Part25 RAVEN
「じゃあ、そのレイヴンに事情を話したら一発じゃないか!」
興奮した俺は、真耶の方を振り返る。
――って、あ。遂にやってしまった。
「こっちを向きましたね、ハルト」
「い、今のはわざとじゃなくて――」
「問答無用です」
手だけをこちらに向けて、風を放つ真耶。
俺の身体は風にあおられた傘のように吹っ飛ばされ、大きな音を立てて水面に衝突した。
水だから対して痛く無いだろ、って?
いやいや、意外と痛いんですよ、これが。
川に放逐された俺は、背泳ぎでボートに戻る。
だって前向いて泳いだら、また何かされそうだし。
「ぷはぁっ、はぁ......。でも真面目な話、それで終わりだろ?」
「ハルト、頭でも冷やしたらどうですか」
「いや、今冷やしたばかりなんだが」
なんだったら全身冷やしたけど。
「なら分かるでしょう。私が今身に着けている宝具を与えたのもレイヴン、この宝具の効果があと一ヶ月で切れると教えたのもレイヴンです。奴にその気があるなら、とっくに解決しています」
「なるほど、そっか」
言われてみるとその通りだ。
その通りなんだが......
「そのレイヴンってのも意地悪なヤツだな。困ってる人を見放した訳だろ?」
「確かにその通りですが......奴の基準で言えば、手を差しのべた部類に入るでしょう。基本的に、一般人には干渉して来ない者ですから」
「ふーん......」
つまり人を助ける力を持ちながら、高みの見物を決め込んでるって事か。
なんか気に入らない奴だな。
「じゃあ、何で真耶にその宝具を与えたんだ?」
「私にも分かりません。だからこそ不可解で、とても気味が悪いのです」
「『気味が悪い』?」
そこまで言うほどだろうか。
確かに理由はハッキリしないけど、だったら『貰えてラッキー』ぐらいに捉えたら良いと思うんだが......?
「私でなくとも、この世界に住む全ての人間がそう答えると思いますが」
「いやいや、全ては流石に言い過ぎだろ」
「ならハルトは、この国の首相が突然目の前に現れ、何の見返りも求めずに10万甲を渡して来たらどう思いますか」
「そりゃあビビるって言うか、こう、怖いけど......え? つまりレイヴンって奴は、それぐらいの権力者なのか?」
「いいえ。
――この国の首相以上の力を持ち、誰よりも恐れられている存在です」
「ッ......!?」
真耶の言葉が、その言葉の内容が。
つい今しがたまで軽く考えていた、俺の頭にのしかかる。
真耶が言いたい事は分かった。
でも、分からない。
レイヴンとは一体何者なのか?
異世界に住む全ての人間が知り、恐怖する存在とは一体何なのか?
「つまりレイヴンは......巨大国家のトップか何かなのか?」
「そんな者が、月生に高校なんか作りませんよ」
じゃあ。
「月生のある、第四界 ニダヴェリールの長か」
「少し近いですが、違いますね」
だったら。
「教えてくれよ」
「......」
「勿体付けずに教えてくれよ、何なんだ」
国のトップでも、超国家の長でも無い。
それ以上に巨大な存在があるのだろうか。
いや、居るのだ。
居るのだったら、何なんだ。
一体何者なんだ、レイヴンは。
『自分だけがそれを知らない』。その状況も相まって、俺の中にモヤモヤとした感情が募る。
「なら教えますが、その前に一つ。今から話す事は全て事実です。それを、しっかりと心に留めるよう」
「......ああ」
沈黙。
向かい合わせに座る真耶の、静かに息を吐く音だけが耳に届く。
真耶が話し始めるまでの、数刻。
その間が、妙に長く感じた。
「一言で言うなら、世界の管理者です」
「世界の、管理者......」
「ええ。奴は人類に防ぎようのない災害が起こった時、人類が大きな過ちを犯しそうになった時、その力を行使します」
『世界の管理者』。
あまりに突飛な発言で、ともすればファンタジー用語にしか感じられない。
だが、真耶の真面目な口調が、それが幻想では無いと強く訴えていた。
「具体的には、どんな事をしたんだ?」
「最近の事であれば......今から420年前、第三界 ヴァナヘイムと直径30kmの小惑星が衝突すると分かった時でしょうか」
「ちょ、ちょっと待て」
420年前? 小惑星の衝突?
