変わらない者と変わった事
ーーやっぱり、か……
庭師が丹精込めて育てている花を眺めるケインは、先程から届く邸内の騒がしさに予想通りの展開だと落胆した。
「分かっていたのに……」
今日は言うなれば運命の日。
ファウスティーナが11歳で今日を迎えると運命は動き出す。
夕刻になっても王妃教育で城に行ったファウスティーナが戻らない。物語る結果はただ1つ。
4回目もファウスティーナはベルンハルドに大いに拒絶されて、深く傷付き泣きじゃくっている所をシエルが保護したのだろう。
1回目、2回目、3回目もそうだった。シエルがファウスティーナを保護したと報せが届くのは夜になってから。公爵家に対する嫌がらせだ。
庭の花をじっと見つめるのが好きなファウスティーナの真似をして眺めるのは、4度目になると関わるのが馬鹿らしくなるからだ。
「ケイン様っ」
花の前で立ったままのケインの所へ、執事のリュンが血相を変えてやって来た。
「どうしたの」
「ファウスティーナ様がまだお戻りになられていないようです」
「みたいだね。さっきから騒いでいるのを聞いてる」
「し、心配ではないのですか?」
周囲が混乱している最中、ただ1人冷静なケインに疑問を抱くのも無理はない。花から視線を逸らさず、邸内から時折響く母の叫び声を五月蝿く思いながらケインは口にした。
「もう少しだけ待ってみよう。ひょっとしたら、王妃教育が長引いて帰るのが遅くなったかもしれないし」
「それでしたら、連絡があっても……」
「とにかく、慌てても仕方ない。こういう時程冷静にね」
「はい……」
12歳らしくない少年なのはリュンも知っている。ずっと仕えてくれている執事なのだから。納得していない表情のままのリュンを下がらせたケインは、暫くして庭を出た。邸内に戻り、部屋に戻った。
「はあ……」
ベッドに倒れたケインは枕に顔を埋めた。
「結局、どう足掻いてもあの2人は結ばれないのか……」
人生を繰り返していると他人が聞けばどんな反応をする?
ほぼ、頭がおかしいと判断されるだろう。
「貴方の思い通りになりましたね。ネージュ殿下……」
ネージュとケインだけの、秘密。決して、他人に悟られてはならない。
2人が人生を繰り返しているのは、1度目の時、教会の地下に隠されているある物をネージュが見つけ、回してしまったせい。代々司祭にだけ伝わる秘宝をネージュが知ったのは奇跡に等しかった。
「……」
忘れたくても、忘れられない。
最初の最後の光景を。
同じ悲劇を起こしたくない。子供の自分が出来ることなんで限られている。その限られている行動範囲で出来ることは何度もしてきた。
だが、全て無駄に終わった。
今回も無駄に終わった。
枕に顔を埋めたまま動きたくない所へ小さく扉が叩かれた。返事をする前に訪ね人は入った。
「お兄様」
枕から顔を上げると2歳下の妹エルヴィラだった。赤いリボンで黒髪をハーフツインにし、黄色のドレスを着る姿は成る程、ベルンハルドが何度も言っていた妖精のお姫様だ。ひまわりの妖精といってもいいだろう。
上体を起こしたケインは険しい目付きでエルヴィラを見た。向けられる覚えのないエルヴィラはびくりと震えた。
「部屋に入るのなら、返事を待ってからだって教わらなかったの?」
「い、いいでありませんか! 家族なのですから!」
「家族でも最低限の礼儀は必要だよ。そんなことも分からないのなら、俺の部屋に来ないで自分の部屋で勉強しなさい」
これをファウスティーナが言えば、大声で泣き叫んだままリュドミーラの元まで走って行って、お姉様がと言うのだろう。ケイン相手でもエルヴィラは泣く。現に大きな瞳に涙をたっぷりと溜め泣き始めた。
両手の平で目もとを覆ってしくしく泣くエルヴィラに思うこともなく、通りかかった使用人に部屋へ連れて行くよう命じた。
どんな用事で来ようとエルヴィラの相手をする余裕は、ない。
戸惑う使用人がエルヴィラを連れて扉が閉められた。ふう、と疲れたように息を吐いたケイン。
ファウスティーナなら、この後リュドミーラが泣いているエルヴィラを連れてきつく叱りつける。ケインならどうなるか知っておきたいのもあった。
来るか、それとも来ないか。
待ってみるとーー来た。
泣いているエルヴィラを連れたリュドミーラが。顔色が優れない。
「ケイン、エルヴィラから聞いたわ。もう少しエルヴィラに優しくしてあげて」
戻る時間になっても戻らないファウスティーナを心配してなのだろうが、自分の可愛い娘が泣いて助けを求めればどんな時でもこの母は来る。自分の絶対的味方だと解っているからエルヴィラも頼るのだ。赤いのに、触れれば相手を一瞬にして氷漬けにしてしまう冷気がケインの瞳にはある。一直線、それを向けられるリュドミーラは「え」と呆然と漏らした。
