お詫びと企みと……
もこもこの毛布にくるまれたファウスティーナを抱き締め背中を撫でるシエルの手は、何度撫でられても優しさが尽きることはない。
シエルに保護されて早1ヶ月が過ぎた。最初の頃は情緒が不安定で突拍子もなく泣き出したり、急に不安に陥って動けなくなって周囲を困らせ、余計悪化するなど色々あった。そのどれにもシエルは根気良く付き合ってくれた。
教会の最高責任者である彼は忙しい部類に入る人。手を煩わせてはいけないと我慢しても、そうなる前に教会にいる間ファウスティーナの世話をしてくれるメルセスが気付いてシエルに伝え、駆け付けて助けてくれた。
最初の間、不安で仕方なかった母の突撃はなかった。きっと父が母を必死に止めてくれたのだ。シエルからも精神が安定するまでは面会は控えるようにと伝えてくれていても、ファウスティーナのことになると殊更暴走する母を止めるのは並大抵ではいけない。
最近になってファウスティーナ自身が父と兄宛に手紙を書きたいと言い出した。突然泣き出すことも不安になることも随分減ってきた。今なら家のことを思い出しても大丈夫だと。……但し、ベルンハルドについては一切出さなかった。シエルの献身的な看病のお陰で普段通りの生活が送れるまで回復したとはいえ、やはりあの時の言葉は未だ心に深く突き刺さったまま。ファウスティーナが暫く王妃教育を受けられないという事情はシエルが王妃に話してくれている。負担になるからと敢えて手紙は出さないでほしいとも。婚約については近い内、国王夫妻と公爵夫妻、そしてシエルを交え話し合うことが決定した。
助祭のオズウェルは何故か、宰相として王の補佐を務めるマイム=ヒュームの心配をしていた。曰く「行動力豊かな困った上を持つと下の者は苦労しますから」と疲れた表情でシエルを睨んでいた。オズウェルと素知らぬ振りをするシエルを交互に見やったのは記憶に新しい。
南の端にある教会は王都に比べ気温は温かい。が、夜になると寒さが増す。もぞもぞと動くと上から優しい声が降りた。眠たげな眼で見上げると天上人の如き美貌と目が合った。
「もう寝る?」
「まだ起きてます……」
「眠いなら、無理して起きてなくていい。眠れる時に眠るのが1番いいから」
「もう少しだけ。これ、肌触りがいいんです」
体を冷やさないようにとくるまれたもこもこ毛布は肌触り抜群で。何時までも触っていたい。
「気に入ってくれて良かった。明日からはメルセスが君に家庭教師の役を担ってくれる。事前に君を担当していた家庭教師からは、どの程度まで進んでいたか聞いているから焦って遅れた分を取り戻す、なんてことはしなくていいからね」
「はい。あ、でも、王妃教育は……」
「それも心配いらない。王妃殿下に教育を施した人を呼んでいるから」
「王妃様は、先代の王妃様に王妃教育を習っていないのですか?」
てっきり現王妃シエラもファウスティーナのように先王妃から王妃教育を学んでいたとばかり思っていた。意外な事実を知り目を丸くした。
「ファウスティーナ様は、私と陛下が母親違いの兄弟というのは知っているね?」
「はい」
王国では割と有名な話だ。現国王シリウスと教会の司祭シエルは異母兄弟。先王は、王国の為、民の為尽力した賢王と名高い反面、女性好きが酷かった。現在封鎖されている後宮には、当時若く美しい令嬢達が多数押し込められていたと聞く。
幸いだったのは、先王のお手付きとなって子を生んだのはシエルの母1人だけだった。平民の侍女であったシエルの母は、先王のお手付きとなりシエルを生むと嫉妬深くプライドの高い王妃の魔の手から逃れる為に先王が逃がしたらしい。
平民の血が流れるとはいえ、父親は紛れもない正統な王族。王子であることに間違いはないシエルは、王妃から守る為に後宮で育てられた。生まれる数ヶ月前に王妃の子であるシリウスが生まれている。兄弟と言えど、数ヶ月しか変わらない。生粋の公爵令嬢であった王妃のプライドは粉々に砕け散ったと言っても過言ではなかった。
未来の国王となる息子と王妃となる令嬢に、過剰なまでの要求を押し付けた。
……と、ここまで聞いてファウスティーナは自分でも顔色が悪くなっていくのを感じただろう。現にシエルが焦った顔で謝った。
「ああっ、ごめんね。君にこんな話は聞かせるべきじゃなかったね」
「い、いえ、わ、私が言い出したことなのでっ」
でも、と続けた。