時間的・事象的なスケールの大きさが、人間の域を遥かに凌駕している。
全く想像が付かない話。
だが、推し量れない存在である事は、直感で理解出来た。
「それで......レイヴンはその小惑星をどうしたんだ」
「消したそうです。一瞬で」
「消したって、粉々に砕いたって事か?」
「いえ。どんな魔法を使ったかは不明ですが、奴は文字通り、小惑星を一瞬で消失させた、と」
「............」
驚きで、言葉を失ってしまう。
人の想像を遥かに超えた、神秘の力。
神の御業。そう言って差し障り無い所業。
「でも、それだと恐れられる理由にはならないんじゃないか?」
「ええ。実際、数百年前までは人類の守護者と捉える者も多かったと」
「つまり、何かきっかけがあったのか」
「はい。それが今から150年ほど前にあった、『血染めの黄昏』と呼ばれる出来事」
「随分と......物騒な名前だな」
さっきの話とは違い、随分と抽象的な名前。
だが、それが人に恐怖を植え付けたと言う事はすぐに理解した。
「端的に言えば、世界情勢への介入です。当時、世界の諸国は二つの勢力に分かれ、大きな軋轢が生まれていました」
地球で言う、冷戦に近い状態だろうか。
真耶は続ける。
「ある日、とある国家の間で軍事衝突が起きました。その規模は大きくありませんでしたが、それを受けて世界情勢は戦争秒読みと呼ばれるまで傾いたそうです」
「その時に......レイヴンが現れたのか」
「ええ。この時奴が取った行動が、両陣営国家の軍人の殺戮でした。二つの国家に属する軍人、計50万人を、日が傾いてから暮れるまでの数時間で殺したのです」
「だから、『血染めの黄昏』......」
人の命の尊さ・倫理観を完全に無視した行為。
神の裁き。そう言って差し障り無い所業。
とても理解できない、否理解したくない出来事だが、俺にはどうしても腑に落ちない、ある一つの疑念があった。
「50万人を、そんな短い時間で殺すなんて可能なのか?」
「普通なら不可能な数ですね。実際、複数の人物が目撃されたとの記録があります」
「じゃあ、レイヴンは一人では無い?」
「真相は分かりません。ですが......ハッキリしている事が一つ。奴......いえ、奴らは増殖します」
「ぞ、増殖......!?」
隕石を消し、人々を殺す存在が増える。
一瞬考えただけで、背筋を怖気が駆け上がった。
「それって、どんな感じに増えるんだ? まさか分裂する、とか」
「分裂では無く、乗っ取りに近いでしょうか。生物・無生物を問わず、ある瞬間を境にレイヴンと化す。......私が奴と会った時も、その光景を目にしました」
何の前触れも無く、人が、ものが、別の存在へと取って変わる。
それは、ある意味分裂よりも気味が悪く、到底理解しがたい事だった。
「普通じゃ......無いな」
「ええ。奴の前では、常識など無いに等しい。空想と禁忌を凌ぐ者、それがレイヴンなのです」
「なるほどな......」
その評価は、一個人に向けられる物としては極めて異常で、だが確かにふさわしく。
そう考えるに十分な根拠が、真耶の話の中にはあった。
そして、レイヴンからの施しを不気味に感じる心境も、十分に理解出来た。
理解を超えた力を持ち、世界を見下ろす者。
そのような存在が突然目の前に現れ、助けるなど、一体何のつもりかと疑心暗鬼になるだろう。
後になって、何かに利用するつもりなのか。
それとも、レイヴンが目を付けるほどの何かを、自分は背負っているのか。
レイヴンからの贈り物。まさしくそれは、呪いと呼ぶに違いない。
ただ、そう考えると気がかりなのは――
ソラは......大丈夫なのだろうか。
宝具を作れる存在が、レイヴン一人とは限らない。
でも仮にレイヴンだったとしたら。
自分の妹には、一体何があると言うのだろうか。
以前、シュウは『ソラはレリカントかもしれない』と言っていた。
そもそも、ソラが異世界に行く事になったのも、ウォリッジが『魔法の才能がある』と言ってソラを連れて行ったからだ。
レイヴンほどの存在が、二人や三人も居るとは考えづらい。だから、ウォリッジとレイヴンは無関係。
そうだと信じたい。
でも。
もし、ウォリッジとレイヴンに関係があって、レイヴンが認めるほどの才能がソラにあったなら。
これほどゾッとする話は無いだろう。
......いや、幾ら何でも悪い方向に考えすぎか。
「さっきから黙り込んでいますが、どうしましたかハルト」
「いや......結構重いって言うか衝撃的な話だったからさ。ちょっと疲れたんだ」
「まあ、気持ちは分からないまでも無いですが」
かく言う真耶も、声に疲れをにじませている。
それはそうだ。あんな事を、軽い気持ちで話せる訳がないだろう。
それに、何だかんだ言って結構話し込んだ感じがする。純粋に話し疲れたのかもしれない。
その証拠とばかりに、少し経つ内に三つ目の端部が姿を現した。
川の中を、ぷかぷかと浮いている。
「やれやれ、これで最後か」
「結局、最後まで砂漠には足を踏み入れませんでしたね。何も成し遂げないまま一生を終えるつもりとは、何とも寂しい男です」
「ぐ......別に良いだろ、現実じゃないんだからさ」
「そうではありますが。では、現実ではどうするつもりですか」
「そうだな。ちょっと......考えてみるよ」
そう言って答えを保留にしてから、俺は川の中へと飛び込む。
そして腰から下がるケーブルを手に取って、端部にブスリと差し込んだ。
......今更だけど、感電とかしたりしないんだろうか。ちょっと不思議だ。
と、脳内にいつものアノ声が響いて来る。
「ふむ! ご苦労ですぞ、被験者・ハルト!」
「いつも思うけど、端部差し終わったタイミングで話しかけて来るよな、イスミさん。実はこっそり見えてるのか?」
「いぃ~えぇ、そういう訳では! ただ、端部を差し終わったか否か、それはこちらでも分かります故!」
「あー、そう。で、次の準備は?」
「完了ッ・万全ッ・ノォォォウプロブレムッ! 三秒後に飛びますぞッ!」
「りょー」
立ち泳ぎしながら、俺は水中で目を閉じる。
「随分と慣れて来ましたね、ハルト」
「まあな。それより、あと三秒で次の世界行くっぽいから、真耶も心の準備しといてくれ」
「ええ、分かりました」
会話を済ました、そのすぐ後。
「お?」
水の浮力を感じなくなった事に気付き、ゆっくりと目を開けると――
「何だここ?」
「これはまた......ある意味、変わった場所ですね」
俺達二人は、何も無い真っ白な部屋で突っ立っていた。
次回更新は7/26(月)を予定しています