Part43 悪之権化
『私は本来、このような場所には居られない者ですから』。
寂しげに呟く真耶の顔が、脳裏に浮かんだ。
暗く閉じた世界で行われた、冒涜的な研究。
研究に従事させられ、心に傷を負った少女。
それらの悲劇の根幹となる男が、今、目の前に立っている。
拳に、ギリと力が入った。
「何故ですか、ハルト......! 何故、この場所に戻って来たのですか!?」
無言でミンガーを睨みつける俺に、真耶が張り詰めた声で問いかける。
「何故って、コイツは真耶を苦しめた張本人なんだろ!? そんなヤツと一人で会うだなんて、何を考えてるんだ!?」
「ハルトはこの男の事を知らないから、そんな事が言えるのです! 今からでも遅くありません、私を置いて、早く!」
うっすらと涙を浮かべて訴えかける真耶。
その様子は、冗談を言っているようには到底見えない。だが。
「俺に、尻尾巻いて逃げろって? それこそ、出来ないに決まってるだろ!」
そう言って、俺は再びミンガーを睨みつける。
真耶が小さく、馬鹿、と漏らすのが聞こえた。
ミンガーは真耶を苦しめた張本人。
それから逃げてしまう人間が、真耶の力になれる訳が無い。
例え大変な目に遭っても、今の真耶を一人にするなんて出来なかった。
「ホう、そうですカ......」
俺の言葉を聞いた後、ミンガーが呟く。
ヤツは一体何を考えているのだろうか。
顔には左目だけを空けたピエロのような仮面をはめており、その表情は伺い知れない。
恐らく、ミンガーは真耶を狙っている。
なら、それを邪魔しようとする俺に対して、敵対心を抱いているのか......?
そう考えていた最中、
「ッ!?」
突如、ミンガーが両手を上げた。
全身に緊張が走る。
俺が敵だと分かって、手を出して来るのか? こんな場所で? しかし、奴はオウルズ・ヘリテージのメンバー。一体、何をして来るか。
その手の動きを、食い入るように凝視する。
集中力が研ぎ澄まされているのか、ゆっくりとした動きに感じられるミンガーの両手は、やがて胸の前で交わり——
「ナんと、素晴らしい事でしょウ......!」
ポンポンと、包帯で巻かれた手を叩いて。
彼は、拍手したのだ。
「......は......?」
ミンガーの全くの予想外の反応に、俺は呆気に取られる。
だがそんな俺を無視し、ミンガーは顔をグリンと真耶に向けた。
同時に、真耶が頭を下げて目線を逸らす。
「良カったですネ、真耶。ズっと独りぼっちだった貴方ニ、同年代の友人が......心から案じてくれる、友人が出来るだなんテ」
「......おい」
話を止めようと、俺は低い声でミンガーに話しかけた。
だが、彼は全く意に介さない。
「良イですカ、真耶。友人ハ大切にするのでス。打算ヤ裏切りにまみれた今日においテ、友トは大切な存在でス」
「おい」
「友人ヲ大切にするとはどういう事か、悩む事もあるかもしれませン。人間関係トは、難しい物ですかラ......」
「おい!」
「シかし、確かで・大切な事があるとすれば、それは相手に対する感謝でス。友人ニ感謝されて、嫌がる者は居ませン。大切ナのは、感謝を示す事でス」
「おい! 止めろって、言ってるだろうが!」
図書館に響き渡る怒号。
静謐な空間を数度声が反響した後で、ミンガーがゆっくりとこちらを向く。
「図書館デ騒いではいけませんヨ。私の言う事が、そんなに——」
「喋るなって言ってんだよッ!」
自分の感情に突き動かされ、俺は杖を取り出しミンガーに向ける。
「真耶を苦しませたのはお前だろうがッ! そんな奴が、さも他人事のように喜んでんじゃねぇッ! お前のせいで、真耶がどんな目にあったか、どんな想いで過ごして来たか......分からないようだったらなァッ、二度とその口を開くなッ!」
乱れる。震える。
声が、心が、身体が、瞳が、顔が。
