決して譲れない
番外編最後になります。
シリウス、シエル、ヴェレッドメインの話になります。
春の麗らかな吐息を国中が受ける季節になると思い出す。
現在は封鎖されている後宮に幼い頃何度も足を運んだ。
そこには、先王である父に押し込められた多数の美しい令嬢達がいた。
賢王として名高い反面、女性好きが酷かった。
国の為、民の為にと尽くす父を尊敬しながら、妻がいるのに他の女性を愛する父が大嫌いだった。
父のような男にはなるまいと、幼少期に決められた婚約者シエラを大事にした。政略結婚とは言え、互いに誠意を示せば悪感情はなく。良好な関係を築き上げた。
誰に対しても平等に接しろ。厳しく教えられたシリウスが唯一感情を乱し、拒絶し、大人になってからも執着し続けている相手が1人いる。
「陛下」
執務室で書類を睨みながらも、思考は過去に浸っていたシリウスを現在に呼び戻したのはマイム。宰相であった父の跡を継ぎ、こうして自分を補佐してくれる大事な存在だ。
今は秋の中盤に入った頃。春の季節を思い出した理由は1つしかない。
「シエル様がご到着されました」
「分かった」
書類を置いたシリウスは椅子から立った。
シエルは腹違いの弟。当時、父が唯一愛していた女性が生んだ。平民出身の彼女では側妃にはなれない。母の嫉妬から彼女を守る為、シエルを生んだ彼女を父は王妃の手が届かない所へと逃がしたと聞く。
王妃を愛さずとも、先王は息子に対しては愛情深い人だった。王太子として、次の王として必要な知識、振る舞い全てを教えてくれた。時に王子として悩む自分に助言をくれたりと、親子らしい時間もあった。
後ろにマイムと護衛の騎士を連れてシエルが待つ部屋へ向かう。
母の心の平穏を守る為、母の言い付け通りシエルには近付かなかった。1度、顔を合わせる時があった。母をこれ以上乱してはならない為、母を嘆き悲しませる元凶の子供という理由で、何かを言い掛けたシエルに酷い拒絶の言葉を吐いてしまった。
過去に戻れる術があるなら、拒絶などせず、弟として受け入れられただろう。
部屋の前に着き、ノックをしてから扉を開けると――誰もいなかった。え、と困惑する騎士に構わず、シリウスは中に入り、真ん中に置かれているソファーに腰掛けた。マイムは「やっぱり……」と項垂れたまま、騎士を外に出して扉を閉めた。
「シエル様が素直に陛下の言い付けを守るとは思っていませんでしたよ。ええ、ええ」
「時間通りには来なくともシエルは来る。公爵から、例の返事を受けたのだから」
「しかし、あれは事実、ファウスティーナ嬢がそう言ったのでしょうか?」
「シエルがあの子に無理強いをすると思うか?」
「いえ……」
「なら、本心だ。……マイム」
「はい」
「8年前、私はシエルにあの子をヴィトケンシュタイン公爵家の養女にさせた。女神と同じ容姿をしたあの子を」
王国が崇拝する姉妹神、運命の女神フォルトゥナと魅力と愛の女神リンナモラート。2人の女神と同じ空色の髪に薄黄色の瞳を持つ女の子は、女神の生まれ変わりと言われ、代々ヴィトケンシュタイン家にしか生まれない。
「王太子の婚約者にしたいのであれば、リオニーの養女になっても可能だった」
「え、ええ。家柄も地位も問題のない御方ですので」
リオニーとは、ヴィトケンシュタイン公爵シトリンの従姉妹で現在は家を継ぎ女侯爵として活躍している。
当時、魔性の魅力を持って多数の令息達を魅了したアーヴァ=フリューリングと王弟であるシエル=カナン=ガルシアの娘。それがファウスティーナ。
貴族学院を中退したアーヴァのその後を誰も知らない。シリウスでさえ知らなかった。卒業後、忽然と姿を消したシエルを探させている時、アーヴァの存在を思い出した。
