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お兄様は複雑です



お待たせしました( ;∀;)

番外編リクエスト一つ目、ケイン視点の過去編になります。

 


 王国が崇拝する姉妹神フォルトゥナとリンナモラート。2人の髪が空の色なのは何故か。等と考えたことのある人間は果たしていたのか。

 快晴を見上げるケインは何気なく抱いた。今日は妹の18歳の誕生日。朝から喜びを隠そうともしない妹に何も思わない。正確に表すと思うのは無駄だと4()()()なので抱くこと自体が間違いなのだ。

 朝食を1人で手早く済ませて、庭に咲いている花を意味もなくじっと見つめ続けた。

 立ったまま、微動だにせず花を眺めるのが好きだったもう1人の妹はいない。

 1年前起こした事件のせいで……。



「……」



 同じ生を4度繰り返していると言ったら、周囲はどんな反応を見せるだろう。ほぼ全員が頭がおかしくなったと心配するのが落ち。はあ、と溜め息を吐いた。今日は憂鬱だ。妹の――エルヴィラの――誕生日が。

 エルヴィラの貴族学院卒業と同時に、父から公爵の位を受け継ぐ。準備は滞りなく進んでいる。来年からエルヴィラは王太子妃となる。今は王妃教育を受けさせているが如何せん王妃からの評価が最悪だ。そうだろうと言いたくなるがもう後戻りは出来ない。昔から勉強が嫌いで、自分に甘い母親を味方につけて勉強から逃げていたツケが今になって回ってきただけ。王妃教育が辛い、王妃が厳しい、泣き言を言っても更に辛辣な言葉で責められる。と、毎日泣いている。

 兄であるケインにも泣き付いて来るが――



『当たり前だよ。エルヴィラにはゆっくりしている時間がないんだ。急ピッチで王妃教育を施さないといけない王妃殿下の大変さを少しでも減らす為に、今するのは泣くことじゃなく家でも予習復習をすること。分かったらさっさと部屋に戻りなさい』

『っっ……!! う、うう……あああああああああああ……』



 事実を突き付けると大声を上げて泣き叫ぶ。泣き声を聞き付け真っ先に駆け付けたのは母――リュドミーラだった。



『エルヴィラっ、どうしたの? ケインあまりエルヴィラを……』

『……後は頼みましたよ、母上。俺も色々と忙しいので』

『ケイン……?』



 困惑するリュドミーラを一瞥もせず、その時は書庫室に向かった。



「エルヴィラの準備が済んだら教会に向かわないとね……」



 もう1人の妹――ファウスティーナがエルヴィラ殺害計画を企てた。が、婚約者であった王太子に感付かれ、あまりにも残虐な計画だった為に王妃の嘆願と父である公爵の温情により家を勘当された。その後のファウスティーナの行方を知る者は極限られた人間だけ。ヴィトケンシュタイン家だけで言うと、ファウスティーナをある場所へ送ったケインだけ。そこでならあの子はのびのびと暮らせる。


「ケイン様」花の前に立ったまま動かないケインの所へリュンが来た。困ったと言いたげな(かんばせ)をしていた。



「どうしたの」

「王太子殿下がいらしたのですが……」

「殿下が会いに来たのはエルヴィラだ。態々俺の所に言いに来なくていいよ」

「い、いえ、それがケイン様に……」

「エルヴィラの所へ案内して差し上げて。今日は殿下の大事な婚約者の18歳の誕生日なんだから」

「はい……」



 リュンへと向けられた美しい紅玉色の瞳に光はなかった。暗い海の底のような瞳。なのに、ケインは微笑を浮かべている。相反するそれにリュンは顔を青くしつつも、頭を垂れて戻って行った。

 ファウスティーナが勘当されてすぐの頃も王太子は――ベルンハルドは――ケインに会いに来ていた。ケインに会う理由はない。これっぽっちも。だから毎回、エルヴィラの所へ案内してもらっている。婚約者の定期訪問でファウスティーナに1度も会わず、毎回エルヴィラに会っていたのだ。寧ろ、正式に婚約が結ばれたのだ。下手な理由を付けて来る必要はない。


