Part28 You knew too much ......
俺の後ろに立っていた少女は、『ひどい』と言いつつも楽しげな表情を浮かべていた。
まるで世界を黒で塗りつぶしたような、光を全く反射させない漆黒の髪と瞳。
この少女も、どこかで見たような気が......
「『ムニン』? 違う、君の名は確か――」
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「――ッ!?」
驚いた。いや、戦慄した。まさか自分の思った事で、戦慄する日が来ようとは。
少女の名前を頭の中で探ろうとした瞬間、無が浮かび上がったのだ。
記憶に無い訳じゃない。無いものとして、記憶にある。
まるで元々あった何かが綺麗に抜け落ちているような、そんな感覚だった。
「ふ~ん、やっぱり残ってるんだ。ママの言ってたクサビのせいかなぁ?」
「く、クサビ......?」
「ムニンね、ビックリしたんだ。ただ繋げるための物で、ここまで届いちゃうだなんて」
「......?」
何を言っているのだろうか、この子は。
言葉の意味は分からない。分からないが、一つだけ直感した事がある。
この少女は......危険だ。
気付けば、俺は一歩二歩と後ずさっていた。
「アハハ! ムニンが怖いの、お兄ちゃん?」
「野郎が可愛い幼女の近くに居たら、色々と誤解されるからだよ」
「もう! また変な事言ってる!」
腹を抱え、ケラケラと笑うムニン。
と、横から真耶が耳打ちして来る。
「ハルト、この空間に出口は無いのですか」
「俺もさっきから探してるけど、そんな物どこにも――」
「逃げるつもりなの? お兄ちゃん?」
「ッ!」
グリンと向く両眼。思わず、身じろいだ。
「駄目だよ、お兄ちゃん。あなたは知りすぎた。だからね、記憶を消さないといけないの」
「記憶を消す、だって......!?」
「ムニンがイジワルに見える? でもね、古代術を知ったニンゲンを、そのままには出来ないの。だから、諦めてね?」
漆黒の少女は愉しげな笑い声を静かに響かせ、ジリ ジリと足を進める。
近づかれないように、俺は後ろに――引こうとした所で、真耶の肩がぶつかった。
「おい、突っ立ってないで――真耶?」
「分か、った......そう言う......事ですか。信じがたい事ですが......これは......」
目を見開き、首を小さく横に振る真耶。
その顔に現れていたのは、希望ではなく絶望だった。
そして俺の顔をキッと睨み、肩を掴んでから口を大きく開く。
「ハルト、――」
真耶が何かを言おうとした、その直後。
『「ア゛づッ......!?」「くゥッ!」』
俺の肩に刺すような痛みが走った。
と同時に、真耶が仰向けに倒れ込む。
「真耶っ、大丈夫か!?」
うめき声を上げる真耶の身体を小さく揺する。
見たところ、真耶に傷はない。
同様に、俺の肩にも......じゃあ今の痛みは......電流? でもそれだと――
「早く......」
「ッ!?」
「早く......切って......」
俺の腕を掴み、真耶は横たわったまま首を持ち上げて訴えかけてくる。
「『切る』って、何をだ!?」
「あなたと......ぃ......」
だが、その言葉は不意に途絶えた。
「おい、どうし......ッ!?」
不審に思い、声を掛けようとしたところで、その原因に気付く。
「これは......石になってるのか!?」
見た目は何も変わらない。
が、眼からは生気が失われ、まるでマネキンを見ているかのような気分だ。
何より、俺の腕を握る手が冷たく、硬くなっていた。
唖然としている俺に、ムニンが近づいて来る。
「頭良いんだね、そのお姉ちゃん」
「お前っ......一体何をした!?」
「何って、石にしたんだよ? お兄ちゃんったらさっき自分で言ってたのに、変なニンゲン!」
クスクスと笑うムニン。
真耶に触れた様子は無かった。じゃあ、見ただけで人を石に出来るのか?