当時2人は秘密の恋人同士だった。だが、多数の令息達を魅了していたアーヴァが王弟であるシエルと恋仲だと知られれば、当然周囲は王子をも魅了する令嬢だと蔑み、妬み、疎ましく思うだろう。
シエルは自分の評価等気にしない。アーヴァの評価をこれ以上悪くしない為に隠していたに違いない。
シエルの居場所を突き止めるのと同時に、アーヴァの現在も探った。だが、既に家はアーヴァの姉リオニーが継いでおり、天敵である彼女が大事な妹の現状を教えてくれる筈が無かった。
「ベルンハルドが生まれ、教会で洗礼を受けたあの時……姉妹神の像が光った。生まれたばかりの王子が洗礼を受けた時、姉妹神が空の色に光る現象が起きる理由は1つしかない」
王子の運命の相手がいるという報せであり、姉妹神と同じ色を持つ女児が存在する。
それは即ち、女神リンナモラートの生まれ変わり。
生まれ変わりが生まれるのはヴィトケンシュタイン家のみ。
当時、ヴィトケンシュタイン公爵夫人リュドミーラは1年前にケインを生んだ後、領地にて療養をしていた。当然、彼女は年子を生める状態ではなかった。
残る可能性は親戚筋であるリオニーとアーヴァのみ。リオニーはこの時点では、まだ婚約中だったので可能性はない。必然的に、最も高い可能性を持ったのがアーヴァだけ。
しかし、アーヴァの居所は依然として知れず。シエルの居場所も同様に。
必死に探した末に見つけた時……。
「――辛気臭い顔してるねえ、王様」
探し人を漸く見つけた時の記憶を思い出していたシリウスの耳に、愉快な色が含まれた不愉快な声が届いた。見るまでもないと無視を決め込んだシリウスに、相手は嘲るように嗤う。
「はいはい、部屋の前で止まらないの」と第三者の声が。やっとシリウスは声のする方へ向いた。
前にいた薔薇色の髪と瞳をした美貌の青年の肩を押して中に入れ込ませた男性は、それ以上の美貌の持ち主だった。銀髪に蒼い瞳、天上人の如き美貌の男性はシリウスの前に立つと軽く頭を下げた。
「遅れてしまい申し訳ありません、陛下」
シリウスの異母弟――シエルは、悪びれもなく言う。
「シエル様、呼び出しに応じて頂き大変有り難いですが、これからは時間の方も守って頂かないと……」
マイムが苦言を呈すると薔薇色の青年――ヴェレッドが舌を出した。
苛立ちのゲージが急上昇するのを感じつつ、マイムは冷静に問うた。
「……君のそれは何かな?」
「え? マイマイ君、嫌ってるのに態々出向いてあげたシエル様の気持ちも少しは考えてよ」
「誰がマイマイだ! 何度も言うが私の名前はマイム=ヒュームだ!」
「あっそ。心底どうでもいい」
怒るな、怒るなと深呼吸を繰り返すマイムを更に怒らせるのがヴェレッド。
「短気だねマイマイ君。カルシウム足りてないんじゃない?」
「こらヴェレッド。君、ちょっと黙ってて。話が出来ない」
「する気ないくせに」
「なければ来てはないよ」
「お嬢様がシエル様の所に行くって言ったんだから、それでいいじゃない。面倒くさい話し合いをする意味がないよ」
「そうは言ってられないの。……少なくとも」
途中言葉を切ったシエルは、冷気を纏った蒼の瞳でシリウスを捉えた。
「数百年振りに生まれた女神の生まれ変わりを奪われまいと、必死な王家は、ね」
「ふーん」
興味無さげに相槌を打ったヴェレッドは、言われた通り黙ることにした。シエルの後ろ側にある壁に凭れて。
彼が喋らなくなったのを合図にシリウスも意識をシエルに集中した。
*ー*ー*ー*ー*
「公爵から、例の返事を受け、あの子を一時教会に預ける」