 ベルンハルドの訪問理由はたった1つしかない。が、答える義理も話に応じる義理もない。エルヴィラにだけ会えばいい。

 教会に向かうのはベルンハルドが帰ってからになりそうだろう。そう予測し、眺めていた花をそっと撫でてケインは屋敷に戻った。私室に戻る前にファウスティーナの部屋に行こうと方向転換した時だった。



「あ、お兄様!」



 庭にでも案内するつもりなのか、ベルンハルドと腕を組んだエルヴィラと遭遇した。教会に行く準備は出来ていたようで。白いドレスにラピスラズリのブローチを着けている。エルヴィラが微笑むと周囲に小さな花が咲き誇る。幸福に浸された少女は、愛しい人と一緒に兄を見つけて嬉しいのだろう。……愛しい人の瞳は、どこかの腹黒王子と同じで昏い。



「これは王太子殿下。いらしていたのですね」



 報せを聞いていて知っているが、敢えて今初めて知ったと体を装った。

 ケインは一礼した。ベルンハルドは右腕に絡むエルヴィラの腕をそっと離した。きょとんとするエルヴィラの髪を優しく撫でるとケインに向いた。



「教会へは私も同行する」

「そうですか。王太子殿下がいらっしゃるのなら安心ですね」

「何を言っている。お前も来るんだ」

「ずっとエルヴィラは、殿下と2人っきりになれないと落ち込んでいました。兄として、誕生日の妹に少しでも幸福であってほしいので是非殿下が側にいてあげてください」

「……」

「ま、まあ、お兄様ったら」



 昏い瞳のまま睨んでくるベルンハルドとケインの気遣いに満更でもないエルヴィラ。この温度差が消える未来は何度繰り返しても来ない。



「……家族なら尚更、同行したらどうなのだ?」

「……殿下がそこまで仰有るのなら」



 自分が行かなくても両親が同行するのに。彼個人としては、エルヴィラが祝福を受けている間に少しでも話がしたいのだろう。見え見えの魂胆に内心深い息を吐き、私室に戻ろうと動こうとした。「あ、お兄様!」……でもエルヴィラに止められた。

 エルヴィラはラピスラズリのブローチを見せ付けるように少し持ち上げた。



「お誕生日のプレゼントとても嬉しかったです! 何時こんな素敵なブローチを?」

「エルヴィラが殿下の婚約者になると決まった1年前にね。折角なら、殿下と同じ色の物の方がエルヴィラも嬉しいでしょう?」

「はい! ブローチだけではなく、他にも沢山の装飾品があって、どれにしようか朝からとても迷ってしまいました」

「全部、エルヴィラが王太子妃になる記念だよ。選んだ物を殿下に見てもらいなさい」



 ――ねえ殿下。貴方もその方が嬉しいでしょう?


 身を焦がす憎悪の籠った視線で睨んでくるベルンハルドに負けじと冷徹な瞳で見つめ返した。どちらも涼しい表情をしているのに、どちらも目が笑っていない。目だけで相手を殺さんばかりの勢いだ。

 ただ1人、ブローチをうっとりと見つめるエルヴィラだけが幸福に浸るだけ。


 時間にして数秒か、それ以上か、以下か。

 どちらにしてもケインにこの場に留まる理由はもうない。今度こそ立ち去ろうとした。が、不意にベルンハルドが“掃除”は終えたのかと問い掛けてきた。ケインは「とっくの昔に」と返事をし、部屋に戻った。

