Part41 IDENTITY
自分の中にある何かが崩れ落ちるような、そんな感覚がした。
これまで見た事の無い、ソラの憎悪と敵意に満ちた表情。その向かう先には、俺がさっきまで話していたカインが居る。
考えた事すら無かった状況に、俺はその場で固まってしまう。
「兄さん......これは、どういう事」
場が膠着する中、口を開いたのはソラだった。
「どう、って......何がだよ」
「この人と兄さんは、いつ出会ったの」
「さ、さっき話しただろ!? カインさんとは図書館の中で会ったって」
「『さっき』? それっていつ?」
「ぇ、あ......」
違う。話したのはシュウであって、ソラには話していない。
よりによって、この状況で言い違いとか——
「それよりも、『カイン“さん”』ってどう言う事? もしかして......何か、吹き込まれた?」
「ふ、吹き込まれたとかそんなんじゃ......と言うか、ヒトにそんな物向けたら——」
「答えてッ!」
ソラの声に、鼓膜と同時に全身の神経が震わされるのを感じた。
ギリ、と歯を鳴らすソラの顔には、焦りや不安が色濃く現れていた。
その表情に、俺の戸惑いはますます大きくなって行く。
なんで、どうしてこんな。
負の感情ばかりが胸の内で渦巻き、膨らみ、俺の中を荒し回る。
状況を変えたいものの、まるで金縛りにあったように目も口も動かない。
頼む。誰か助けてくれ......!
「まあ待ち給えよ、ソラ君」
そんな俺の心の声を聞き取ったのは、現状において最も窮地に立たされているはずのカインだった。
「お兄さんの言う通り、まずは君がソレを降ろし、この険悪な雰囲気を崩すべきだ」
不気味にも感じる程の穏やかな笑みを浮かべた彼は、ゆっくりとソラに話しかける。
とげとげしい感情を押し出すソラに対し、カインからは威圧感が全く感じられない。
「......」
「私の提案に乗る事が、君にとって癪なのは確かに分かる。だが、そんな物に拘っていては状況は何も変わらない」
「......」
「心配せずとも、私は君に手出ししない。いや、出来ない。それは君も分かっているだろう」
決して声を荒げず、ソラを諭すように話しかけるカイン。
それが実ってか、睨みつけたままではあるものの、ソラはエルゲージを降ろした。
ふぅ、とカインが息を吐くと同時に、場の雰囲気が少し良くなったのを感じる。
「ハルト君が言った通り、私と彼は先ほど図書館で会ったばかりの、その程度の関係だ」
「そこで、何かを吹き込んだ、と?」
「誓ってそのような事はしていない。私がしたのは、宝具について調べていた彼のサポートだ」
そうだろう? と目で促してくるカインに対して、俺はコクコクと首を動かす。
だが俺の様子が挙動不審に見えたのか、ソラの表情がまた険しくなる。
「兄さん、その人に何を教えられたの?」
「いや、教えられたって言うか......さっき話して貰ったばかりだろ、サポートだって」
「そのサポートの内容を教えて。全部」
「ぜ、全部って......」
そんなの、憶えている訳が無い。
だがそう口にした所で、ソラが納得してくれ無さそうなのは明らかだった。
いや、例え俺が一挙手一投足を憶えていて、それを全部話した所で、ソラはそれを信じてくれるだろうか。
『答えてください。アナタは人間ですか?』
不意に脳裏をよぎったのは、以前森の中で真耶に詰め寄られた時の事。
今のソラは、あの時の真耶に近い感じがする。
俺の口から話しても駄目、カインさんが話しても駄目。だったら——
「なあレイド。ソラは何で、カインさんをこんなにも警戒してるんだ?」
俺は、向かい合うソラとカインの向こうに居るレイドに話しかけた。
一瞬、その顔に戸惑いを浮かべたレイドは、ぎこちない笑いを漏らしてから口を開く。
「悪いが......俺も、九条 ソラと同意見だ。むしろ、アンタはもう少しソイツと距離と取った方が良い」
「な......!?」
またしても、足元からストンと落ちて行くような感覚。
二人揃ってカインを警戒している事が、何よりも理解出来なかった。
カインは、困っている俺に色々教えてくれた。
話した限り、悪い人にも思えない。
だが、今のこの二人の反応は、まるでカインが悪人であるかのようなもので。
「分からねぇって顔してるな」
