言わずに地球に帰った。逃げ帰った。
ベッドでうつ伏せになったまま何時間と過ごし、昼飯も夕飯も食べず、死んだようにピクリとも動かない。
そうしている内に少し心が癒えたのか......それは自分でも分からないが、気付くと俺は藤宮邸の自室に戻っていた。
参考書とノートを広げ、シャーペンをポンヤリと眺め続ける。
真耶が入って来たのは、そんな時だった。
そして俺は、今日あった事を話した。
「随分と思いつめた表情をしていたので、てっきり失敗したのだと思っていましたが」
「そういう訳じゃ......でも悪い、心配かけた」
「ええ本当に。お嬢様も、勉強に全く身が入っていませんでしたし」
ベッドに腰かけた真耶のため息が、背中越しに聞こえる。
安堵と不満が混じった声だ。
そして、それに胸が締め付けられたのか、
「帰ってからずっと考えてたんだ......俺のした事は正しかったのかな、って」
俺の口から、ポツリと言葉が漏れ出ていた。
「......『俺のした事』が何を指しているのか、絞りきれないのですが」
「全部、だよ。結果もそうだし......そもそも、レイドと試合をして、ソラを助けようとした事が合っていたのか......」
「ハルト、それは......」
声を若干荒げ、何かを言いかけた真耶だったが、途中で言葉を詰まらせてしまう。
真耶の言いかけた事は何だったのか......考えるまでも無い。
『それは言ってはいけない言葉』なのだ。
俺と戦ってくれたシュウを、手ほどきしてくれたギンジさんを、俺の『力になりたい』と言う言葉を受け入れてくれたソラを、『立ち上がりなさい』と言ってくれた真耶を。
みんなの想いを、台無しにする言葉だ。
それでも真耶が最後まで言い切らなかったのは、俺の気持ちを慮っての事だろう。
ありがたい。そして、情けない。
文字通り真耶に合わせる顔の無い俺は、背中を向けたままシャーペンを眺め続ける。
と、その時
[ヴー、ヴー、ヴー]
ズボンのポケットに入れていたスタホが、電話を受信して鳴りだした。
通知画面に表示された名前を見た時、俺は思わず大声を上げて驚く。
「ソラ!?」
この電話、果たして出るべきか。
電話の向こうに居るソラは、俺の知っているソラなのだろうか。
それとも......
「ハルト」
画面を見たまま固まる俺の肩を、傍に来ていた真耶がポンと叩く。
『電話に出てください』。そう表情で訴えかける真耶に対し、俺は無言で頷く。
そして音量を大き目にして、スタホを耳に当てた。
「もしもし、ソラ......か?」
「......うん」
「ええっと、その......何かあったか? 取り敢えずば無事に帰れた......んだよな?」
「......」
ソラに問いかけるも、返事が無い。
「ソラ? 聞こえて——」
[ブツッ......ツー、ツー、ツー]
電話が切られた。
「な......? え、は......?」
あまりに予想外の反応。
俺は言葉を失い、真耶は目を少し見開いて固まってしまう。
「今の......どう言う事だ?」
「私が分かる訳がないでしょう......様子が変なのは伝わりましたが」
「ああ、変だった......けど、昼間とはまた違ったって言うか......」
言葉を探しながら、俺は先ほどのソラの様子を思い出す。
発した言葉は一言だけ。
その声色は落ち着いている......と言うより、落ち込んでいるようだった。
でも、一体何に落ち込んでいたのだろうか。
[ヴー、ヴー、ヴー]
などと考えている内に、またもソラから着信が来る。
俺はすぐさま応対した。
「ゴメン兄さん、ちょっと......ううん、何でもない」
「ソラ......」
ソラの声はやはり落ち込んでいて、そして僅かに揺れているようにも感じた。
また間を取ってから、ソラは話を続ける。
「今日は......ゴメン。ビックリさせて」
「あ、ああ。......ビックリ、した。あんな様子のソラ、今まで見た事なくて、さ」
「うん......自分でも、変な感じで......憶えてるんだけど、自分の意思が宿ってないって言うか......まるで、夢の中に居たような......」
「そっか、やっぱり......」
「うん......」
たどたどしく、噛み合いの悪い言葉を交わす俺とソラ。
停滞しているようで張り詰めている、名状し難い空気が場所を超えて立ち込める。
と、真耶が俺の肩をつついた。
真耶が何を言いたいか......声に出さなくとも、それは表情で伝わる。
俺はゴクリと唾を吞み込んでから、ずっと気にしていた話題を切り出す。
「なあ......教えてくれないか。ソラに何が起こってるのか」
「......」