 暫くしたらリュンか誰かが呼びに来る。それまでは自由時間。本当ならコーヒーを飲みながら本を読んで待ちたかった。本を読む気も失せた。

 参考書や辞書が置かれている机の上に、開封されていない封筒がある。引き出しからペーパーナイフを取り出し、慎重に封を切っていく。切った封筒から手紙を出し開いた。



「……こっちもこっちで全然変わらないね」



 言葉は呆れているのに表情は優しげで喜びの色があった。便箋から香る花の甘い香りは差出人がよく使用していた香水。

 手紙を読み終えたケインは手紙を封筒に戻し、引き出しに仕舞った。


 コンコン、とタイミング良く扉がノックされた。

 呼びに来た相手に返事をした。







 *ー*ー*ー*ー*



 ーー王都から南に馬車で2時間程掛けて、姉妹神を祀るラ・ルオータ・デッラ教会に到着した。ヴィトケンシュタイン公爵家の馬車からは公爵夫妻とケインが降り。もう1台の馬車からはベルンハルドとエルヴィラが降りた。一行は正面に回り、出入り口付近にいた神官に声を掛けた。ヴィトケンシュタイン公爵家が今日来ると司祭から聞かされていた神官は、王太子がいることに驚きを隠せなかった。



「で、殿下……? いらっしゃるとは……」

「ああ……お忍びだ」

「司祭様は……」

「……叔父上も知らない。父上には伝えてある」

「そ、そうですか。では、こちらへ」



 屋敷を出る際、両親もベルンハルドが教会へ同行することに驚いていた。訪問しているとは執事が伝えてあるので知っていても。

 神官を先頭に教会内に入った。下層礼拝堂には、祈りを捧げに沢山の人々が列に並んでいる。

 艶やかな空色の天井は今日も綺麗なまま。高貴な身形をした一行に平民達の目は釘付けとなった。

 奥へ進み、左側にある階段を上がった。貴族、王族は奥の上層礼拝堂を使用する決まりとなっている。下層礼拝堂にはない、王国誕生の物語を表す壮大なステンドグラスが広がる。先頭を歩いていた神官は、司祭を呼んで来ると一旦この場を離れた。


 普段なら祝福を受ける相手を待って上層礼拝堂にいる司祭が今日に限っていない。忙しいのですねとベルンハルドに話すエルヴィラを、両親は複雑そうに見つめ、ケインは今更と吐きたい溜め息を飲み込んだ。司祭は忙しいのじゃない。来る気が最初からないだけ。幼い頃1度、ケインとエルヴィラは司祭ではなく助祭に祝福を授けてもらったことがある。司祭が処理しないといけない仕事が急遽発生したせいで仕方なくと聞かされたが、実際はリュドミーラのファウスティーナに対する扱いが目に余るとして彼女を一時的に保護して、自分とエルヴィラの祝福は他人に任されただけ。

 あの時は国王のシリウスへ話がいき、夫妻に厳重注意をし、ファウスティーナは家に戻された。


 あの時から教会にいたら……そうしたら……と思う回数も何度目か。



「わたしの祝福をベルンハルド様が見守って下さるなんて嬉しいです! 素敵な1年になりそうですわ!」

「そうなるといいな」

「きっとなりますわ! ねえ、お父様、お母様」

「あ、ああ、そうだね」

「え、ええ」



 エルヴィラに話を振られたシトリンとリュドミーラの声は気まずげで可笑しなものだった。気付いていないのはエルヴィラだけ。早く司祭が来ないかとうきうきとした様子で待っている。



「父上、母上、教会の外に出ていますので終わったら声を掛けてください」



 司祭が来るまでまだ時間は掛かり、祝福を授けられる場面はもう3度見ているので4度も見る必要はない。シトリンにそう伝え、返事を聞くこともなくケインは上層礼拝堂を降りた。

 教会の外に出て、季節に応じて植えられている花壇の方へ向かった。ファウスティーナのじっと花を見つめる癖が移ってしまった。考え事もなく、花を眺めるだけなのも案外悪くない。ケインの他にも花壇に植えられている花に夢中になっている人はいる。邪魔にならないよう、観察しながら移動し始めた。