胸の中で感情が爆発し、痛みを伴って全身を燃やしていた。
だが、そんな俺を目の前に、ミンガーは不気味な程に落ち着き払っている。
そして、臆せずゆっくりと口を開いた。
「エえ、分かりますとモ。知ッていますとモ。真耶ノ、その子の境遇ヲ」
「なん......だって......?」
「哀レな子でス。可哀想ナ子でス。母親ニ虐げられ、おぞましい実験にも利用されタ。私モしがない人間ノ一人。幸セになって欲しいと、心の底から願っておりますとモ」
何を、言っているんだ。コイツは。
「デすがついニ! ソんな少女に、手を差し伸べる存在が現れタ! 苦悩ノ果てに、彼女は救われタ! ナんと感動的ではありませんカ! 世界ハ、希望に満ちあふれているのでス!」
「ふざ......けるな」
「私はこの手で、世界に感動をもたらしたのでス! なんと、なんと素晴らしい——」
「ふざけるなァァァァァッッッ!!!」
気が付けば、俺は杖を持つ右手を握り締めていた。
身を焼き焦がす炎が、拳から吹き出ていた。
カインは、立場によって物事の見え方は変わると言っていた。あのやり取りを見ていて、迷いが生じたのも確かだ。
だが、これだけははっきり言える。
コイツは、生きているだけで害を成す存在だ。
善の混じりようのない、正真正銘の悪の権化だ。
燃えろ。燃えて居なくなれ。
俺と、真耶の目の前から。
「うあああァァァッッッ!!!」
俺は拳を振りあげ、ミンガーに殴りかかる。
だが、奴は微動だにしない。
そして拳が触れ、包帯が燃え上がるかと思われた、その時。
「ッ......!?」
俺の右腕が、ピクリとも動かなくなってしまったのだ。
「クソッ、一体何をしたッ!?」
「私ハ何もしておりませン。タだ貴方は、この学校で暴力を振るおうとしタ。図書館ト言う場で火事を起こそうとしタ。ソれだけの事でス」
「訳の分からない事をッ......!」
奥歯を噛みしめながら、俺は再度右腕を動かそうとする。が、やはり動かない。
まるで金縛りにあったように、右腕が別の生き物であるかのように。
一体、誰が——
「そやつの言う通りじゃ。図書館と言う場でボヤ騒ぎを起こそうとは、お主何を考えておる?」
「ッ......!? この、声は......!?」
ここに来て、嫌と言う程に聞かされた声。
若く穏やかな声色に、胡散臭い爺口調。
だが、その姿はどこにも見えない。
確かに自分の頭上、右上から聞こえた気がしたが——
「気付けぬなら、自分自身の右手を見るのじゃな」
「右、手——......ッ!?」
思わず、背筋がゾクリと冷えた。
首を右に捻ると、俺の右手の手のひらに目と口が付いていたのである。
更にその目と口は、俺がさっきまで握っていた杖であるかのような感じがした。
「くっ、このッ!」
レイヴンが何を考えているか分からないが、俺には大人しくするつもりなど無かった。
右腕が駄目なら、左腕で......!
「止めんか、この聞かん坊」
腕が駄目なら、口から火を噴いて......!
「最終警告じゃぞ。次何かしようとすれば、お主を意識ごと乗っ取るからの」
低く、脅しつけるようなレイヴンの声。
口さえ動かせない俺は、力なく目を閉じる。
レイヴンは諦めた事を察したのか、直に俺は喋れるようになった。
が、最初に口を突いて出るのはやはり、怒り。
「ふざけるなよ......! なんでお前までが、ミンガーの味方をするんだ! コイツは、誰がどう見ても悪じゃないのか!?」
「その通り、悪ではある。が、世界を救う一助になる可能性がある以上、無碍に殺す訳にもいかん」
「『世界を救う』だって......!?」
「おおっと、詳細は教えられんぞ」
そう言って、右手の口はケラケラと笑う。
『世界を救う』。確か、カインの時にも言っていた事だ。
オウルズ・ヘリテージが敵じゃないとしたら、レイヴンは一体何の事を言ってるんだ......?
