美しさの裏を覗いては駄目
別室にて待機していたデザイナーの所へ連れて行かれたファウスティーナは絶賛採寸中である。仕切りを作って肌着に着替えるとメルセスは準備していたメジャーでファウスティーナのスリーサイズを計っていく。言われた数値をデザイナーは紙に書いていく。最後に身長を計るからと壁に背をくっ付けた。
「顎を引っ込ませて、肩の力を抜いて」
「はい」
ファウスティーナの踵から頭の天辺まで目盛りが書かれた布を伸ばした。
「141cmですね」
「141と……これで計測は終わりです」
「では、ファウスティーナ様。服を着ましょう」
「うん」
再び仕切りの奥へ戻って着ていた服を着せてもらった。今日は紺色の動き易さ重視のドレスである。デザイナーの座るソファーの前に座ったファウスティーナへ用紙に情報を書き込んでいたデザイナーが何色にしましょうかと訊ねた。
公爵家では、ドレスを作ってもらう時は殆どリュドミーラの意見が重視されていた。ファウスティーナもエルヴィラもピンク色が多かった。2人にとても似合うからと。また、可愛い物が大好きな趣味も入れられフリルがたくさん付いてもいた。
困ったようにメルセスを見上げた。
「どうしました?」
「私、普段はピンク色とか白のドレスを着てたんだけどほんとは青や紺色っていう、落ち着いた色が好きなの。でも地味だから駄目ってお母様に言われてて……」
ファウスティーナは濃い青系統の色を好む。青は見ているだけで落ち着く。昔からそうだから。何かの時にケインに漏らすと「ファナが好きならそれでいいんじゃない」と肯定してくれた。シトリンも同様に。
「ファウスティーナ様。此処に公爵夫人はいません。ファウスティーナ様の好きな色のドレスを仕立ててもらうのですから」
「うん……。でも、私には似合ってなかったけど嫌いな色って訳でもないの」
「うーん……」
メルセスは髪を右の人差し指で弄り出した。
10日程度ではまだ無理なのは承知していたが、どうしたものかと。
ファウスティーナはピンク色や白は自分には似合わないと自信を持って口にする。その途端落ち込む。
何故なら……
「……どうせ私は、エルヴィラに似合う色は似合わないもんね……」
「……」
ファウスティーナの思考があらぬ方向へ行き出した。やっと精神が安定してきたと安堵するのは早すぎたようだ。俯き加減が深くなるファウスティーナの前に回ったメルセスはしゃがんだ。
「ファウスティーナ様。ファウスティーナ様は春はお好きですか?」
「え……う、うん」
突然好きな季節を訊ねられ、怪訝に思いながらもファウスティーナは頷いた。
「春のカラーは白やピンク、後は黄緑や薄紫などがあります。ファウスティーナ様の髪の色を考えると淡い色より濃い色が宜しいです。ですので、こうしませんか? 例えば、紺色の生地に飾りとして白い花の刺繍を入れたり、後は1色だけではなく色を組み合わせるのも素敵ですよ」
春のカラーで例えるなら、春を感じさせるパステルカラーがオススメで。組み合わせは淡い青緑と淡いピンクがある。
デザイナーから色の冊子を借りたメルセスが解りやすいように説明をしていく。
淡い色を組み合わせたり、濃い色と淡い色を組み合わせたりと様々な色をファウスティーナは教えられていく。
1色だけなら似合わないと思っていたピンク色や白も、他の色と組み合わせることで1色よりも更に素敵な色に変わった。グラデーションも大事というのを理解した。
暫く色の話を続け、ある程度纏めているとシエルが様子を見に戻った。嬉しそうに近付くとシエルは両手を広げて、腰に抱き付いたファウスティーナを受け止めた。ふわりと舞う薔薇の甘い香りを嗅いだだけで幸福に包まれるのは、香りを纏う人の存在が大きい。頭を撫でられながらドレスの色を決めていたと話した。
「どんな色にするの?」
「まだちゃんとは決めていません。でも幾つか候補はあります」
「ゆっくり考えたらいいよ。メルセス」
「はい」
「この後、頼まれ事を引き受けてくれ」
「構いませんがファウスティーナ様は……」
「心配しなくても私がいるから、安心して行っておいで」