 ――時だった。



「おや、公子。今日は妹君の同行かい?」



 前方に、今は上層礼拝堂にいないといけない相手がいた。

 陽光を浴びて銀の髪は眩しいくらい輝き、蒼の瞳が穏やかな色でケインを視界に入れていた。天上人の如き美貌に益々磨きがかかる司祭――シエルは、良い天気だねと世間話を始めた。



「良い天気の日は、洗濯物がよく乾くから好きだよ」

「……あの、司祭様。上層礼拝堂へ行ってくれませんか? エルヴィラ達が待っているので」

「最近多忙でね。祝福は助祭に任せたから大丈夫さ。何より、私は元々適当だから。適度に仕事をして遊ぶ。人間として最高の生活だと思わない?」

「適当な人間だと思われますよ」

「構わないよ。元々私は、他人にどう思われようがどうでもいいから」



 この人も変わらない。

 自分の懐に入れた相手以外を受け付けない。足元に大事にしている人間が転がれば、例え自身が傷付こうが迷わず手を差し伸べ救う。逆に、自分の領域を侵そうとする者には一切の慈悲を与えない。苦しみ、もがき、のたうち回っても、他者を魅了する微笑を浮かべたまま踏み越えて行ってしまうだろう。

 ケインの知る中で恐らく最も幸福の絶頂にいるのはシエルだ。エルヴィラの幸福とは全く異なる。

 ケインが言っても動こうとしないシエルは、水を与えられ生き生きと咲く白い花弁を摘まんだ。



「妹君の具合はどうかな?」

「恥ずかしながら、全く」



 王妃教育が殆ど進んでいないことはシエルの耳にも届いている。正直に答えたケインへ微笑を浮かべたままのシエルは苦笑する。



「これも君達ヴィトケンシュタイン公爵家が選んだ運命だ。目を背けず前を見なさい。妹君が卒業するまでに、最低限王太子妃として使えるようにするのが君達の仕事だ」

「ええ……。ただ、司祭様。司祭様は実際どう思われているのですか?」

「どうとは?」

「エルヴィラが王太子妃になることを、です」

「どうも? 寧ろ、喜ばしいことじゃないか。王太子と君の妹君は、在学中リンナモラートに“運命の恋人たち”と認められたんだ。来年の結婚式には、きっと稀な光景を見られるよ」



 生を繰り返しているのは、最初の時、教会の地下深くに保管されているある物をネージュが使って、近くにいたケインも巻き込まれたのが始まり。繰り返しの記憶を持っているのはネージュとケインだけ。

 何度繰り返しても慣れないことはある。

 その1つが――シエルとの会話。教会の司祭を務めているだけあって、王家や姉妹神の秘密を知る極僅かな人間の1人。何でも知っているくせにのらりくらりと逃れて何も悟らせない。実際、彼の微笑みに騙され、その裏に隠された本性を垣間見て破滅した人間は何人いることか。

 両親はシエルに殺されても可笑しくなかったのに殺されていない。ケインなりに理由を考えるが浮かばない。



「……俺はずっと疑問なんです。女神……リンナモラートの生まれ変わりであるファナがいるのにも関わらず、エルヴィラが選ばれたことが。本来であれば、殿下の運命の相手はファナなのに」

「リンナモラートの生まれ変わりだから王太子の運命の相手……か。はは、今更何を言った所で運命は変わらない。君の妹君が王太子の運命の相手に選ばれたのは現実。君だって見ていただろう? 私も見ていた」

「……」

「君なりに努力していたのは知っているよ。それでも運命はあの2人を選んだ。なら、今の君に出来るのは未来の王妃を短期間でも作り上げる手伝いをすること。安心しなさい。妹君が使い物にならないと判断された場合のカードもある」

「司祭様は、優しい顔をしていながら俺の知る人の中で1番えげつない人ですね」

「誉め言葉として受け取っておこう」



 エルヴィラの王妃教育はこれからも進まない。ケインが突き放しても、結局リュドミーラが抱き締めてしまうので。今まで逃がしていた勉学から前向きに取り組ませようとしても遅い。リュドミーラ自身も気付いて、ケインに何度も手を貸してほしいと訴えたが今更だと拒んだ。子供の頃から何度訴えてもエルヴィラは普通の子、ケインやファウスティーナとは違うと耳を貸さなかった母の自業自得。息子に冷たくされ、涙を流し許しを請う姿は愛娘そっくりと皮肉げに紡ぐと更に泣き出して座り込んでしまったことが何回かある。