もしそうなら、危険すぎる。
「おっかないなぁ、そんなにムニンを睨まないでよ。死んだんじゃないんだし」
「死ななかったら、何したって良いってのか?」
「そうだね。ムニンの言い方、間違えてた。ニンゲン共が一人死んだところで、何の違いも無いもんね!」
「お前ぇッ!」
人の事を何とも思っていないその態度に、俺は怒って立ち上がろうとする。
が、石化した真耶の腕に掴まれ、上手く身動きが取れない。
「ぐっ......」
「アハハ! お姉ちゃんと違って、本当におバカさんなんだねッ!」
「ア゛グッ――」
笑いながら繰り出された、ムニンの蹴り。
それは俺の腹にメリメリと食い込んでから、パチンコ玉の如く身体を弾き飛ばした。
「ガッ......ハ!」
そのまま俺の身体は壁に打ち付けられ、貼ってあった写真や書類と一緒に床に落ちる。
痛い。逆流した胃酸が、喉と口内を焼く。
揺らしただけで、身体が悲鳴を上げる。だが、今動かない訳にはいかない。
胃酸を床に吐き捨て、俺は口を開く。
「<炎より出づる火煙よ その理――ゥグッ!?」
<スモーク>の詠唱中、ムニンが俺めがけて何かを投げつけた。
詠唱の妨害だと気付き、咄嗟に口を塞ごうとしたが時すでに遅し。
小さな球体が舌の上を転がり、そして――
「ガアアアアアアッ!?」
口の中を、無数の刃が切り刻んだ。
「ア゛ァ゛ゲッ......ゴホッゴホッ!」
焼けるような痛みと共に、血が口内で氾濫する。
気道に入った血にむせて咳き込むと、血と一緒に歯が床にボロボロと落ちた。
「詠唱してるトコ、待つ訳ないじゃん! ホントにおバカさんなんだから!」
頭上に差し込む影。
首を上げると、興奮で眼を見開き口を歪めるムニンの姿が写った。
「お兄ちゃんとこの世界はクサビで繋がってる。失神しようと、すぐにここからは出られないの。それに心の世界で怪我をしても、現実の身体は綺麗なままだし、お兄ちゃんはこれから記憶を消される。だったら、どんなに痛めつけても何も悪くないよね!?」
息を荒げ、およそ子供とは思えない怪力で腕を掴んだムニンは、そのまま俺を床に押し倒す。
「ねえお兄ちゃん、ムニンに教えて! ムニンに見せて! 爪の間に針を刺したら、アナタはどんな悲鳴を上げるの? オチンチンに棒を突っ込んだら、アタナはどんな声で鳴くの? 額に水滴を落とし続けたら発狂するって本当!? 心の世界で酔わせても、痛みってマシになるのかな!? ねえ、ねぇ、ねぇねぇねぇ!?」
気道に流れ込み続ける血。
それに俺が咳き込む度に、ムニンの身体が紅く染まって行く。
顔や口の中に血が飛んでも気にしないその姿は、まさに狂気の子。
逃げたい、逃がしてくれ。嘆願と恐怖が頭の中で溢れ、思考が乱れた俺は――
「キャッ!?」
無我夢中で、ムニンの顔に炎を吹き付けた。
一秒、二秒、三秒。
普通に考えれば瀕死の重傷。だがしかし――
「そうだよね、そうじゃないと面白くないよね!」
「ふほ......はろ......」
ムニンには傷一つ付いていなかった。
薄氷が、ムニンの小さく丸い頭をスッポリと覆っている。
今使った氷の魔術は、水と風の複合属性。
そして少し前の電撃は、火・風・土の複合属性。
つまりこの子は......自然属性全てを使いこなすのか!?
「ふほは、はひへはい!?」
「アハハ、驚いた? だってムニン、“試作品”だもん! それじゃあ......」
歪な笑みを浮かべながら、何かをしようと立ち上がるムニン。
両手を上げ、うわ言のように何かを呟いていた、その時。
[ズゴゴゴゴゴゴ......]
地響きが、部屋を襲った。
「はんは.....!?」
「もー、おばさんったらセッカチなんだから。この空間ごと崩すつもり?」
ムニンは不満げに、プゥと頬を膨らませる。
が、すぐにこちらに向き直って笑顔を作った。
その直後――
「ァ゛ッ! ......ガ、ググ......」
全身に凄まじい荷重がのしかかった。
まるで床に張り付けられているように、俺は指一本動かせない。
だが、気のせいだろうか。
荷重に押しつぶされる直前、何かが肩に触れた気がしたのだ。
「ごめんね、お兄ちゃん。本当はもっと遊びたかったんだけど、時間が無いみたいなの」
心底残念そうな表情で、ムニンは俺の額にヒタリと人差し指を当てる。
そして――
「じゃあね、お兄ちゃん。また会ったら、今度はいっぱい遊ぼうね!」
天真爛漫な声が脳に響いたと同時に、俺の意識はプツリと途切れてしまった。
――
――――
「......ト――の。ひ......しゃハルト? うぅむ、中々起きませんなぁ」
「ン......んん?」
「かくなる上は、このサンダーモーニング一号で......そぉい!」
[バリバリバリバリ]
「アベベアベアベベベアバァ!?」
ゆっくりと目を開けて起きようとした俺の身体を、突然の電流が貫く!
「お目覚めですかな、被験者・ハルト!」
「お陰様でな! てかもうちょっと普通に起こしてくれねぇの!?」
「これが確実かつ最短である故!」
「流石だな! やっぱブレねぇよアンタ!」
俺のツッコミに、満足そうに笑うイスミ。いや褒めてないし。
経緯はともあれ、ここは現実世界 イスミ研究員のラボラトリー。
俺は心の世界から帰って来たのだ。
カプセルの中で上半身を起こし、安堵の溜息を付いたところで、別室からニーナが入って来た。
「長かったですねー、ハルトさん。端部繋ぎ終わった後も向こうに居て」
「んー、まあ......そうだったかな」
「もしかして、何かあったんです!? その辺り詳しくっ!」
何か、何かねぇ。
何があったっけなぁ。憶えてないって事は多分どうでも良い事なんだろうけど。
「さあ? 憶えてないから知らん」
「えーっ!? そう言う所にネタはあるんですからね!? 何か無いんですか、何か!?」
「うるさい暑いやかましい! てかヒトの記憶をネタにするとか、堂々と言うなよ!」
ギャーギャー騒ぐ俺とニーナ。
その様子を、レイドが訝しむような目で見ていた。
次回更新は8/16(月)を予定しています。
また、8/12〜8/16にかけて改稿を予定しています。
2022/8/28:
下記の描写を変更
『と同時に、真耶がうつ伏せに倒れる。』
→『と同時に、真耶が仰向けに倒れ込む。』
下記の描写を追加
だが、気のせいだろうか。
荷重に押しつぶされる直前、何かが肩に触れた気がしたのだ。
他、表現を一部修正