プロローグ―何度思い出してもあなたは……―
今回より、新章『過去編ー悪役令嬢は婚約破棄の為に我慢をしましたー』を公開します。
悩みましたが前回(ケインやネージュからしたら4回目)の過去を一気に書いていきます。
ファウスティーナがシエルに保護~婚約破棄までとなります。
※最初の間は暗い内容が続きます。
王都から南へ馬車を走らせ約2時間。
途中、パン屋や紅茶屋に寄り道をしたが道中問題なく、ラ・ルオータ・デッラ教会に到着した。御者を務めたジュードは降りて馬車の扉を開けた。
「着きましたよ」
「ふわあ……やっと着いたの? ねえシエル様、部屋で寝ていい?」
「君ずっと寝てたじゃない。寝る子は育つって年齢でもないんだから、しゃきっと起きていなさい」
「えー」
「えー、じゃない。さあ、ファウスティーナ様」
「はい」
先に降りたシエルが差し出した手をファウスティーナは握った。無事教会に到着出来てホッとしている。移動中、お喋りに飽きると1人なのをいいことに席を丸々利用して寝ていたヴェレッドは、眠そうな顔で降りた。欠伸をしつつ。
王城と同等に神聖視される特別な場所が今日からファウスティーナの家になる。不思議な気分だった。1年前を除き、前回も多分お世話になった気がしないでもない。
都会から離れているだけあって自然に満ち溢れたここは空気も綺麗で美味しい。深呼吸をした。甘い花の香りが鼻孔を擽った。これは咲いている花の香りじゃない。隣にいるシエルの香水の香りだ。長時間側に居続けたら慣れてしまった。
「王都に比べれば田舎だけど、何もない訳じゃないから退屈はしない筈だよ」
「退屈だなんて思いません。此処にしか咲かないお花にとても興味がありますし」
「そうだね。君は花が大好きだったね。その内、私おすすめの花畑に案内してあげるから、今日は教会関係者の挨拶回りでもしよう。屋敷へは後で行こう。ジュード君、馬車を屋敷の方へ移しておいて」
「分かりました」
花見たさで1年前リュドミーラに叱られた挙げ句反論し、頬を叩かれたファウスティーナを1日中慰めてくれたシエルが知らない筈がなかった。改めて手を握り直されると教会へ向かった。ヴェレッドも後を続く。
関係者が使用する裏口から入った。心地好い陽光が窓から差し込まれ、程好い温度がとても快適だ。
シエルと手を繋いで目指すのは上層礼拝堂。今日は誕生日の貴族がいない日なので誰も来ない。
天井や壁にある、王国建国の物語を表すステンドグラスは何度見ても、その迫力と美しさに圧倒される。
奥の方へ行くと見覚えのある男性がいた。彼はファウスティーナ達を目にすると頭を垂れた。
「ご機嫌麗しゅう、ファウスティーナ様」
「やあ助祭さん。今日は小言はなしの方向でね」
「貴方が真面目に仕事をしてくれたら、私は何も言いませんよ」
「酷いな。私はとても仕事熱心な司祭なのに」
「……どこがだよ」
「ヴェレッド。何か言った?」
「いいえ」
先代司祭の頃より助祭を務める男性――オズウェルに一歩前に出てファウスティーナも挨拶をした。手を離そうとしても離してくれなかったので繋いだまま。それを見たオズウェルがはあ、と項垂れた。
「これでやっと心配事が1つ減ったわけだ」
「君の心配は杞憂だよ」
「どこがですか」
「ほんとほんと。シエル様って、意外と短気だから、切れたら何をするか分からないからね」
「司祭様が短気……?」
常に微笑を浮かべ、優しい司祭の姿しか知らないファウスティーナからしたら意外な言葉だった。意外そうに見上げると美しい微笑を見せられ、ファウスティーナも釣られてにこりと微笑んだ。シエルに微笑まれると微笑み返してしまうのだ。
……それをオズウェルは「……血の繋がりを感じるねえ……」と感慨深く呟く。勿論、ファウスティーナの耳には届いていない。
シエルは空いている手で眉間に触れた。
「うーん……うん、助祭さんに挨拶したから、挨拶回りはもういっか」
「え」
「もういっか、じゃないでしょう! 適当なことしないでちゃんとしてください。あーもう、先代司祭様を呼び戻してお説教でもしてもらおうかなもう……」
「私に司祭を任せると嵐の如く飛び去った叔父上がそれくらいのことで戻る訳ないでしょう。ふむ……私か陛下の訃報を聞いたら、飛んで帰って来そうではあるけど」