 生を繰り返しても、子供の自分では出来ることは限られる。出来る範囲でファウスティーナを守っても、そもそもの原因が変わらないか、ファウスティーナ本人がリュドミーラに対し愛情を求めなくなればいい。

 リュドミーラにも、エルヴィラにも、関心を示さなくなればいい。愛情を与える家族はいる。シトリンやケインがそれ。

 そうすれば、初めの頃の性格ももっと違うものになってくれるのではないか……そんな永遠に来ない期待を抱いてしまう。


 おっちょこちょいで、しっかり……していながらどこか抜けていて、……それで……。

 ……挙げればキリがない。ファウスティーナの特徴は。


 2人の会話は途切れ、無言で花を見つめた。どれくらいの時間が経ったのか。(おもむろ)にシエルが教会の方へ向かい始めた。上層礼拝堂へ行くのだろうと察し、ケインも黙って後に続いた。シエルから数歩離れて歩く。参拝者は司祭が横を通る度に頭を下げ、シエルも応えるように声を掛けていく。

 老若男女問わず、天上人の如き美貌の彼に目が釘付けだ。立場が立場だけに浮わついた話は一切聞かない。

 ファウスティーナを保護している時の話はケイン自身ファウスティーナから手紙が送られていたのでよく知っている。当時、手紙のやり取りをしていたのはケインとシトリンくらいだ。気を利かせてリンスーの様子を毎回書いたりもした。ファウスティーナ自身も気にしていたから。逆に言うと母と妹を気にする文面は一切なかった。最初に送られてきた手紙に、自分がいない方が却ってお母様は御機嫌ではないですかと書かれていた。ファウスティーナからの手紙を待っていたリュドミーラに遠回しに伝えれば、案の定泣き崩れた。同時に、シエルが書かせているのだとシトリンに訴えた始末。その時はシトリンの「君に気を遣っているだけだよ」という慰めで何事もなく終わった。エルヴィラは何も聞いてこなかったがベルンハルドの定期訪問がなくなってむくれていた。こちらも当たり前の事実を言えば大泣きした。エルヴィラの場合はケイン自身が叱りつけた。


 もしも、自分が女性に生まれていたら、母や妹と同じで何かあれば泣いて許してもらおうとしただろうか……、考えただけでゾッとした。


 思考を振り払い、下層礼拝堂の奥にある階段に足を置いた所でケインは「司祭様」と声を掛けた。



「王太子殿下も今日は来ております」

「殿下が? 私の所には、報せは届いていなかったのかな」

「いえ、お忍びです」

「そう。あ、はは……君の妹君は愛されているねえ。仲の良さが滲み出ているよ」

「……」



 嫌味ではなく、本心からの言葉だと他者に思わせられるのがシエルの恐ろしいところ。

 上から聞こえる騒ぎ声に内心辟易しつつ、ケインは黙ってシエルの後に続いて階段を上がった。上層礼拝堂には、困っている助祭に食ってかかるエルヴィラがいて。エルヴィラを諌める両親とベルンハルドもいる。助祭はシエルを目にすると安堵の表情を浮かべた。



