利用できるものは全て
朝に削除した回を加筆修正した分になります。
“運命の恋人たち”――
王国に伝わる昔話。魅力と愛の女神リンナモラートに認められた男女を指す言葉。幸福の象徴とも呼ばれ、結ばれた男女は必ず幸せになる。女神の生まれ変わり同様、滅多に誕生しない。故に王国に住む者達は“運命の恋人たち”に憧れる。
初代国王となったルイス=セラ=ガルシアと地上に舞い降りた女神リンナモラートは人間と女神の立場でありながら恋に落ちた。運命の女神フォルトゥナが祝福したことで2人は結ばれた。“運命の恋人たち”とは、フォルトゥナが数多の糸によって結んだ運命の中でも、特に強い運命に結ばれた男女をリンナモラートが選定した恋人たちを指す。結ばれた男女は必ず幸福になる。これに例外は一切ない。
この国に住む者なら誰もが知っている伝説を引き起こそうと――姉妹神を祀る教会の最高責任者は口にした。
リンナモラートの生まれ変わりである、自分の娘を腕に抱きながら。
信じられない言葉を平然と言ってのけたシエルを衝撃が大きくて放心しているオズウェルではなく、いつの間にか壁際に移動して凭れていたヴェレッドが待ったをかけた。
「あのさ、シエル様。お伽噺が現実になるのがこの国だけど、いくら何でも無謀じゃない?」
「そんなことはないよ。君の言う通り、この国はお伽噺の力を現実にしたような国だ。強く、純粋な願いを女神が聞き入れ、実現させる。現実に起きているからこそ、この国は女神を崇拝する」
「……その割には、大事な女神様の生まれ変わりをぞんざいに扱っていたけど?」
「女神に固執する王家と人の良い皮を被ってこの子を虐待紛いな扱いをしてくれた公爵家には、相応のお礼をさせてもらうよ」
「王家というか、王様が拘ってるのはシエル様だけどね」
「それがさっき、貴方の言った王太子殿下とエルヴィラ嬢を“運命の恋人たち”にする、というものですか」
復活したオズウェルが確認するように問う。
「まあ、ね。ただ、全てはこの子の気持ち次第だ。王太子の婚約者はもう嫌だと泣き叫んではいたが、ファウスティーナの最終的な気持ちを聞いてからにする。……でないと、もし王太子を好きなままでもう1人の子と結ばせたらファウスティーナが可哀想だ」
「シエル様が聞いた通りの言葉吐かれて好きでいると思うの?」
ヴェレッドの言い分は尤もだ。
“お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!” などと、ずっとベルンハルドに認めてほしくて努力し続けていたファウスティーナに、最後の止めと言わんばかりの暴言を吐いてくれた。また、シリウスに事情を説明しに別れたヴェレッド曰く、青ざめた表情で誰かを探していたと聞く。大方、自分の出した言葉の暴力がどれだけの威力を持っているか認識し、怖くなって探していたのだろうと推測出来る。
完全なる拒絶を受けて尚好きでいる相手が何処にいる。
だが――
「普通はそうだ。でも人の心っていうのは、本人にしか分からない。他人が解釈しても間違いであることが多々だ。善意で曲解し、間違った心を向けたらそれこそ元に戻れない。ファウスティーナの気持ちを聞いてから、王太子ともう1人の子をどうするか考えよう」
「はーいはい」
全てはファウスティーナの気持ち次第。
急かす気は更々ない。
ゆっくり休ませ、傷を癒し、十分に安心出来る環境を作り上げて漸く気持ちを聞く。
「失礼します」と執事がやって来た。
「シエル様。湯浴みの準備が整いました。急ぎではありますがお嬢様の着れる服も準備しました」
「そう。じゃあ……あ」
眠っているがこのままファウスティーナを洗ってもらおうとシエルが下を向くと、小さな手がシエルの上着を強く握り締めていた。離そうと手を開かせようとするが固い。固く、閉じられていて開けない。
空色の頭をぽんぽんと撫で、安心させる声色で諭しても力は緩まない。
困ったねと苦笑しながらも、接点の少ない自分を頼ってくれている。
真実を話して、母親と思っている女から受けているのは愛情でも何でもないと知ってほしい。父親と思っている男はファウスティーナを守り育てていたのだろうが、妻の暴走を止められなかっただけでシエルには容赦する必要がない。妹と思っている少女も然り。こちらの方は考えているがどうせあの母親が全力で拒んで来るだろう。得意の泣き落としで夫を説得し、夫も妻に弱いのでどうにかしようと動く。兄と思っている少年は……底が読めない。毎年誕生日の祝福を授かりに教会へ来るが無表情を崩した所を見たことがない。常に涼しい顔をして、時に自慢げに息子を語ろうとする母親を黙らせていた。
お年頃なのかなという邪推は勘違いとなる。彼の母親を見ている瞳は暗闇の底を歩いている錯覚を引き起こした。一切の感情を読ませない瞳が背筋を凍らせたのは記憶に新しい。