「冗談でも縁起でもないことを口にしないでください。陛下が崩御なされば国中が大騒ぎしますし、貴方が死んだら陛下が大騒ぎしますよ」
「はいはい。安心してくれていいよ。そう簡単には死ねそうにないから」
物騒な台詞を微笑を浮かべたまま紡ぐのでアンバランスな美しさがそこにある。2人のやり取りを眺めているファウスティーナは、ほんの一時過ごすくらいでは相手を知るのは無理だと判断した。シエルがこんなにも綺麗な微笑みを浮かべたまま冗談を言う人とは思わなかった。殆ど話したことのない助祭が実は苦労人気質なことも知らなかった。
もしも、と思う。前回教会で暮らしていたとして、自分はどんな風に過ごしていたのだろうか、と。前回誘拐が起きたのは17歳の時だとアエリアは言っていた。今回ファウスティーナが教会でお世話になるのは、誘拐されたのが主な原因だ。誘拐以外で保護される理由……何だろうと考えると……ずきりと頭に鋭い痛みが走った。幸いにも顔に出さずに済んだので誰も気付いていない。11歳以降の記憶を思い出そうとすると酷い頭痛に襲われる。まるで思い出すなと警報が鳴らされているみたいに。
(よっぽど思い出したくない記憶だから、やっぱり無意識に蓋をしてるってことなのかな)
なら、無理に思い出すよりかは、何かの切っ掛けで思い出した方がファウスティーナの負担も減る。
今は今後の生活とシエルにどうベルンハルドとの婚約破棄を切り出そうか思案しよう。ファウスティーナは心の中で片腕を掲げたのであった。
*ー*ー*ー*ー*
――もしも、彼女が前の記憶を全部持っていたら……
何度考えても叶わない望みより、比較的叶いそうな望みを考えよう。現実的思考に浸るネージュは、退屈そうにベッドの上にいた。
朝は何ともなかったのに、昼になると急に咳き込んだネージュは心配した王妃の計らいでベッドに寝かされていた。昼食を終えた後、ベルンハルドと歴史の授業を受ける予定だったのに。1人休むのを強要されたネージュを最後まで心配げに見つめていたベルンハルドは王太子としての勉学でいない。
専属侍女ラピスに栄養価が高くても非常に苦い薬を飲まされ、寝て下さいと言われたネージュだが眠くないので寝れない。薬の効果が出るまでは、目はパッチリなので眠気が来るのを待つ。
デューベイを頭の天辺まで被った。
(前の……いや、今までのファウスティーナが教会に保護されたのは、全部兄上のせいだ)
11歳の時。既にファウスティーナへの恋心を自覚していながらも、下らないプライドと意地のせいで必死に努力し、変わっていくファウスティーナを認められず王妃教育が終わると必ず会いに来るファウスティーナにベルンハルドはこう叫んだ。
“お前のような底意地の悪い相手が婚約者となった僕の気持ちにもなれ! お前は僕の唯一の汚点だ!”
こんな言葉を吐かれてまで好きでいるお人好しが何処にいる。況してやファウスティーナは、愛情を求めていた母親には常に何事も出来て当たり前だと突き放され続け、自分より劣っている妹は何をしても許され愛され続ける姿を毎日見ていた。自分だけの婚約者に愛情を求めてしまうのは仕方なかった。兄であるケインがどれだけファウスティーナを庇っても、母親に、婚約者に愛情を求めるのを最初から諦めていないと何も変わらないのだ。
ファウスティーナは覚えていない。覚えていても、いなくても、ベルンハルドが好きなのだ。ベルンハルドの幸福の為に婚約破棄を願っていても、心の底ではベルンハルドが好きなのだ。ただ、覚えていたら今以上にベルンハルドを避け続けるだろう。
11歳以降、ファウスティーナは常にベルンハルドを避け続けた。ファウスティーナを深く傷付けたベルンハルドを実の父親であるシエルが許す筈もなく。表面上は穏やかにしていながら、内心怒り狂っていたに違いない。
(ああ駄目だ……何度思い出しても、嗤っちゃうよ)
限界まで追い詰め、傷つけて、いざ遠くへ行くと縋るようにファウスティーナを求めたベルンハルドに。
いい感じに睡魔が押し寄せたネージュは瞼を閉じた。
暗闇から一転、見慣れた光景が広がった。
……ファウスティーナが人気のない庭で蹲って泣きじゃくるところを。
読んでいただきありがとうございます。