「あ、司祭様! お兄様も!」



 自分の方へ向いたエルヴィラにケインは険しい顔付きで叱りつけた。



「エルヴィラ。下の方まで声が届いていたけど助祭様を困らせるんじゃない」

「だって、ずっと司祭様を呼んで来てくださいとお願いしているのに中々連れて来てくれないんですもの!」

「エルヴィラと違って司祭様はお忙しい方なんだよ。それに、助祭様がいるってことは、祝福は助祭様が授けてくれるんじゃないの?」

「今日は18歳の誕生日ですのよ!? わたしは司祭様に祝福されたいのです! それにわたしと違ってってどういう意味ですか、わたしだって――」


「忙しい、なんて寝言は言わないね?」



 よくお兄様はわたしには冷たい、お姉様にはそんなことないのに。とエルヴィラは言う。その時は、大抵ファウスティーナの方が更にキツい言い方をしていると返す。

 嘘のない、事実だから。


 一言絶対零度を纏った言葉を紡いだだけで声を詰まらせ、大きな紅玉色の瞳に涙をたっぷりと溜めて震える姿は、非常に庇護欲をそそられる。のだろう。正義感の強い異性には。

 リュドミーラが慌ててエルヴィラに駆け寄り抱き締めてやった。



「まあエルヴィラっ、泣かないで。今日はお目出度い日なんだから」

「だ、だってぇ、お、お兄様……がぁ……!」



 声を震わせ泣き出したエルヴィラをあやすリュドミーラは、ふと自分に向けられるケインからの視線に気付いた。色濃く映った軽蔑の眼。

 だがリュドミーラと視線が合ったケインは普段の涼しい様に戻し、溜め息を吐いた。続いて言葉を発しようとしたが……



「公爵」



 シエルに先を取られた。



「どうも、エルヴィラ様はご気分が優れないようだ。一旦待ち合い室で休憩してからにしましょうか? 遅れた私に非がありますので」

「そ、そうですね。エルヴィラもそれでいいかい?」

「は……はい……っ」



 リュドミーラに支えられながらエルヴィラは待ち合い室へ足を向けた。ケインと目が合うと更に泣き出した。

 鏡で見たら、自分は今どんな顔をしている? 怖い顔? 怒っている顔? きっと、心底どうでも良さそうな顔をしている。

 エルヴィラが泣いて感情を露にするのはリュドミーラとベルンハルド。だって、エルヴィラが泣くのはファウスティーナのせいだから。ファウスティーナがエルヴィラを泣かせるから、2人は反論の余地を与えない程追い詰めた。碌に理由も聞かず。エルヴィラ自身も、泣いた理由を何でもファウスティーナのせいにすれば母や王太子が慰め、甘やかしてくれると知っていたから、余計ケインが実の妹が泣いていても何の感情も浮かばない。

 立ち止まって泣くエルヴィラへ多少の苛立ちを抱いた。



「エルヴィラ。そういうところだよ。泣いている暇があるなら、さっさと歩きなさい。エルヴィラが無駄にしていい時間は1分1秒だって本来ならないのだから」

「ケインっ、今日はエルヴィラの18歳の誕生日なの。どうして優しくして……」



 一体どの口が言っているのかと言いそうになった。昏い紅玉色の瞳で更に色濃く映った軽蔑の色がリュドミーラを黙らせた。こんな瞳をぶつけられる心当たりでもあるようで、少々顔を青くした。

 母娘揃って立ち止まってしまった。苦笑したシエルが公爵を促させ、2人を待ち合い室へ連れて行かした。

 残ったのは、ケインとシエル、先程から一言も喋らないベルンハルドと困り顔の助祭の4人。


 ベルンハルドはシエルへ向いた。



「叔父上。ご無沙汰しております。突然の訪問、お許しください」

「構わないよ。君もご苦労様」



 視線を変えず、助祭に労りの言葉をシエルが掛ける。疲れたように息を吐いた助祭はジト目でシエルを見た。



「全く……、分かっててやるから質が悪い」

「なんのことかな?」

「はあ……。ああ……先代司祭様はとっっっても真面目で仕事熱心な方だったのにどうして今の司祭様は何でも出来るくせにこう適当なんだ……」

「そのとても真面目で仕事熱心な先代司祭様は、私がちゃんと司祭の仕事が出来ると判断するとすぐに書き置き1枚残して旅に行ったっきり帰って来てないけど? 半年に1回程度は生存を報せる手紙を寄越すから、まだ助かる方だけどね」