「ええ。存じていますよ。ただ――」
「一時的に、だ」
「……」
続きは言わせまいとシリウスがシエルの言葉を遮った。敢えて強調したのは釘を差すため。ファウスティーナを期限付きで預けるだけだと。時が来れば、また公爵家に戻すと。
部屋の温度が数度下がった。
「貴族学院入学までには公爵家に戻す。これは決定だ」
「……一応、聞いておきましょう。誰の?」
「……私だ」
「そうですか……。私が、聞くと思います?」
ほの暗く、一切の感情が消えた蒼が目の前の異母兄を冷徹に射抜く。切っ掛けさえあれば、白い喉を切り裂いて部屋中を血に染めてしまう凶暴な殺意がここにある。
「今回はファウスティーナ嬢本人が教会に行くと頷いた為預ける。まさかと思うが成人まで居させる気ではなかろうな」
「まさか。私がそんな生温いことを考えるとお思いで?」
「……」
「私はね、陛下。最初から公爵家にあの子を渡すつもりはなかった。時が来れば、返してもらう準備はしていたので」
「お前がそう動いていたのは知っている。だが、あの子は公爵家で……」
そこまで言うとシリウスは止まった。
次の台詞を口にすれば、間違いなくシエルの怒りが一気に急上昇して頂点にまで達すると予測し。
ベルンハルドとの顔合わせの日や王妃主催のお茶会で倒れている以外、健康面には問題ない。生活環境に問題があるとすれば、それは……家庭内限定、といったところ。
「……確かに、あの子はちゃんと育っていますよ。食事に教育に衛生面と、生活環境は悪くない。問題なのは公爵家の人間です」
「……」
シエルの言い分にシリウスは難しい顔をする。
1年前、突然シエルがファウスティーナを保護した日があった。報せに来た者の報告に頭を抱えたと同時に、ヴィトケンシュタイン公爵夫妻に預けたのが失敗だったと認めざるを得なかった。
原因は、誕生日の日に教会を訪れ、祝福を受けたファウスティーナが教会で育てられている花を見たい、という何てことはない子供の願いをリュドミーラが頑として許さず、挙げ句反論されて頬を叩いた。
シエルの前で。
自分の娘が理不尽な理由で暴力を振るわれた。
怒りを感じない親が何処にいる。
前までも何度か、公爵家、主にリュドミーラのファウスティーナに対する扱いが理不尽だという報告を受けていた。その度に密かにシトリンに注意をしていた。のだが、全て無駄だった。
誰に対しても平等に接し、優しさと思いやりのある彼ならファウスティーナを預けても安全だと判断したからこそ、ヴィトケンシュタイン公爵家の養女にした。
妻に弱いのは知っていたが、まるで意味がなかった。
シエルがファウスティーナを保護したと聞かされた翌日、公爵夫妻を内密に呼び出した。
厳重に注意をしたと同時に、ある忠告もした。
『もしもまた同じようなことがあれば、その時ファウスティーナ嬢は王宮で生活させる』
『し、しかし』
『不満か? だが、これ以外ファウスティーナ嬢の安全を守るのに良策はない。お前だけなら、公爵家に預けても問題はないのだがな』
遠回しにリュドミーラがいてはファウスティーナの精神面が危険だと告げられ、シトリンは言葉を失う。隣で青い顔をして震えるリュドミーラに一瞥もくれず、シリウスはこれは決定だと言い放った。
『未来の王妃を育てるのがお前達にとって重荷なら、今すぐにでも王家で保護しても構わん。ベルンハルドとの顔合わせを1年前倒しすることになるだけだからな』
『それは決して……! ファナは確かに生まれた時に王妃となるに決まった子。教育が厳しくなってしまうのは仕方ないかとは思いますが、それでもあの子には十分愛情を注いでいます』