「話そうとしないのは、俺を気遣ってくれてるから......って言うのは分かる。でも、もう我慢出来ないんだ。どう見てもソラがおかしいのに、理由を知らないままだなんて......。俺はもう、心配で——」
「分かった。話す、から」
気持ちを吐露する俺を、ソラは意を決したような声色で止める。
そして息を吐き出す音が何度か聞こえた後、ソラはあのね、と口にした。
「キメラなんだって。私」
耳から入って来たその言葉は、俺の心の奥底まで潜ってから遡上し、頭の中を駆け回る。
キメラ。オドを二つ持つ者。そして、これが意味する所は——
「二重......人格......」
「そう言う事。ゴールデンウイーク明けのあの日、私の中でもう一人の私が目覚めて......それで、ウォリッジさん達がやって来たの」
「そんな......なんで......」
「分からない。けど、そのオドはあまりに強力で、無視する訳にいかなかった。こっちの世界に来させられたのも、地球でもう一人の私が暴れたら困るから......だって」
「......」
にわかには信じがたい内容。
本当......なのだろうか。でも、確かに筋は通っている......ように思う。
言葉を詰まらせる俺に対し、ソラは説明を重ねる。
「昼間に兄さんが話してたのも、もう一人の私。オドが強くなるにつれて、あっちの人格が表面化するみたい」
「それって......魔術を使うほど、あの人格に染まるって事か!?」
「うん......そうだよ」
思わず手の力が抜け、スタホが滑り落ちる。
ゴトン、と机とぶつかる音。
我に戻ってスタホを掴もうとするが、その瞬間、俺は気付いてしまった。
今回の件、ソラは無茶な特訓で元の自分を失いかけた。
そして俺はレイドに敗北しかけたが、ソラが先に勝利した事で辛うじて事なきを得た。
もしソラが......俺がレイドに負ける事を想定した上で、特訓をしていたら。
俺のした事は、一体なんだったのか。
「なあソラ......俺は、ソラを苦しめてたのか?」
「......」
「答えてくれよ、なぁ!?」
スタホを握り締めて懇願する俺に対し、ソラは静かに告げる。
「......苦しかった。でも、嬉しかった。それが、私の答え」
「それって、どう言う......」
「私が兄さん達と一緒に居ようとすれば、私はともかく兄さん達まで大変な思いをする。それは、これまで経験して来たから分かるよね?」
「......ああ」
俺の脳裏に浮かんだのは、一ヶ月前の学園の襲撃事件と、今回の編入騒動。
そう言われると......確かにその通りだ。
「『兄さん達に私を守れる力はない、だから私が関わると負担になるだけ、迷惑になるだけ』。私はそう考えてた。だから、『大変な思いをしても力になりたい』って兄さんが言ってくれた時、嬉しかった」
「ソラ......」
ソラとしては、俺のした事は無駄じゃなかったと、そう言いたいらしい。
でも俺には......あまりにも無理矢理な慰めに聞こえて。
「兄さん達の気持ちは伝わったよ。レイドさん相手に、凄く頑張ってたのも知ってる。......だから、今は待ってて」
「待つって、何を......」
「私、この力をコントロールして見せる。強い力を使っても、私を見失わないように訓練する。それが出来るまでは、待ってて欲しい」
ソラの口調は、静かに、諭すようで。
表面上はぼかした言い方でも、俺はソラがこう言っているように聞こえた。
『貴方の気持ちは伝わった』。
『これは私の問題。それが解決するまでは、何もせずに待っていて』。
だがそう感じた所で、俺には何もできない。
いや、何かをした所で負担にしかならない。
だったらもう、受け入れるしかない。
「......分かった、お兄ちゃん待ってるわ」
「うん、お願いね......もう遅いし、今日はここで失礼するよ。じゃあね」
「ああ、バイバイ」
伝えたい事を話し終わったのか、ソラはそそくさと通話を締めた。
そして通話が切れた事を確認すると、俺はスタホを持っていた左手をだらりと下げる。
頭を上にあげ、天上をボンヤリと見つめる。
右手を天井に向かって伸ばし、全然届かない事を鼻で笑いながら、俺は提案をする。
「真耶の身体の件......悪いけど、俺達だけで解決させてくれないか?」
「ソラさんの力は、借りたくないと」
「これ以上、ソラを苦しめたくないんだ。......勝手な言い分だけど」
「いえ、納得の行かない形で協力されては、私も申し訳ありませんから」
「......ごめん」
俺は右手を握り締める。
待っててくれ、ソラ。
いつか、強くなってみせるから。
傍に居ても、ソラを苦しめないように。
◇◇◇◇◇
電話を切って、暗くなったスタホの画面。
それに写る自身の表情が、思ったよりも暗い事に苦笑してから、私はこう呟いた。
「ごめんね、兄さん。嘘付いて」
次回更新は5/30(月)を予定しています