「陛下も王妃様も、そんな辛い過去を感じさせないくらい凛々しくて立派なのに……私は……」
「……これも今の君に聞かせるべきではないのだろうけど。陛下と王妃殿下の今は、2人が幼少の頃から築き上げてきた関係が大きい。陛下は先王……父上を反面教師にして、当時婚約者だった王妃殿下と真っ当な関係を築こうと努力していた。その努力を王妃殿下も感じ、受け止めていた。まあ、変なところで意地っ張りだから拗れた時期もあったにはあったが……あの2人の今は互いに歩み寄る努力をしたから、だよ」
「……私じゃあ、もう無理ですね」
出会った日に大失敗し、嫌われた。悪い部分を認め、王妃や周囲の人の力を借りて直して歩み寄っても、何時だってベルンハルドの瑠璃色の瞳が見せる情は嫌悪だけ。自分から聞いておきながらショックを隠せないでいると「ファウスティーナ様」とシエルに呼ばれ。
「君に大事な話がある。君はこのまま、王太子の婚約者のままでいたい?」
きっと1ヶ月前の自分なら、どれだけ嫌われていても、きっと何時かはベルンハルドも自分を認めてくれる、エルヴィラに向けるその優しさを見せてくれると信じて婚約者のままで居続けたいと宣言するだろう。
が……
力なく首を振った。
「……嫌です。もう、やめたいです。4年間努力していたものが無駄になってしまうかもしれない。でも、それでも、もう嫌ですっ、殿下の婚約者は……」
言っておきながら、胸がずきずきと痛む。あんな言葉を吐かれても尚、ベルンハルドを好きな自分が何処かにいる。4年間の刷り込み、とも違う、もっと前から染み付いた見えない色がファウスティーナに訴える。
誰にも取られたくない、自分だけを見て、愛してほしい、と。
シエルの服をぎゅっと握り締めた。
「……でも、思うんです。1番、婚約を嫌がっているのは殿下だって」
「何故そう思う?」
「私が女神の生まれ変わりだから強制的に婚約者にされて、いざ会ってみたら自分勝手な性格の相手だったら、きっと誰だって嫌がると思います……」
更に痛みが強くなっても、ここで言わないと、意思を伝えないと後悔する。
「私、殿下のこと大好きだったんですっ。だから、どんなに冷たくされても何時かはって思って……でも、こうなって思い知りました。1番の被害者は殿下だって」
「……」
「なら……、せめて、殿下が好きな人と結ばれるようにするのが……今まで殿下の邪魔をしてきた私の……、……精一杯のお詫びです」
強く瞼を閉ざして脳裏に浮かぶのは、泣いているエルヴィラを慰め語り掛けるベルンハルドの姿。か弱い少女を守り、愛するのは小説では定番中の定番。理想の恋人となる2人の間に割って入る邪魔者は必ず存在する。小説の中の邪魔者になってしまう日がくるなんて、誰が思うか。
最近になって漸く止まった涙が再び溢れた。声を殺し震えると強い力でもこもこ毛布ごと抱き締められた。
「君が罪悪感に駆られる必要は全くないのに……お詫びなんてしなくていい」
「でも……っ」
「女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。大昔、王家と姉妹神が交わした誓約だから、簡単には王太子との婚約は破棄出来ない。だけど、正当な理由があれば可能になる」
「正当な、理由……?」
「そう。君は王太子の愛する人が妹君だと思っている」
「だって、事実、そうです」
「そうだね。なら、妹君を女神の生まれ変わりである君以上に王太子の婚約者として相応しくしないといけない。
――ファウスティーナ様。今から言うことを、よく考えた上で君の答えを聞かせてほしい」
シエルから告げられた衝撃の言葉。
止めたくても止められなかった涙がピタリと止まった。
「……で、出来るのですか? そんなこと……」
「きっとね。君はリンナモラートの生まれ変わり。君の、真に王太子の幸福を思う願いをフォルトゥナに捧げるんだ」
「そうしたら、そうしたら……殿下は幸せになれますか……?」
「ああ、なれるよ」
――この国で最も幸福な男になるよ……
ベルンハルドが幸せになるのなら、とファウスティーナは袖で雑に涙を拭うと――シエルに強く頷いた。
「でも焦る必要はない。ゆっくり、考えなさい。事を焦って判断しても良い結果は巡ってこない」
「はいっ」
しっかりと返事をしたファウスティーナは「よいしょ」と膝から下ろされ、横に寝かされた。
「君が眠るまで側にいてあげるから、今日はもう眠りなさい。明日は甘い朝食を食べようか」