「当たり前だろ!? どうしたんだよ二人とも、まるでカインさんが悪者みたいな——」
「ああそうさ。アンタの善悪の基準は知らないが、世間一般にソイツは悪人だ」
「だから何で——」
「ソイツが、オウルズ・ヘリテージの主だからだよ」
『カイン・フランベルクは、オウルズ・ヘリテージの首領』。
全身が揺すられたように感じたのは、風が吹いたからなのか酷く動揺したからなのか。
どちらにしても、まるで嵐に揉まれたかのような感覚だった。
「な、え......?」
声を震わせながら、俺はカインに目を向ける。
さっきまでと——図書館に居た時と変わらない様子で、彼はゆっくりと口を開いた。
「自己紹介が遅れた事を詫びよう。そうとも、私こそがオウルズ・ヘリテージの主、カイン・フランベルクだ」
丁寧に、俺に対して小さく頭を下げるカイン。
オウルズ・ヘリテージ。
宝具を収集する為ならどんな事でもする、世界的に問題視されている裏社会の勢力。
一か月前、常明学園を襲撃し、ソラを苦しめた犯人。
「ウソ、だろ......な、んで......」
なんで。
笑顔の似合う人が、なんで世界の敵なんだ。
俺を助けてくれた人が、なんでソラを苦しめた犯人なんだ。
そんなの、おかしいじゃないか。
「驚かした事は悪いと思っているが、事実だ。私はオウルズ・ヘリテージの主。一か月前、ソラ君を回収するように命じたのも私自身だ」
「そんな......そんな事が......」
否定の言葉を口にする俺に向かって、カインは何も言わずに穏やかな表情をする。
まるで、落ち着きなさいと言うように。
そして自分の中で言葉を反芻する内に、段々と物事が繋がって行く。
宝具の事について詳しく知っていたのも、図書館で調べようとしていたのも。
ソラの事を知っていたのも——
......!?
「カインさん、さっき......『ソラと手合わせした』って言ってたよな......?」
「ああ、言ったが」
「ソレ......本当にただの手合わせなのか?」
俺が質問し、カインがゆっくりと口を開く。
「違うよ、兄さん。あの人は私を、私の力を、本気で奪おうとしたんだ」
だがカインが声を出す前に、ソラが割って入った。
「その言い方は正確では無い。正しくは、あの状況を止める為に私自身が出向いた、と言った所か」
「その言い方、まるで私が悪い事をしたかのような発言ですね」
「君には沢山の部下をやられたからね。流石はナイト——」
「兄さんの前でその呼び方をするな......!」
カインの足元から伸びた沢山のエルゲージが、彼をグルリと包囲する。
ヤレヤレと上げていた肩は寸分も動かせる余地は無く、舌先まで伸びた刃はカインの舌を拘束する。
が、降参の意思表示だろうか、カインが諦めたようにフッと笑うと、彼を取り囲むエルゲージは消失した。
「『我々とは関わらせない』、か。つくづく、君は本当に優しい子だ」
「ありがとうございます。そのついでに、私達の目の前から消えてくれると嬉しいのですが」
「言われずとも消える。今日ここに来た目的は、君ではないのだから」
また会おう、と言って俺の横を通ろうとするカインだったが、
「ちょっと......待ってくれよ」
顔が交差した直後、俺は彼を呼び止めた。
「カインさん、いや、カイン・フランベルク。お前はまだ、ソラを狙ってるのか?」
横に居るのは、ソラを狙った組織のボス。
きっと、あのエンガやヒュウランの何倍も強いのだろう。
そう考えるだけで、歯がカチカチと鳴った。
怖い。だがそれでも、この事だけは確かめておきたかった。
不安と勇気が入り混じった表情で尋ねる俺に対し、カインは小さく笑う。
「ああ、狙っているとも。あの子の力は我々の願望——いや、正義に必要なのでね」
「......!」
その言葉を聞いた直後、俺の中で二つの疑問が沸き起こった。
どちらから聞くべきか。刹那の思考を巡らす中、俺の様子を窺っていたカインが先に口を開く。
「安心し給え、そうすぐには手を出さないつもりだ。視聴室で話していただろう、どんな形であれ、私はあの子に負けたのだ」
「......?」
カインの言い方が、一瞬胸に引っかかった。
『どんな形であれ』と言う発言。それに視聴室でも醸していた、負けているのに悔しそうに見えない様子。
もしかして、ソラが勝てたのは偶然だったのか......?
