望み次第でも最後はきっと
2020/10/16 ファウスティーナがシエルに保護された年齢を8歳→7歳に修正しました。
忘れもしない。
生まれた我が子の姿を目に焼き付けるように見つめ続けたアーヴァの強い瞳を。
私達の宝物。そう最後に言い残し、息を引き取ったアーヴァは最後まで我が子の小さな手を握っていた。
……まるで幸せな夢でも見ているかのような顔で眠っているのはないかと錯覚する程の、穏やかな死に顔だった。
アーヴァが命と引き換えに生んだ我が子を漸く取り戻せた。代償はあまりに大きくても……。
約2時間かけて南を目指し続けた馬車が教会に到着した。馬車停ではなく、教会の奥を行った屋敷に。
ファウスティーナを抱え、馬車を降りたシエルは急ぎ足で屋敷に入った。ヴェレッドはジュードに何事かを耳打ちすると教会へ走らせた。
最初にシエルを迎えた老年の執事は大変驚いた様子でいた。ファウスティーナを抱えているシエルがすぐに湯浴みと着替えの準備をと指示をした。ファウスティーナがシエルの娘だと邸内で唯一知る執事は直ぐ様準備に走った。シエルの隣を過ぎた際、ちらりと見えた。眠っているようではあるが目元が赤く腫れているのを。時たま鼻を啜る様子から、泣いているファウスティーナをシエルが強引に連れ帰って来たのだろうと推測した。
4年前の、ファウスティーナの7歳の誕生日の時もそうだが何故この子だけ、理不尽な思いを強いられないとならないのか。
きっと今回も公爵夫人が何かをしてファウスティーナを理不尽に傷付け、偶然シエルが見つけ保護して連れ帰って来たのだろう。
彼等の辞書に反省の文字はないのか。あの時は国王であるシリウスにも話がいき、厳重注意を食らったと聞く。更にファウスティーナの実の伯母であるフリューリング女侯爵の強烈な怒りを食らったとも聞く。親戚である公爵は問答無用で殴り飛ばされ、夫人はあまりの怒りの強さに失神したらしい。シエルの方は、その年のケインとエルヴィラの誕生日の祝福をすっぽかしただけ。代わりに助祭が担当した。
手の空いている使用人に湯の準備、それと11歳の女の子が着れる服を買いに行くよう指示を飛ばした。後、新鮮なオレンジを大量に購入してくるようにとも。
「暫く、オズウェル君は忙殺されるだろうな……」
先代司祭の頃から助祭を務める、この国1番だと執事が思っている苦労人へそっと手を合わせたのであった。
ファウスティーナを抱いたまま、私室のベッドに腰掛けたシエルは空色の頭に頬を乗せて背中を一定のテンポで撫でていた。
大丈夫、大丈夫と。道に迷い、何処へ行けば良いか分からず泣き続ける幼子を慰めるように。
向かっている最中、ファウスティーナは途中起きて街で買ったオレンジジュースを飲み干した。ずっと泣いて水分を欲していたのだろう。お腹も減っていたのか、マフィンをゆっくりとだが食べた。
食べ終わると安心したのか、また眠ってしまった。
それでいいよ、とシエルはずっとファウスティーナを抱き締め続けた。
今のファウスティーナは眠ったまま。
次に起きたら、暖かいお湯に浸からせて気分を変えてあげないと。顔も泣いたままだと翌日酷い顔になるので洗わないといけない。
これからのことを考え始めようとした時。ノックがされ、返事をする前に扉が開いた。シエルが返事をする前に入る輩は1人しかいない。
予想通りの相手――ヴェレッドは助祭を連れていた。
「おや、オズウェル君」
灰色の髪を肩辺りで綺麗に揃えたオズウェルと呼ばれた男性はファウスティーナを見、次にシエルへ視線を移した。移動中ヴェレッドから事情を聞いたらしく、大きな溜め息を吐くと同時に肩を落とした。
「いつかはこうなると思ってましたよ。ええ、ええ。貴方達って、本当親子ですよね」
シリウスとベルンハルド。
シエルとファウスティーナ。
親子揃って同じ言動をし、親子揃って同じ目に遭う。
これもまた、フォルトゥナが結んだ糸の先にある運命のせいなのか。
「ファウスティーナはもうずっとここに居させるよ」
「今回ばかりは陛下も無理矢理戻そうとはしないでしょうが……ただ、簡単に出来るとは思わないで下さい。陛下……シリウス様も難儀な方だ」
「えー、王様お嬢様がこんなになってもあの家に戻そうとするの?」
「無くはないのだよ、坊や。ファウスティーナ様は漸く生まれたリンナモラートの生まれ変わり。大昔、王家と姉妹神が結んだ誓約によって、女神の生まれ変わりは必ず王子と婚姻を結ばないとならない。例外は今の1度もない」
「それって、今までの子はちゃんと王子様に大事にされてたからでしょう?」
「ああ……ほんと、先王の時代から王族はかなり面倒くさい性格の人しかいない」
先代司祭、つまり先王の弟を幼い頃から補佐し続け、彼が司祭になっても助祭として支え続けたオズウェルは王族の面倒くさい性質をよく理解していた。
シエルに司祭の座を譲ると嵐の如く旅立って行った先代に同行しなかったのは、他でもない先代の頼みだったから。
アーヴァを失い、更に娘を公爵家に渡すようシリウスに迫られ、追い詰められていた当時のシエルを必死に説得した先代はこう言っていた。
『シエルちゃん。今は辛抱する時だ。何時か必ずこの子と暮らせる日が来る。それまで生きなさい。僕達も出来ることはなんでもするから』
親戚筋のヴィトケンシュタイン公爵家ではなく、アーヴァの姉リオニーが継いだフリューリング侯爵家では駄目だったのか。決して駄目な訳じゃなかった。
シリウスにとって扱い易い公爵の方が何かあった時早急に対処出来るようにとのことだった。それが却って状況が悪くなろうとは誰が思うか。
4年前の時点で強制的に王家が保護するか、教会かフリューリング侯爵家に預けていれば、理不尽な痛みをファウスティーナが受け続けることはなかった。
執事やオズウェルのように先代の息がかかった有能な人物は他にも何人かいる。危うさを残すシエルを1人にするなという命令で。
「シエル様」
「うん?」
「まず間違いなく、陛下は貴方を呼び出すでしょう」
「そうだね」
「事情を説明し、陛下がどのように判断するかは分かりませんが……少なくとも、王太子との婚約は絶対に破棄しませんよ」
「ああ、そうだね。でもま、簡単だよ。正当な理由を作ればいいのだから」
「……」
オズウェルの青銀の瞳が険しく細められた。冷徹で目が合った相手を凍りつかせる蒼と対峙する。
「ベルンハルドはヴィトケンシュタインのもう1人の娘にご執心みたいなんだ」
「公爵夫人によく似た、可愛らしい令嬢でしたね」
「そう。彼は涙に濡れやすい可愛い子が好きみたいなんだ。ファウスティーナの気持ちを聞いてからになるけど……」
シエルは信じられない言葉を発した。
「きっとファウスティーナはベルンハルドともう1人の娘が婚約者になればいいと言うだろう。
そうなったら、この2人を強制的に結ばせたらいい。
――……長く存在しなかった、“運命の恋人たち”が誕生するだろうね」
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