「エルヴィラから理由を聞いてのお言葉ですよね?」
「も、勿論よ。貴方の部屋に訪れたら、突然追い出されたと」
「……はあ」
平気で偽りを訴えるエルヴィラを不快に感じ、きつい口調で呼んだら、リュドミーラのドレスに引っ付いていたエルヴィラはびくりと震えた。
「礼儀がなってない上に嘘まで吐くなんて救いようがないよ」
「あ……だ……だってっ」
「エルヴィラ……? ケイン、一体」
「……俺がエルヴィラを追い出したのは、最低限の礼儀すら出来ないからです。部屋に入る時、ノックをした後は相手の返事を待ってから入るのが常識です。それを待たずに入ったので注意しただけです」
「エルヴィラ……」
事実を聞くとリュドミーラは困ったようにエルヴィラを見た。
味方がいなくなると焦ったエルヴィラがケインとリュドミーラを交互に見、軈て大声を上げて泣き出した。エルヴィラの泣いている姿に滅法弱いリュドミーラが慌てて目線を合わせた。
変わらない運命を変えようと足掻きながらも、心の何処かでは変えられないと諦めているケインにこの2人のやり取りは不快以外何もなかった。
ベッドから降りて2人へ近付くと、何も言わず通り過ぎようとした。リュドミーラが呼び止めるとーー軽蔑の眼をやった。
絶句するリュドミーラにケインは静かに発した。
「……これがファナだったら、気が済むか、父上が止めるまで怒鳴り続けるくせに、俺だったら何も言わないのですね」
「……!!」
心底軽蔑した眼をくれてやれば、図星を突かれたからか、それとも息子にそんな感情を向けられたからか。リュドミーラは青ざめたまま固まって動けなくなった。泣いて母の同情を引いていたエルヴィラもケインの無感情な顔を見て泣き止んでいた。
歩き出したケインに声は掛からなかった。
「はあ……これじゃあ、俺も母上とやっていることが変わらない」
逃げ場のない苛立ちを何時まで経っても、何度繰り返しても続ける母親に嫌気が差して口に出してしまっていた。
「ん……?」
ホールに近くなると誰かの声がする。今はファウスティーナが戻らないので騒然となっている中でも特に慌ただしい。興味本位で覗いた。
「は……」
過去3回、ファウスティーナが戻らない理由が判明するのは、夜になって届く手紙。3回目にして夜になる理由がシエルの側にいるあの男性の嫌がらせだと知った。今回も夜に報せの手紙が届くと思っていたのに、異なる展開となった。
玄関で黒いフード付きのコートを着た相手の応対を執事長がしていると慌てた様子の父シトリンと違う方向から未だ顔が青いリュドミーラが飛んで来た。
「……余程お前達は、女神の生まれ変わりであるあの子が疎ましいようだな」
フードを取った顔が現れると皆息を飲んだ。
王国の頂点が災害前の静けさを携えた瑠璃色の瞳で両親を睨んでいた。
紫がかった銀糸、王族の証である瑠璃色の瞳、ベルンハルドによく似た美貌の男性。
国王シリウスは蛇に睨まれた蛙同然となった両親へ淡々と言い放った。
「ファウスティーナ嬢は戻っていないな?」
「は、はいっ。夕刻を過ぎても戻らないので今遣いの者を城へ行かせている最中です」
「やはりな、あの小僧……」
「へ、陛下。ファウスティーナに何かあったのでしょうか……?」
おずおずとリュドミーラが訊ねると冷徹な視線を貰い「ひっ」と後ずさった。
「……詳しいことは後日、話し合いの場を設けシエルに説明させる。ただ、泣き叫んでいたファウスティーナ嬢をシエルが保護したとだけ言っておいてやろう」
「ファナが……」
「……王様が来るなんて……」
あまりにも予想していなかった違う展開に意識を集中させながらも混乱する。今までになかった、シリウス自らが来るなんて。
ファウスティーナに起きた異変をシトリンがシリウスに説明を求めるが話す必要はないと踵を返していた。
バレないように話を聞き続けていると「1つ、忠告をしておいてやろう」とシリウスは後ろを向いたまま。
「私もだが、お前達も覚悟しておけ。
……怒りに狂ったあいつに何をされるか、をな」
下された死刑以上の残酷な宣言を残し、シリウスは出て行った。緊張の糸が切れたケインは手の平が汗に濡れていたのを今知った。
国の頂点に君臨する人間の威圧感をまともに受けたことがなかった。いるだけで他者を圧倒する存在力は半端なものじゃない。
初めての展開であっても、きっと大方の筋書きは変わらない。
「奥様!」
「リュドミーラ、しっかり」
「ファ……ファウスティーナに何が……」
もう見なくても十分に予想がつく光景を見ることもなく、ケインは深呼吸をして来た道を戻って行った。
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