役名は“引き立て役”
長い夢を見ていた。
一面芝生の世界。ぽつんと1人座るファウスティーナは、紙芝居で場面が変わるように今までの自分の行いを見ていた。
初めての顔合わせでベルンハルドに会った日。
初日から失敗してベルンハルドに嫌われながらも、認めてもらおうと必死に王妃教育に励んだ日々。
時に休みたくなっても、しんどくて体が怠い時も、努力していたら何時かきっとお母様も王太子殿下も認めてくれる。そんな日が来ると信じて励む日々。
でも、どれもエルヴィラが来て台無しになる。
ファウスティーナが必死に努力している傍ら、自身も家庭教師との勉強がある筈なのに庭園で母とお茶をするエルヴィラが心底羨ましかった。
部屋にいなさいと言い付けられているのにベルンハルドが来ると必ず何食わぬ顔をしてやって来るエルヴィラを追い出し、余計ベルンハルドに嫌われあろうことか彼は毎回必ずエルヴィラを追い掛けて行った。その間、ファウスティーナはほったらかしだ。従者に憐れむような瞳を向けられ、とても惨めだった。
ベルンハルドが自分に向ける瞳とエルヴィラに向ける瞳。
天国と地獄の差がそこにはあった。
ここが夢の世界だとファウスティーナ自身も何故か分かってしまった。だからこそ、過去の記憶を冷静に眺められるのだろう。
……結局、いくら努力したって、母に愛される妖精のお姫様の魅力を持っていないと好きな人の気持ちは向けられないのだ。
*ー*ー*ー*ー*
「ん……」
夢から覚めたファウスティーナは非常に心地いい温もりから抜け出したくなくてこのまま寝続けようかと迷った。薔薇の甘い香りに包まれ、全身から安堵が流れる温もり。そして、背中に回っている手と聞こえる心音。この辺で意識が段々明確になってきた。ちゃんと見るとファウスティーナは誰かに抱き締められていた。で、自分自身もその人に抱き付いていた。
背中に掛けられたもこもこの毛布と同じ物か、その人の体を包む毛布ももこもこである。
「起きた?」
「!」
頭上から降った慈愛に満ちた声。救いを求める人々の前に降り立つ天使の声色だった。
ばっとファウスティーナが見上げると王国で最も美しいと評される男性の顔があった。
状況が読めないファウスティーナが口を開閉させるとふわりと微笑まれた。軽いパニック状態に陥り掛けたのに男性の微笑みを見ただけで急激に落ち着きを取り戻し、釣られてにこりと微笑み返した。
男性――シエルは「よいしょ」と体勢を直した。よくよく見ると、1人がけのゆったりとした椅子に座ったシエルの膝に乗せられる形で眠っていたらしい。椅子には柔らかなクッションが敷き詰められており、寝ても問題無さそうな造りである。
下を見て着ていたピンク色でフリルが沢山ついたドレスではなく、少し上質の白いワンピースを着せられていた。
「沢山眠っていたね。ちょっとは気が楽になった?」
「はい……あ」
掠れた声に驚く。同時に1日中泣いていたのだからそうなるか、と俯く。
頭に暖かいものが乗った。
シエルの手だった。
「無理をして喋らなくていいから、私の今から言うことを聞いてくれる?」
ファウスティーナは頷いた。
「……昨日のことは覚えているかい?」
本当なら覚えていたくない記憶だが、現実に起きたのだから目を背けられない。重く頷くとごめんねと謝られた。
「君に辛いことを思い出せてしまうが聞かなきゃならない。王太子に言われたと言っていたあれは事実だね?」
“お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!”
11年生きてきた人生の中で最強レベルの強さを持った刃物だった。言い放ったベルンハルドのあの時の表情……好きになった訳でもない、王太子として生まれてしまったが為に女神の生まれ変わりだから傲慢な令嬢と婚約を結ばされた……抗えない絶望を怒りに変えてぶつけられた。導線に点火し、爆発させたのはファウスティーナの余計な一言が原因。
『どうせ殿下もお涙頂戴しか取り柄のないエルヴィラが可愛いですものね! エルヴィラと殿下、お似合いですわよ!』
売り言葉に買い言葉。冷遇されるのは毎日だったのにその日だけは、普段抑えていた感情が表に出て口に出してしまっていた。
その結果が――ベルンハルドのあれであった。
掠れ声ではあるがファウスティーナは話した。自分が喧嘩腰でベルンハルドに言ってしまったから、と。
泣いて動けなくなった所を見つけて保護してくれたシエルでも、原因が分かってしまえばファウスティーナを責める。もう家に帰らなくていいと言ってくれていたが、理由が理由なら帰りなさいと言われる可能性がある。怖くてシエルの顔を見られないでいると「ファウスティーナ様」と呼ばれた。恐る恐る上を向いたら、あの優しい微笑があった。
「君も言い過ぎたかもしれないが普段の王太子の行動を見ていたら、そう言ってしまっても無理はない。図星を突かれたといって、君を傷付けた王太子が問題だ。王太子として振る舞えと幼い頃から周囲に言い付けられているのに、婚約者に反論されただけで感情を露にするなんて……これでは王太子失格だ」
「で、でも、私も」
「君は十分努力している。理不尽な母親の要求にも耐え、無条件で愛される妹を見せ付けられても文句は言っても暴力はふるっていない、そうだろう?」
「……っ」
昨日沢山流れた涙はまたファウスティーナの頬を濡らした。目元に染みるような痛みが発生したが気にもならない。
どうして自分だけ、と何度も思い母に噛み付いた。その度に叱られ、更に反論したら頬を打たれた。手を出したら自分も母と同じになる。決して手だけは出すもんかと必死に耐えた。毎回、自分を叩くと我に返った母が顔を青ざめるが遅い。軽蔑の目を向ければ、震えた声で母親に対しての目ではないと怒鳴られた。
ずっと一緒に住んでいる人は分かってくれないのに、年に1回しか会わないシエルは分かってくれるのか。
「うう……ひ、く……あああぁっ」
「うんうん。まだ君の中には、流し切れてない涙が沢山ある。全部流してしまいなさい。そうしたら、世界はクリアに見えるだろう。君が今まで拘り続けたものはとても大きい。でも、個人と世界で比べるととてもちっぽけだ。寂しいかもしれないが君が愛情を欲する人に拘らなくても、君自身を見て正当に評価し、愛してくれる人は沢山いる」
はっきりとしているのは、この人の与えてくれる温もりだけは絶対に手放したくない、ということだった。
もし家に戻らず、ずっと教会に居続けたいと言ってベルンハルドとの婚約が白紙になっても構わない。自分がいなくても公爵家にはエルヴィラがいる。
女神の生まれ変わりは必ず王族に嫁ぐ。
「ふううぅ……ああああああ……しざい、ざまあぁ……」
「思いきり泣いて。すっきりしたら、美味しい朝食を食べよう。君の大好物を用意するよう言ってるから、一緒に食べよう」
「はいぃ……っ」
嫁ぐのは王太子でなくてもいいのだ。生まれた歳が一緒だったから選ばれただけ。弟王子のネージュには迷惑を掛けっぱなしな上、自分のせいでベルンハルドとの仲が険悪になる場面が多々あった。ベルンハルドとの婚約からネージュとの婚約に変わったら、兄弟の仲は違う意味で悪くなっていく。
だが……歳が離れているシエルでも、王弟なので嫁いでも問題ない、……筈なのに絶対に駄目だと頭が警鐘を鳴らす。
今は深く考えず、与えられる温もりと安心感に浸っていたいファウスティーナは更に抱き付いたのだった。
親子ですから……。
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