「はい、司祭様」
昨日から一緒に寝なくても、途中起きて泣き出すこともなくなったので、眠るまでは側にいてもらうことになった。大きな手の温もりがとても心地好い。
シエルに聞かされた話は衝撃が強く、未だ信じられない部分が多い。だが、ファウスティーナなら可能だと言う。
女神の生まれ変わり、という特別な存在だからこそ実行可能な行為だと。
*ー*ー*ー*ー*
「すう……すう……」
安定した寝息を立て、朝を迎えるまでは起きない安心しきった寝顔を確認し。空色の髪をそっと撫でシエルは静かに部屋を出た。
時刻は夜中。壁に取り付けられた灯りを目印に部屋を目指す。
入ったのは私室。部屋主が戻るまでに待ち人はいた。
「1ヶ月で随分と良くなりました。取り敢えずは一安心、というところですか」
いたのはオズウェルだ。ソファーに座るオズウェルの向かい側に座るとタイミングを見計らったようにメルセスがワインと適当な肴を乗せたカートを運んで入った。テーブルにグラスを2人の前に置き、栓を抜いたボトルを傾け葡萄色の飲み物を注いでいく。
「君は飲まないの?」
「私、ワインよりカクテルが好きなので。また今度にしますわ」
「そう」
「面白いですわよね、ヴィトケンシュタイン公爵家は。特に公爵夫人は。あんなにも面白い方だったなんて、私知りませんでした。学生時代友人になっておけば良かったですわ」
「あのね……」
呆れた目をやるとメルセスは「ふふ」と聖母の微笑みで頬に手を当てた。
「まあ冗談として。リオニー様から連絡はないのですか? 私、何時突撃して下さるのか楽しみでずっと待っていますのに」
「いや、したよ。但し返事は、リオニーの夫からだけど」
「どうもリオニー殿。間の悪いことにここ数ヶ月、質の悪い風邪を引いてしまわれているようで。治り次第直ぐに伝えると言伝ては頂いたが……」
「案外、話がいったほうが早く復活したりするのに」
「病人に無理をさせない。余計な負担を負わせず、安静に療養させ、復活してから聞かせなさい」
「その時被る、リオニーからの鉄拳は私と陛下と公爵と……ああ、リオニーは女子供でも容赦しないから今回は夫人も殴り飛ばされるかな。あの妹君もひょっとして……」
「その日が来たら是非私も呼んで下さいね!」
「……ああ、なんで今の教会には困った性格の人しかいないの……」
大袈裟に両手で顔を覆って嘆くオズウェルはそのままに。メルセスは一口サイズに切ったチーズの皿を置いた。
「ささ、ワインだけでなくこれもどうぞ。実家から送ってもらいました」
「君の兄君に泣きながら“こいつをよろしくお願いします”って託された時はビックリしたよ」
「兄上は心配性ですから~」
「君が悪さしないか心配なんだろうね」
「まあ酷い! ……否定はしませんけど」
「どっちなの」
「ふふ。あ、そうですわ。司祭様、もうじき建国記念パーティーが開催されますが今年はどうします?」
毎年送られる登城要請の1つがこれ。教会の最高責任者としては行かないといけないが代理としてオズウェルを送るだけ。話し合いの日程を詰める必要もある。何より、建国記念パーティーは王国中の貴族は絶対参加。ヴィトケンシュタイン公爵家の長女であるファウスティーナも例外ではない。
難しい面でチーズを口へ放ったシエルは暫く咀嚼し、軈て……飲み込んだ。
「あの子の状態次第、かな。行くか行かない、かは」
「今年は行きなさいよシエル様。ファウスティーナ様なら、私やメルセス、神官達がちゃんと見守っているので」
「えー」
「えー、じゃないの全く! そういうところはあの坊やと同じなんだからもう」
「ああ、そうだ。ヴェレッドだ。ヴェレッドも連れて行こう」
「あのねシエル様。あの坊やにも都合が……」
「早速手紙を書こうか」
「人の話聞きなさーいっ!」
オズウェルの小言を全て右から左へ聞き流し、意気揚々と机の引き出しを開けて便箋を探す。はあー、と盛大な溜め息を吐いてソファーに凭れたオズウェルはぼそりと。
「……ああ、そういえば、シエル様のことになると陛下も幼少期は全く人の話を聞こうとしなかったな。先代司祭様も随分手を焼いておられたのを忘れてた……」
片方血が繋がっていると性格も似ている部分も出てくる。
困った異母兄弟に苦労する主な被害者であったマイムに心から同情するオズウェルだった。
読んで頂きありがとうございます。