舞台裏の今
王太子の部屋にて。
数種類のスコーンとジャム、ティーカップとグラスを載せたトレイを抱え、王太子の従者は困惑した表情で部屋を出た。
ーー約30分程前、急にベルンハルドが従者にお茶の準備をすると言い出した。
思い当たる節のある従者ヒスイは直ぐ様準備に取り掛かった。
小さな主がこうしてお茶の用意をするよう命じるのは今日が初めてじゃない。
今までにも何度かあった。急にお茶の準備をしろと指示された時は驚いたが、茶菓子がどれも甘い物で飲み物を2人分と指定している所から、誘う相手が婚約者であると分かった。
4年前初めて会った婚約者をベルンハルドは毛嫌いしていた。貴族令嬢特有の我儘で傲慢な性格、実の妹を邪険にする所等。誰に対しても平等に接しろと教えられ続けたベルンハルドでも初対面から嫌う程に婚約者ーーファウスティーナの性格は酷かったと言えよう。
だが王妃教育が始まると段々と変わり始めた。ベルンハルドに会うとしつこく絡んで余計嫌われてばかりでいるが、最初にあった顔から滲み出る傲慢さや性格の嫌な部分が減っていった。
……ただし、どうしてもそこへファウスティーナの妹エルヴィラが絡むと台無しになってしまうようだ。
月に1度、婚約者の定期訪問でヴィトケンシュタイン公爵家をベルンハルドやヒスイが訪れると必ずと言っていい程エルヴィラは現れた。何食わぬ顔で現れ、嫌そうな態度を隠そうともしないベルンハルドの気を引こうと必死なファウスティーナが怒ってエルヴィラを追い出すのも無理はなかったのかもしれない。
ファウスティーナは毎回……
『部屋に居なさいって言われてるのにどうして毎回来るのよ!』
『お呼びじゃないエルヴィラが来ていい場所じゃないの! さっさと部屋に戻りなさいよ!』
『そうやって泣くことでしか相手の気を引けないくせに! 自分が正しいって言い返せるものなら言い返してみなさいよ!』
と言い放っては追い出していた。容姿だけで両親から愛情をたっぷり注がれて育てられていると判断出来る少女が迫力のある言葉を防御する術も度胸もない。あっという間に泣いて走り去って行くのだ。訪問する度にこうなるのでベルンハルドの中の、ファウスティーナへの好意はマイナスを進んでいく。
未来の王太子と王太子妃の仲は氷河にも匹敵する。
無論、婚約者と良好な関係を築こうともせず、泣いて走り去るエルヴィラを追い掛けて毎回慰めるベルンハルドの話が王妃の耳に入らない筈がない。
何度も王妃に叱られていた。婚約者をちゃんと見ろ。自分の物差しで相手を計るな、と。叱られた時は渋々と謝罪するが改善した傾向はない。ヒスイもそれとなくファウスティーナと交流を深めてはと助言しても効果はない。
しかし、妙なことが起こり始めた。
それがお茶の準備だった。
1年前のある日、急にお茶の準備をしろとベルンハルドは言い出したのだ。2人分。指定されたスイーツや飲み物を聞く限り、弟のネージュを誘う訳でもなかった。
誰だろうと考えを巡らせーー1人いると気付いた。理由は指定された飲み物の内の1つがオレンジジュースだった。オレンジジュースはファウスティーナが好きな飲み物。
王妃の苦労が報われると思い、気合いを入れてお茶の準備をした。手早く済ませてベルンハルドの部屋に行ったヒスイだが、嬉々とした気持ちは何処へ。入って早々お茶を頼んだ覚えはないと言われた。
最初に頼まれた時の、ベルンハルドの気まずげで頬が少し赤みがかった照れた表情は何処へ消えたのか。嫌悪、じゃない……憎しみの籠った瑠璃色の瞳で窓の下を見ていた。
お茶はいらないと言い捨てて部屋をベルンハルドが出るとヒスイは窓の下を見た。大きな木が植えられている庭があるだけ。他に何も無ければ誰もいない。
こんな事がこの後何度か起きた。ベルンハルドが憎しみを向ける相手……まさか、と思いながらも、その感情を浮かべる前のベルンハルドの行動を思い出し、重い息を吐いた。
ーー……そして今も。
始めから気まずげな様子のベルンハルドにお茶の準備を命じられ、結局無駄になった。
……ただし、部屋に戻ったベルンハルドは此方が心配するくらい顔を青くさせていた。訳を聞いても教えてもらえず、下げろと命令され部屋を追い出された。
「殿下もちょっとは素直になれると思ったのですが……」
先は長いということなのだろう。
……一方、ヒスイを追い出したベルンハルドは人払いを済ませソファーの上で頭を抱えていた。
「ど……どうしよう……あ、あんなことを言うつもりは無かったのに……」
――どうして言ってしまったんだ……っ!!