朝早くから司祭の仕事があると、朝食を終えるとすぐに教会に行ったシエル。まだ昼も迎えていないのに……あまり溜まっていなかったのか、それともシエルの仕事を捌く方が早かったのか。
考えているとファウスティーナは抱き上げられた。首に腕を回して抱き付くと背中をぽんぽん撫でられる。ずっと泣いていたファウスティーナをあやしている時もずっと撫でてくれていた。赤子が母にあやされるのと同じ動きは体の底から安堵が湧き上がる。特にシエルにされると顕著となる。
――ドレスのデザイン決めは明日となり、今日は色の候補をある程度決めて終わりとなった。シエルの私室で早めの昼食を取り、2人掛けのゆったりとしたソファーでお昼寝しているファウスティーナの傍ら、空色の髪を起こさないよう慎重に、でも慈しみの籠った手付きで撫でるシエルは控えるメルセスにある用事を頼んだ。
「公爵家に行って来て」
何処の、とは言わず。
「構いませんが……ああ」
理由を訊く前に大方の意図を察した。
「ファウスティーナ様の私物を持って来るのですね」
長年ファウスティーナが愛用している小物類は当然公爵家にある。教会側で全て準備もいいが、思い入れのある使い慣れた物の方がファウスティーナにも良いだろう。
しかし――。
「いいや」とシエルは否定した。
「違うのですか?」
「一応、それもあるけど大部分は……今の公爵家の様子を見てきてほしいんだ」
「公爵家の?」
「そう。私が行ったら警戒されたり怯えられるから」
9日前、休暇最終日に突然呼び出されたメルセスは、暫くの間ファウスティーナの世話係を任せると命じられた時は驚いた。
空色の髪と薄黄色の瞳の少女。数百年振りに生まれた女神の生まれ変わり。ヴィトケンシュタイン公爵家の長女が何故泣き疲れた顔でシエルに保護されているのか、詳細な説明を受けたメルセスは非常に呆れた。
会った日から相性が悪いのは政略結婚によくある。お互い決められた家の結婚に反対出来ないので大抵結婚をし、義務を果たしてから愛人を作る。
貴族令嬢特有の我儘と傲慢な振る舞いを王太子が嫌っていると何度か耳にした。ファウスティーナ自身にも悪いところはあったのかもしれない。
実際今日接してみて知った。ファウスティーナに典型的な高位貴族の娘にありがちな嫌な部分はない。初対面の相手にもきちんと挨拶をして丁寧な話し方をし、人の話に耳を傾けられる。根っからの悪い子じゃないのだ。ただ、長い間あからさまな差別をされ続けたせいで贔屓される対象が羨ましかっただけ。子供が母親に相手をしてほしくて気を引く、どんな子供だってする行為を一切許してもらえなかった。処か、立派な将来を確固たる物にする為の教育を受けさせられるだけでまともな優しさを与えられていなかった。幸い、公爵である父親や年子の兄、親身になってくれる使用人のお陰で真っ直ぐな子だ。
ファウスティーナが拘るのは母親と婚約者だった。愛情を欲するから拘ったのに、何も貰えなかった。
シエルに甘えるのも両者から貰いたかったものを惜しみ無く与えられるからだろう。眠っていてもシエルに頭を撫でられているファウスティーナの寝顔は幸せそうだ。
「シエル様は今の公爵家の様子を私に見に行け、そう仰っているのですね」
「私が行きたいのは山々なんだけどね」
「ファウスティーナ様のことはどうお話しましょう?」
「私はもう、この子を公爵家に返すつもりはない。返せと喚かれても安定の兆しがないと言えばいい」
「助祭様が言っておられましたよ。国王陛下が王太子殿下の婚約者であるファウスティーナ様を何時までも此処に置いておかないと」
「その件については今朝話したよ。陛下とも一応今後について既に話し合った。後は、向こうがどうするか、だよ」
あの国王嫌いのシエルが何時話したのか。信じられない物を見る目で見たせいで嫌な顔をされた。
「私だって我慢するよ」
「そうですか。分かりました。ヴィトケンシュタイン公爵家に向かいますわ」
「うん。頼んだよ」
軽く頭を下げてメルセスは退室した。馬車は既に手配されているだろう。抜け目がないので。
屋敷を出て教会の馬車停まで行くと予想通り準備されていた。
……部屋に残ったシエルは何度も空色の髪を撫でていた。指で梳くとするすると通る綺麗な髪。