『お前だけなら納得出来るだろうが……』
チラリとシリウスから視線を受けたリュドミーラの肩が分かりやすい程跳ねた。
『公爵夫人の方はどうなのだろうな』
『わ、私は……っ』
『今此処にいるのは私とお前達だけだ。正直に言って構わん。ファウスティーナ嬢を本心でどう思っている?』
『あの子は、ファウスティーナはっ、陛下が仰る通り、将来王妃になる子です。私は、あの子に立派な王妃になってもらいたいのです! その為に少々厳しすぎると自覚はあります……ですが』
『……要は、王妃になるのだから一切の甘えは不要だと、そう言いたいのだな?』
『ち、違います!』
シリウスにとってファウスティーナは王子の婚約者でもあり、ただ1人の姪でもある。公爵家に預けたと同時に内情を報せる密偵を潜り込ませてもいる。年々酷くなる報告に頭を抱えていた時に起きた今回の出来事を看過出来ない。
段々声が震え、瞳が涙で揺れ始めたリュドミーラを気遣うようにシトリンが声を掛ける。涙に弱い男が見れば庇護欲がそそられるのだろうが、生憎とシリウスに女性の涙は通用しない。シエラに見せられると盛大に狼狽えるだろうが……。
妖精姫と謳われた美貌も衰えることもなく健在か。ファウスティーナが反論した際、妹の名を出したとあった。それを聞いて逆上したのを見ると……預かった娘より、自分が生んだ娘の方が可愛いのだろう。人間の感情として間違ってはないだろうが……シリウスは、話は終わりだと言わんばかりに部屋を後にした。何か言おうとした公爵を一睨みで黙らせて。
「……お前の言い分は、頭の痛い話ではあるが理解出来る」
「……そもそも、初めからリオニーの、フリューリング侯爵家の養女にすれば良かったのですよ。私もリオニーの娘になるのならば、大した反対はしなかった。ああでも、しなかったのはではなく、出来なかったのでしたね」
「……何が言いたい?」
「従わせやすい公爵の方が扱いが簡単だから、っていう話ですよ」
険しさが何倍にも膨れ上がった瑠璃色に睨まれるもシエルは平然としたまま。部屋の温度は、もう冬も同然の寒さにまで下がっていた。急に季節が秋から冬になることはないのだが、この室内に限ってそれが起きている。寒さともう1つの理由で顔を青ざめるマイムと特に変化もなく話に耳を傾けるヴェレッド。……ただ、ヴェレッドは壁に凭れるのを止めている。
「昔から、貴方とリオニーは相性が最悪でしたからね」
「ああ。会う度に人を『ナメクジ』と罵る女だった」
「へえ? 塩をかけたら王様は小さくなるんだ」
「はいはい面白そうだからって割って入らないの」
シエルはヴェレッドに小言を言った後、再びシリウスに向いた。
「私もよく、妹を奪った極悪人みたいな扱いをされました。今もですがね。リオニーは女性の割に性格も言動も中々に苛烈ではあるが間違ったことはしない。リオニーとは最近会っているのですか?」
「年に数回はな。公式の場にも必ず出席させるようにしている。何処かの誰かとは違ってな」
「仕事熱心ですから」
「……リオニーには、2度程殴られたことがある」
「奇遇ですね、私も何度か殴られてます」
貴族が国の頂点である王族を殴った。それも2人。王族への不敬罪と暴行罪で即牢屋行きの案件物。だが、何もないということはシリウスもシエルもリオニーに殴られても仕方ないと納得しているからだ。
初めて聞かされた話にマイムの顔は青くなったまま、今度は胃に影響が及んだ。急に痛みを訴え始めた。やはりこの異母兄弟と同席する際は、強力な胃薬を飲む必要があると改めて思い知らされた。
