8話 不幸にしたくない
昨日は珍しくエルヴィラがいなかったので会話が弾んだ。話題はベルンハルドの弟ネージュが中心となってしまったが。同時刻エルヴィラはリュドミーラとお茶をしていた。朝食の席ではなく、朝リンスーと共に起こしに執事長がファウスティーナの部屋を訪れ時間を確認した。なのでエルヴィラは訪問を知らなかった。夕食の席での一悶着を思い出して、化粧台の前でリンスーに髪を梳いてもらうファウスティーナは疲れた溜め息を吐いた。
「どうしました?」
「昨日の夕食の席を思い出したのよ」
「ああ……」
げんなりとしたファウスティーナの髪を梳きながらリンスーも苦笑する。
●○●○●○
今日はちゃんと対応しましたね? と確認するリュドミーラに「はい」と頷いたファウスティーナに何の話かとエルヴィラが口を挟んだ。昼からベルンハルドが訪れていたとリュドミーラが教えると――
「酷いわお姉様!!」
「え」
「エルヴィラ?」
突然大声を上げて姉を非難したエルヴィラにリュドミーラやケイン、使用人達は驚く。シトリンは今日は戻らないと連絡を受けているので不在。非難の的にされているファウスティーナも気の抜けた声しか出せなかった。
「ベルンハルド様が今日も来るなんて教えてくれなかったではありませんか!」
「教えるも何も……、エルヴィラは午後からはお母様とお茶をすると朝言っていたじゃない」
「ベルンハルド様がいらっしゃると聞いていればお茶なんてしていません!」
ファウスティーナはチラッと母を見た。可愛い末娘の台詞にショックを受けたらしく、些か顔が真っ青である。ドレスをデザインしてもらっている間は、とても母と娘らしく和気藹々としていたのに。
ファウスティーナは蒸したニンジンを飲み込み、ナプキンで口元を拭った。
「エルヴィラ。ベルンハルド殿下にはちゃんと“殿下”と敬称を付けなさい。後、教えるも教えないも殿下は婚約者として交流を深めて下さっているだけよ。エルヴィラはお呼びじゃないの」
と、言った所で内心、あ……、と気付く。
口調こそ冷静だが、前回と同じ場面である。
ファウスティーナの記憶通りなら次は――
「ひ、酷いわお姉様! わたしはただ、ベルンハルド様と仲良くなりたいだけなのに……!」
ポロポロと涙を流し、姉に傷付けられた妹となる。体を震わせて涙を流すエルヴィラは痛々しく、直ぐ様リュドミーラが駆け寄ってエルヴィラを包み込むように抱き締めた。
「ああ、泣かないでエルヴィラっ。ファウスティーナ、言い方というものがあるでしょう。もう少し言葉を選びなさい」
「お言葉ですが母上」とケインが間に入った。
「ファナの言い方はキツいものだったかもしれませんがエルヴィラにも原因はあります。ずっと言おうと思っていましたが……エルヴィラ、王太子殿下がいらっしゃると家庭教師との授業をサボってそっちに行っているね?」
「っ、そ、それは……」
「母上。母上もエルヴィラが家庭教師との授業をサボっていることは知ってますよね?」
「……え、ええ」
(やっぱり知ってたんだ)
改めて納得したファウスティーナは、後ろ姿から見ても静かに怒る兄を――怒られてないのに顔を青くして――見つめる。
「王太子殿下からはファナが来ないとしか相談は受けてないけど」
「ぐふっ」
「エルヴィラが毎回来るのはどうしてとも質問は受けてる。これじゃあ、どっちが王太子の婚約者に選ばれたか分かったものじゃない。後、ちゃんと家庭教師の授業を真面目に受けなさい。それじゃあ、何時まで経っても立派な淑女にはなれないよ」
「っ~~~!」
エルヴィラがいてもいなくても会いたくないとは言えず、エルヴィラがいるから行き難いと誤魔化したのが理由でも水を喉に詰まらせて咳き込むファウスティーナ。エルヴィラは悔しげに頬を膨らませ、泣きながらケインの後ろのファウスティーナを睨む。
紅玉色の瞳にファウスティーナはどう映っているのか……漸く落ち着き始めたファウスティーナはエルヴィラをまだ見ないので不明。
「ケイン、そこまで言わなくても」
「……母上。母上も、エルヴィラが家庭教師との授業を放っておくのを見過ごさないで下さい。エルヴィラだって何時か上位貴族と婚姻を結ぶんです。このままでいて困るのはエルヴィラです」
「分かっているわっ。エルヴィラ、明日からは家庭教師の先生とお勉強頑張りましょう?」
「……」
リュドミーラが目線を合わせ諭すように話してもエルヴィラの膨れっ面はそのまま。
「ね?」
「……はい」
渋々頷いたエルヴィラにほっと安堵したリュドミーラは席に戻った。エルヴィラは前に向き直り、説教を終えたケインも食事を再開した。周囲にいる使用人達も胸を撫で下ろした。
ファウスティーナは居心地の悪い空気に味がなくなるまでニンジンを咀嚼したのであった。
●○●○●○
昨日の夕食の席での兄が前回と重なった。