毛先にかけて緩くウェーブがかった癖毛。
心からの笑顔はどんな花や宝石にだって負けない魅力があり、花を眺めるのが好きで小動物と戯れるのも好き。
幸せな夢を見ていてほしい。夢も見ない程熟睡してくれていてもいい。
ただ、安らかな眠りを堪能してくれていたら。些細だが比べようのない大きな幸福がこの子に与えられますように、と願う。
コンコン、と扉がノックをされた。「ふわあ~い」と欠伸混じりで返事をしたら、呆れ顔でオズウェルが入った。
「誰が欠伸しながら返事をする人がいますか」
「此処にいるじゃない」
「私だからそうしたんでしょうが全く」
当たっているので反論はしない。
「どうしたの」
「焚き火の燃料にする手紙に混じっていまして」
「うん?」
オズウェルが差し出した4通の手紙。
押されている封蝋は王家の家紋。
「……」
「誰から、とは言わずともいいでしょう。如何致します?」
「……今まで邪険にしてきた相手の文字って、真面目に見たことある?」
「生憎とそういった相手が私にはいないので何とも。ただ、親しい友人でもない限り相手の文字の違いに気付く人はそういないでしょう」
「そう。ヴェレッドが寄越した手紙にもあったよ。届くって」
「あの坊やはどうしたのです?」
「読んで捨てたって」
「はあ……」
今度は違う意味で呆れるオズウェルを視界の端に追いやり、立って机に行った。右の1番上の引き出しから便箋を取り出した。別の手にペンを持った。
そのままソファーに戻り、便箋とペンを丸テーブルに置いた。
「……過度に追い詰めれば、後々厄介なことになりますよ」
「この子を十分追い詰めてくれたんだ。これくらい過度でも何でもない。なに、お忙しい王太子の時間を取らせる真似はしたくないとしおらしく書けば安心するだろう」
「書くなら、利き手ではない右で書いてくださいよ」
「ああ、分かってるよ」
シエルの利き手は左。便利だからと幼少期両利きになれるよう訓練した。左程ではないが右手でも文字は書ける。
この10日間、公爵家からの接触を気にしながらも王太子からの反応にファウスティーナは何も期待していなかった。あれだけの言葉を吐いた相手を気にする人じゃないと語っていた。ファウスティーナ自身も王太子の――ベルンハルドからの反応を期待していない。無いとすら思っていた。シエルに訊いてきたのは公爵家のことばかり。
「……ああ、そうだ」
「どうしました」
「メルセスに公爵家の様子を見て来てとお願いしたんだ」
「知っていますよ」
「今日は月に1度あるっていう、王太子が婚約者の家に訪れる定期訪問の日だ」
「……貴方、それ、知ってて行かせました?」
「いいや? 今思い出した」
引き攣った相貌で絶対に行かせただろうと確信しているオズウェルにシエルは美しい微笑を見せた。
老若男女問わず虜にする天上人の如き美貌の裏に隠されたおぞましく残酷な素顔を知るのは極少数。オズウェルはその1人。ヴェレッドもシリウスもいる。
すらすらと手紙を文字を流すように書いていたシエルは綺麗に便箋を折ってオズウェルへ手渡した。
「どんな土産話を持って帰って来るか……今から楽しみだ」
―ヴィトケンシュタイン公爵邸ー
疲労が溜まっているのか、些か顔色の悪いケインは書庫室の一角にて、床に座って手紙を読んでいた。行儀は悪くても人は来ないので注意する人もいない。
……と油断していたら、執事の中でも有能で仕事熱心、でも寡黙なカインが此方へ来た。
「坊っちゃん。お行儀が悪いですよ」
「知ってる。今は静かな場所にいたい」
「お庭で読まれては?」
「庭はどうせ、大泣きしたエルヴィラを慰めようと母上がお茶のセッティングをしてるだろうから尚更行かない」
「なら、椅子を持って参りましょう」
「いいよ。このままで。父上以外殆ど来ないから」
「私が来ています」
「……分かったよ」
言い返しても次の言葉を放たれるだけ。諦めて手紙を閉じたケインは立ち上がってズボンの埃を払った。カインが続くように付いて来る。
「お疲れのようですね。ホットココアでもお持ちしましょう」
「そうして。部屋に戻るよ」
「畏まりました」