「1度目はファウスティーナ嬢をリオニーの耳に入る前に公爵家の養女にした時。2度目は、お前が1年前ファウスティーナ嬢を保護した時だ」
女性らしい華奢な体からは想像も出来ない強力な拳だったのを今でも覚えている。
リオニーにしたら、妹が命と引き換えに生んだ娘を勝手に親戚の家の養女にされたのだ。そこで幸せに過ごしていたら何も言わなかったのだろうが、現状は違う。多忙なリオニーがファウスティーナに会えるのは、年に片手で数える程。リオニーと会う時は何もなくても、日常に戻ればどうなのか。
特に1年前の荒れ様は嵐そのものだった。シリウスを殴り飛ばしたリオニーは、勢いそのままに公爵家へ向かった。そこでのやり取りは内偵が報せてくれた。
シリウスと殆ど同じだ。保護先が王宮ではなく、侯爵家になるだけ。
苛烈な女侯爵の迫力に立ち向かう度量はリュドミーラになく、膝を崩して恐々としていたと書いていた。妻を大事にするシトリンがリオニーを宥めても更に値が上昇していくだけだった。
はあ、と思い出して溜め息を吐いたシリウスは、シエルがリオニーに殴られた理由を問うた。
答えは――
「ええ? 嫌ですよ。私のプライベートのことを貴方に話す義理はない」
「……」
分かっていた。分かっていても苛立つ。
シリウスはマイムを一瞥した。
「マイム」
「は、はい」
「ここから先はお前には関係のない話だ。職務に戻るといい」
「し、しかしっ」
「あ、はは。マイマイくん、顔真っ青だよ。医務室に行けって王様は言ってるんじゃないの」
「私はへい……ぐ、ぐう……」
シリウスを1人にして出ては行けないと言いたかったマイムだが、体は限界だったらしい。ぎゅるるる、とお腹が鳴ったのと同時に抑えて立っていられなくなった。シリウスが外へ声を発すると見張りの騎士が入った。
蹲る宰相に驚きつつ、医務室へ連れて行けと指示されると素早くマイムを肩に抱え去って行った。
残ったのはシリウス、シエル、ヴェレッド。
扉が閉まるとヴェレッドは愉しそうにシリウスに話し掛けた。
「有能な宰相さんでも、体は丈夫じゃないのかな?」
「……今度、薬師にマイムの体に合った薬を調合させよう」
「王様はその辺図太いから薬師も仕事がなくて退屈そうだね」
「小僧……その減らず口を今すぐに閉ざせ」
「うん。それについては私も同意だよ」
「ええー」
「ええ、じゃないの」
「シエル様と王様って、俺を虐める時だけ息ピッタリだよね」
邪険にされて拗ねたヴェレッドの台詞によって、再び部屋は冷気を増した。防寒具が必要な季節でもないので着ている衣服だけでは寒い。微笑を消し、苛立ちが強くても2人揃って美貌は崩れない。母親が違っても、父親譲りの美貌はこういう時本領を発揮する。
拗ねた心はまだ治らないヴェレッドは更に。
「ぷっ……怒った顔までそっくり。母親が違っても2人は正真正銘兄弟だよ。最悪なまでに相性が悪いだけで」
「…………ヴェレッド。今すぐに黙りなさい。さもないと、君の大嫌いな話をしてあげようか」
「いいよ……。……その代わり、シエル様もタダで済むと思わないでよ?」
さっきまではシリウスとシエルが一触即発状態だったのに、今度はシエルとヴェレッドが一触即発状態となった。
「やめろ」重く、鋭い声色で言い放ったシリウスへ2色の視線が向く。
「この部屋を血の海にしたいのか」
「なんだったらさ、王様が食材になってよ。俺とシエル様、どっちが上手に処理出来るか身を以て体験してよ」
「誰がするか。小僧、元はと言えば、お前の余計な一言がシエルの癪に触ったのだ。シエル、お前もお前だ。小僧の挑発に乗るな」
「だってシエル様、人を無理矢理連れて来たくせに除け者にするから」