「その傷も治っていなければ、勝てる方法も見つかっていない。下手につつくよりも、今は牙を研ぐつもりだ」
『勝てる方法が無い』? じゃあ......
......駄目だ、今考えても分かりそうにない。
「そう、か」
「何か不満な事が」
「そうじゃない。俺の疑問の内の一つは、今お前が話してくれた。でももう一つ......お前は、どうして自分が正義だと思うんだ?」
首筋の裏を、ツゥと汗が垂れる。
相手は裏社会の人間。もし怒らせたなら、何かされるかもしれない。
だが、カインの表情は崩れなかった。
「どうして、とは」
「お前達オウルズ・ヘリテージは、目的の為なら何でもする......んだろ? それが正義って言えるのか?」
俺の言い方があやふやだったせいか、カインは一瞬表情を曇らせる。
が、すぐに言葉の意味を理解したのか、あぁ、と声を上げた。
「君が言いたいのは、人を傷付け・殺す人間が正義と言えるのか、と言う事だろう」
「......あぁ」
俺が口にする事も憚った事を、カインはあっさりと認めた。
やはりこの男は、そう言う行為に慣れている。
カイン・フランベルクは、人の皮を被り顔に笑顔を貼りつけた化物。
俺は頭の中でそう断じかけるが、
「そんな事、悪に決まっている」
「え?」
「当たり前だろう。人を殺す行為が、悪で無くて何と言う」
「は、え......?」
至極当然の事のように話すカインに、俺は呆気に取られる。
俺はてっきり、カインが殺人を正当化すると思っていた。
だが実際の所は、彼は自身の罪を認め悪だと言ったのだ。でも、だったら——
「じゃあ、なんで正義って......」
「決まっている、正義と悪は対では無いからだ。我々に正義があるように、君達にも正義がある」
「......」
「同時に、我々は人殺しをしているが故に悪だ。それも変えようのない事実だ。まあ、組織の性質上、人殺しを何とも思っていない輩が居るのも確かだが」
言葉が出て来ない。
自分が敵だと思っていた相手が、善悪や正義を説いている。それも、納得の行く内容で。
オウルズ・ヘリテージは、カインの認める通り悪だ。でも、どうしてだろうか。
俺には、カインが嫌な人間には思えない。
「じゃあアンタ、自分がしている事が悪だと分かっていて、どうして辞めないんだ」
と、俺が口を開けたまま固まっていると、少し離れた所に居るレイドが問いかけて来た。
「さっきも言った通り、我々の正義を成す為だ」
「だから、その正義ってのは——」
「80億人の命を、救う事だ」
場を、一瞬の静寂が包んだ。
俺とレイドは口を開け、ソラは顔を伏せる。
「人を救う? いや、それよりも80億人だと? 何を言っているんだ、アンタは」
「君には分からないだろう。が、ハルト君なら分かるはずだ。この80億と言う数字が」
「え......」
異世界の人口は20億人。
だから、80億と言う数字は出て来ないハズだ。
これまで生きて来た人を合わせて、80億と言う事だろうか。でも、それこそ俺が知っている訳が無い。
異世界の事を知らない俺が、分かる事......
地球で生きて来た俺が分かる事......
——地球で生きて来た俺が分かる事?
「まさかッ!?」
叫ばずにはいられなかった。
カインの話した事が、あらゆる意味で想定外だったからだ。
80億人は、異世界の人口じゃない。
地球の、世界人口だ。
つまりカイン・フランベルクの正義の正体は、地球の人々を救う事だったのだ。
次回更新は11/22(月)を予定しています