手を離さないとファウスティーナをお風呂に入れられない。けれど、無理矢理手を放して不用意に起こすのは駄目。良策はないかとシエルが思考を回し始めた時。気配もなくヴェレッドが前に立った。驚かないシエルが見上げたら、左手にお気に入りのナイフを手にしていた。
見る者を魅了する薔薇色の瞳が愉快な色に染まっていた。
「敢えて聞くけどそのナイフは何?」
「うん。お嬢様を剥がせなくて苦労してるシエル様の手助けをしようと思って。服の前を切っちゃえば無理にお嬢様の手を開く必要もないでしょう?」
シエルの着ている衣服は登城する為に必要な、最高級の生地と最高の腕を持つ職人が作った服だ。1着作るのにどれだけの手間とお金が掛かっているのか、目の前の男は理解している。
していてもする。
それしかないか、とシエルは諦めた。吐いた溜め息が了承の合図と知っているヴェレッドは、上着の襟から内側に左手を入れて、右手で左の鎖骨から下へナイフを下ろしていく。毎日研いでいるのか、新品同様の輝きを放つ銀色はあっという間に布を切った。右側もナイフを持つ手を変えて同じように。前はファウスティーナが掴んでいるので包むように。中途半端な布と化した上着は丸めてゴミ箱へ押し込んだ。
ヴェレッドがファウスティーナを抱えるとシエルはベッドに寝転んだ。
「はい執事さん。丁寧に洗ってあげてね」
「心得ております。お嬢様を侍女に預けたら、お飲み物をご用意しますね」
大事にファウスティーナを抱えて執事は部屋を出て行った。
「そうだ」と上体を起こしたシエルはオズウェルを見上げた。
「手紙を出すよ。リオニーに」
「それが良いでしょうな。少しでも遅れれば、11年前のように激昂されますから。リオニー殿に報せるのとメルセスにも連絡を入れましょう」
「明日まで休暇を取ってるでしょう」
「ですがファウスティーナ様を世話するのにうってつけな者は、教会ではメルセスしかいません」
「ずっと不思議だったのだけど、叔父上の代の時は女性の神官は沢山いたのに、私の代になると激減したよね」
「そりゃあシエル様。貴方、自分の顔を鏡で見て来なさい」
自分の顔が女性に見られては困ると言われたようでシエルは不満げな表情をするが、シエルの美貌に夢中になって神官の仕事が疎かになるのを恐れた上での処置なので仕方なし。また、先代司祭の代にいた女性神官は皆近くの修道院や教会支部に配属されたので仕事を失ったとかの話もない。
オズウェルの出したメルセスは、女性ではあるが非常に特殊な性癖を持った人物だ。心配ではあるがファウスティーナの世話を任せられる適任者が彼女しかいない。
これからのことは明日話し合おうと一旦話を打ち切った。
すると。
「ふわあ……。ねえシエル様。俺王都に帰る」
「帰るって、もう夜になるよ。こんな時間に馬車は動いてない。というかヴェレッド。君一体何処で何をしてるの? 11年前ふらっと姿を消したと思えば、偶にふらっと帰って来てはまた消えるんだから」
「うん? うん。……うーん」
幼い頃のシエルが貧民街へ足を運び、浮浪者に襲われそうになった所を助けたのがヴェレッドだ。
シエルの疑問に難しい顔をして唸るヴェレッドは、考えた後左襟足を口元で持って行きオズウェルに耳打ちした。
「……」
見る見る内に青銀の瞳を見開かせ、驚愕に染まるオズウェルの顔にただ事ではないと判断する。話し終えたヴェレッドが離れた。オズウェルは何度も瞬きを繰り返す。聞かされた話を飲み込むように。
そして。
「はあーーー……」
盛大な溜め息を吐いてヴェレッドに向いた。
「だから君は何歳になっても坊やなんだよ……」
「俺もう27だけど」
「中身の問題だよね。一体何を話したの?」
「えー」
「えー、じゃないの」
「……私は何も言わないよ。坊やからシエル様に説明しなさい。そして、思いっっっきり叱られなさい」
「ええー」
「ええー、じゃないの坊や」
付き合ってられない。とオズウェルは部屋を出て行った。扉の向こうから、話が終わったら早朝に馬車を手配すると言って去った。
残されたヴェレッドは話せと視線だけで問い詰めてくるシエルに白状した。
盛大に叱られたのは言うまでもない。
と同時に、
「戻ったら定期的に手紙を書くよ。きっと暫くは面白いよあの家。特に、もう1人のお嬢様と奥様の仲良し母娘劇場は毎回お腹抱えて笑いたいのを堪えるのが大変」
「悪趣味な」
「シエル様だって人のこと言えないよ。全部話した上で利用しろって言ったんだから」
「ただし、あの子に危害が及ぶようなことがあったら……」
「うん。へまはしない。当分先になるだろうし」
聞いた話を最大限利用すると言い出したシエルにヴェレッドが驚いた様子はない。
最初から、話したらシエルなら利用すると解りきっていたから……。
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