「それに、ここはワシの箱庭。傷害事件に繋がるような行為は、一切認めておらん」
「だから、俺を止めたと?」
「然り。お主はさっき、ワシの事をその包帯男の味方と言ったが、ワシはどちらの味方でも無い。争いを止めただけじゃ。仮にその男がお主に危害を加えようとすれば、ワシはお主を守るのでな」
「......」
そう言われては、どうする事も出来ない。
つまりレイヴンは誰かに強要される訳でも無く、奴自身のポリシーに従って行動しているだけなのだ。
少し前、カインがソラに対して『手を出す事が出来ない』と言っていたのは、こう言う事でもあったのだろう。
俺は、しぶしぶ拳を降ろした。
「ソの通りでス。デすから、本日私が真耶としていたのはただノ雑談。危害ヲ加えるつもりはありませン」
まるで自らの発言が正しいかのように、堂々とした口調でミンガーは語る。
そんな訳が無い。暗い過去の象徴とも言える人物と再会して、何も思わない人間は居ないのだ。
俺が眉間にシワを寄せていると、ミンガーはハァと残念そうに息を吐く。
「ダと言うのに、君はさっきから私の邪魔をしようとしていますネ」
「当たり前だ! 真耶が辛そうにしてるのに、それを放っておく奴が居るか!」
「アあ、良くありませン。良クありませんよ、北条 ハルト君。人ヲ独占するのは良くない行いでス。人ハ、多くの人間と関わる事で成長するのですヨ」
「口当たりの良い言葉をペラペラと......!」
一旦落ち着きかけた俺の心に、また怒りが募る。
『別に真耶を独占したい訳じゃない』とは、言う気にもなれなかった。
が、ここでミンガーが一息を入れる。
「デすが、仕方ありませン。大人トして、ここは身を引きましょウ。貴方に睨まれていては、落ち着いて話も出来ませんかラ」
「え?」
余りにも唐突なミンガーの発言に、つい間抜けな声が出てしまう。
てっきり、真耶に粘着するのかと考えていただけに、その提案は一瞬俺の緊張感を緩めた。
「代ワりニ」
だからこそ、突然ミンガーの顔が近づいた事に対して、俺は反応が遅れてしまったのだろう。
一瞬の事だった。
ミンガーがこれまでにない素早い動きで仮面を脱ぎ、包帯で隠した右目を露わにしたのだ。
「真耶ト話せない分、貴方から収穫を得る事にしましょウ」
その瞳に、本来あるべき瞳孔は無く。
代わりに描かれていたのは、何かのシンボルを思わせるような模様だった。
「——ッ」
急いで距離を取ろうとするが、もう遅かった。
後ろに飛び退く最中、その動きがスローモーションに感じられ、頭の中を過去の記憶が走馬灯のように流れて行ったのだ。
異様な体験が終わり、俺は勢い余って机の脚に背中をぶつける。
「な、何をしたッ......!?」
「大丈夫。貴方ノ身体に、一切の害はありませんかラ」
そう言いつつ、右目を包帯で隠してから仮面をはめ直すミンガー。
何が起こったのか量りかね、俺はつい自身の身体をまさぐっていると
「まさか......アレを使ったのですか!?」
真耶が、突然大声を出す。
「『アレ』って、いったい何が——」
「だから言ったのです、ハルト! この男に関わってはいけないと......!」
「え、な、どういう事だよ......!?」
「もうこうなっては、何もかもが......!」
真耶は小さく首を横に振るばかりで、内容を聞けそうにない。
何だ。俺は一体、何をされたんだ。
レイヴンが動かないと言う事は、直接害のある事をされた訳じゃない。
でも、だとしたらさっきの感覚は......?
相手の恰好が不気味なだけに、俺の中で急速に不安が膨らんで行く。
手の平にじっとりとした汗が浮かぶ中、思考がまとまらないなりに考えていると
「ハルト君。君はミンガーに、自身の過去を観られてしまったのだ」
そこに声をかけたのは、遅れて図書館に入って来たカインだった。
「『過去を観られた』、だって?」
「その通り。彼の右目には、過去を観測して留める力がある。場所を見ればその場の過去が観え、人を見ればその人物の過去が観える。と言っても、一日に一度しか使えないが」
「何だって......!?」
サアッと血の気が引けて行くのを感じる。
つまりさっきの感覚は、ミンガーに俺自身の過去が観られたと言う事だったのだ。
そして『留める』とは、一度観た事はずっと残り続けると言う事。
「そ、そんな馬鹿な......!?」
俺が驚嘆していると、ミンガーがフムフムと興奮気味に頷き始める。
「コれは......なんと素晴らしい事でしょウ! 光栄ニ思うのです、北条 ハルト。貴方ニは、世界に感動を発信できる資格があル!」
「ッ......!?」
今になって、ようやく理解した。
真耶がミンガーと関わってはいけないと言っていたのは、単に不快な気持ちにさせられるからじゃない。
この悪の権化に過去を観られ、感動を作るための道具として目を付けられるからだ。
そう意識した瞬間、真耶の心の世界で見た光景がフラッシュバックする。
目の前の、身体中に包帯を巻く男が、まるで死神のように見えた。
「素晴ラしイ......、素晴ラしイ......! コの物語は、間違いなく私史上一・二を争う感動を生み出す事でしょウ......! アあ、素晴らしイ。世界ハ、こんなにも感動で溢れているのですネ......!」
気味の悪い笑いをこぼし、何かを一心不乱に手帳に書き込みながら出口へと向かうミンガー。
並んで歩くカインが、不意にこちらを振り返る。
「ハルト君。君にとっては不幸かもしれないが、我々はまた会う事になるだろう。助かりたいと、生きたいと願うのなら、少しでも力を付ける事をお勧めする」
そう告げて、カイン・フランベルクは口角を僅かに上げた。
床にへたり込む俺と椅子に座って項垂れる真耶を残し、オウルズ・ヘリテージの二人は図書館を後にするのだった。
ミンガーを一言で言えば、『クソ感動ポルノ野郎』です。
次回更新は12/6(月)を予定しています