「君が大人しく待っていたら私だって何も言わないよ」
「こんな面白い所に連れて来られて、黙ってろって言う方が無理だよ。分かってて言うんだから質が悪い」
「少しは我慢することを覚えなさい。何時まで子供の気分でいるの」
「……ねえ、シエル様。いくらシエル様が俺の――」
「いい加減にしろ!」
止めないと永遠に言い合いを続けそうな2人に今度はきつめの制止を放った。不満げな蒼と薔薇が瑠璃色を睨む。
態とらしく咳払いをして姿勢を正した。
「話を終わらせるぞ。シエル。お前が何を企んでいようがファウスティーナ嬢は時が来れば公爵家へ戻す。王太子の婚約者をずっと教会に預ける訳にもいかん」
「はいはいそうですか」
「あはは、面倒臭そう」
「君との言い合いで体力を持っていかれたからね。帰るよ」
「はーいはい」
ほぼ投げやりな態度で話を強制終了させたシエルが立ち上がった。ヴェレッドも壁から離れた。これ以上言っても聞く耳を持たないのを分かっているシリウスは、深い溜め息を吐いた。
先日の話し合いでは、自分とシエルが言い合いとなりヴェレッドが止めた。今度はシエルとヴェレッドの言い合いを自分が止めた。
背凭れに体を預けたシリウスは窓から外を見た。秋の色を感じさせる葉がゆらゆらと落ちていく。
シエルが何を企もうが正当な理由がない限り、ベルンハルドとファウスティーナの婚約は破棄されない。
だが、心に巣食う言い様のない不安の正体は何時までも分からずじまいであった。
――部屋を後にしたシエルとヴェレッドは馬車に乗り込み、教会への帰路を走っていた。
途中、街で紅茶のお代わりと小腹を埋めるパンを購入した。シエルは紅茶を、ヴェレッドはクロワッサンを食べている。
「ねえ、シエル様」と呼んだヴェレッドは丁寧にクロワッサンを食べていく。
「シエル様はお嬢様をずっと教会に居させる気満々だけど、王様の言った通り正当な理由がないとずっとは無理じゃないの?」
「逆に言えば、その正当な理由があれば、陛下も納得せざるを得なくなる」
まるで正当な理由を作ろうとしている言い方にヴェレッドは疑問をぶつけた。
「何を企んでるの?」
「君が話してくれた、あの子が王太子との婚約を解消したいっていうの。それを聞いて決心がついただけ。あの子が王太子の婚約者であり続けたいと願っていたら、貴族学院入学の際にはリオニーの所に預ける予定だった。フリューリング侯爵家からでも通える距離だから」
「それがお嬢様が王子様との婚約破棄を願っているから、シエル様は“正当な理由”を作ろうとしてる訳だ。王子様には何も思わないの?」
「何を?」
「だって、王子様とお嬢様の仲は悪くない。王子様の方はお嬢様が好きみたいだし」
誘拐されたファウスティーナを公爵家に送り届け、帰る間際確かめたヴェレッドだけが知っている。
今はファウスティーナを大事にしても、ベルンハルドは何れ妹のエルヴィラを好きになると。何を根拠に言っているのかまではヴェレッドにも掴めてない。声は頼りなく、小さかったのに、表情だけは紡いだ未来が確定していると言いたげな固いものだった。
シエルには言っていない。伝えたのはファウスティーナがベルンハルドとの婚約を破棄したがっているということだけ。
ヴェレッドに対する、シエルの返答は予想の範囲内だった。
そこから興味を無くしたヴェレッドはクロワッサンを完食。綺麗なティーカップを出して紅茶を注ぐのであった。
読んで頂きありがとうございます。
最後は個人的に書きたかった話を番外編にしました。ブロマンスじゃなかった……。
次の更新は暫くお時間を頂くことになります。再開時には、また活動報告でお知らせさせて頂きます。