最後の最後で越えてはならない一線を越えたファウスティーナを叱咤し、同時に助けてあげられなくてごめん、と謝る姿を思い出すだけで胸が苦しくなる。ファウスティーナを邪険に扱ってエルヴィラを優先するベルンハルドや婚約者のいる彼と恋人も同然に隣にいるエルヴィラに何度も苦言を呈し、最後までファウスティーナを庇い続けてくれた。
『罪を犯したファウスティーナが悪いのは当然です。だけど、元々の原因を作ったのは貴方です、王太子殿下。エルヴィラもだ』
『母上、ファナを責める前に母上にも問題があるのですよ? 本来なら、エルヴィラの行動を止めなければならないのに、あろうことかエルヴィラに協力する始末だ。ファナが今までどれだけ王太子妃になる為に教育に励んでいたとお思いですか!』
(お兄様……っ)
じわりと目頭が熱くなる。死亡原因は不明だが、公爵家から勘当され、(恐らく)直ぐに死んでしまった後が気になってしまう。
ベルンハルドとエルヴィラはそのまま王太子、王太子妃となって結ばれただろう。自分を庇い続けたケインやリンスーを含めた使用人達はあの後どうなったのだろう。過去に戻ったせいで知る術はない。でも、思い出すと――
「お、お嬢様? どうなさいました?」
リンスーの困惑した声がファウスティーナを呼ぶ。涙が溢れ、咄嗟に差し出されたタオルで涙を拭っても止まらない。
止まってくれない。
「お嬢様? 痛かったですか? それとも、どこか具合が悪いのですか?」
「う、ううんっ」
――絶対に、絶対に同じ失敗はしない。もうお兄様やリンスー、王妃様やネージュ殿下を悲しませる最後にはしたくない……!
「リンス~!」
「は、はい!」
「私、頑張るから、頑張るからね!」
「は、はい、よく分からないですがお嬢様は頑張っています!」
「そうじゃないの! でも、頑張るからね! 殿下と婚約破棄出来るように!!」
「え……」
強めにタオルで顔を拭き、涙を止めたファウスティーナは強い決意の意思表明として背後に炎を燃やして宣言した。いきなりの宣言に目を丸くするリンスーは数秒固まった。
婚約破棄? 殿下? 王太子殿下と?
何故?
「……あ、あの、お嬢様?」
「さあ、もう一回顔を洗って食堂へ行きましょう」
「え、ええ。それは良いのですが……って良くないです! 婚約破棄って何ですか!?」
「私は殿下と婚約破棄をしたいの!」
「何故です!? というか、お嬢様と王太子殿下の婚約は王家からの命令なのですよね!? 絶対無理です!」
「そこは! ……殿下に、他に好きな人が出来るわよ」
「根拠は何です。使用人の私から見ても、王太子殿下はお嬢様を好きなように見えます」
それは今だけ。時間が過ぎていけば、ベルンハルドは絶対にエルヴィラを好きになる。ファウスティーナは気を付けているつもりだがやはり前回と同じになる。昨夜の夕食が良い例だ。滑らかに同じ台詞が出ていた。
エルヴィラの名前を出せば、やっぱりベルンハルドに会いたくない口実でエルヴィラを利用しているのだと周囲にも勘違いされてしまう恐れがあるから出さなかった。
「社交界に出れば私より魅力的な令嬢に会う機会だって増えるわ。そうなると、公爵令嬢っていう肩書き以外取り柄のない私なんかお払い箱よ」
「そんなこと……」
リンスーは決意を宿した薄黄色の眼で見上げる幼い主を上から下まで眺めた。王国ではヴィトケンシュタイン家にしか受け継がれない空色の髪は陽光の下にいると青空同様美しく、薄黄色も珍しく同じ色の子は他にいない。リュドミーラ譲りの濡れ鴉のように艶やかな黒髪と愛らしい紅玉色の瞳のエルヴィラにもない魅力がある。エルヴィラと違って、お家の事情柄王家との婚姻が結ばれる確率が一番高かったファウスティーナは早くから淑女教育を受けていた。ケインは次期公爵なので更に早く跡取り教育を受けている。
楽しそうに母親とお茶やデザートを楽しむ妹をレッスンの合間何度も羨ましそうに見ていたのを目撃しているリンスーとしては、この王太子との婚約はファウスティーナの努力が実る唯一の可能性と信じていた。
なのに、本人は王太子との婚約破棄を望んでいた。先程泣いていた理由にそれが含まれているのは聞かなくても分かる。厳しい教育やレッスンを日々頑張るファウスティーナが何故婚約破棄を望むのか。
リンスーは反対したい。
……だけど、ファウスティーナがそれで幸せになるのなら。
「はあ……。お嬢様。私は王太子殿下との婚約破棄は反対ですが、それでお嬢様が幸せになるのなら陰ながら応援します」
「リンスー……」
「協力は一切しませんよ?」
「何でよ!」
応援すると言っても協力するとは言ってない。
コンコン
「ファナ? まだ準備してるの?」
「あ、今行きます!」
呼びに来たケインに応え、タオルをリンスーに返したファウスティーナは慌てて部屋を出て行った。
今日は待ちに待ったミストレ湖へお出掛けをする日であった。
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