「……今の司祭様だったら、数年に1回のペースか最悪手紙すら送って来なさそうですがね」



 ぽそりと呟いた助祭は「何か言った?」と怖い微笑をシエルに向けられ、背筋を伸ばし「いいえ」と答えた。

 このやり取りを見るのも4度目になるケインでも、やはりシエルの迫力のある微笑は慣れない。ネージュでさえ、向けられたら心臓が縮むと恐れる程。因みに、国王のシリウスは息子達を叱る時決して声を上げない。冷徹な声色で叱りつけるのだと言う。

 冷たい表情と暖かい微笑で叱られるのは、果たしてどちらが怖いのか。

 ネージュ曰く、どっちも怖いが本能的に恐ろしいと感じるのは後者。

 助祭とシエルのやり取りを眺めつつ、今頃待ち合い室で両親に慰められているエルヴィラの姿が浮かぶ。

 あの時リュドミーラに向けた視線の意味を、母本人は感じ取っただろう。でなければ、顔色を悪くしないし黙らない。


 何か言うのであれば、何倍にして言い返す準備は最初から済んでいる。無駄になることも予測済み。

 ファウスティーナが公爵家を勘当されてから、今更になって自分の育て方が悪かっただの、もっと優しくしてあげれば良かっただの、聞いているだけで虫酸が走る台詞を悲劇のヒロインを気取って言い続けた。終いには、ファウスティーナを何処かの場所へやったケインに内密に会わせる様頼んだ。

 勿論教えなかった。更に、2度とファウスティーナに会わせてほしいと言えないよう突き放した。


 ベルンハルドといい、母といい、いなくなってから執着するのは何故と言いたい。リュドミーラの方は、ケインが塵程も会う資格がないと突き放せば暫く放心し、ファウスティーナに会いたいと言わなくなった。2ヶ月前のファウスティーナの誕生日には、何か言いたげな視線を寄越されたが徹底的に無視を貫いた。父からはプレゼントは無理でも、せめて手紙だけでもと頼まれ内密に届けさせた。

 だが……ベルンハルドは違う。何度冷たく、時には不敬に当たる言葉で突き放しても、ファウスティーナが何処にいるかしつこく訊ねて来た。


 ファウスティーナが勘当されてすぐ、今まで贈られていたプレゼントの山を処分している時も彼はケインを訪ねた。エルヴィラとの婚約が決まってからは、例えケインに用があってもエルヴィラに会わせていた。ケインには会う理由も必要もない。

 自分が贈ってきたプレゼントが1度も使用も開封もされていないと知った時、彼は何を思ったか。昏い瑠璃色の瞳で睨まれてもどうも思わなかった。

 あるのは――そうなる運命だったから、としか言いようがない。



「……叔父上」



 弱々しい声でシエルを呼ぶベルンハルド。浮かない表情をしているだけでシエルは何を話したいか察したのか、紫がかった銀糸を撫でた。



「私の用事も終わったから、エルヴィラ様が落ち着いたらちゃんと祝福を授ける。そう不安にならなくていい」

「そうではありません。叔父上、私は……」

「気を急く必要はない。何だったら、君も一緒に待ち合い室に行くといい。エルヴィラ様と君は“運命の恋人たち”であり、相思相愛の仲だ。婚約者の不安を取り除くのも君の役目じゃないかな?」

「っ……はい」



 拳を力強く握り締め、堪えるように唇を噛み締めたベルンハルドは待ち合い室へ行った。

「…………だから坊やに悪趣味とか言われるんだよ」と助祭がそっぽを向いた状態で呟くもケインには聞こえず。けれどシエルには聞こえたので、またさっきのやり取りをした。



「……」



 話をしたかったのだと悟る。シエルと。

 絶対的な味方のシエルなら知っている。親しい甥になら居場所を教えてくれると思って。実際はもう手遅れ。宝物に最後の止めを刺したのはベルンハルド。元凶に慈悲はない。

 穏やかに、でも少し不穏な気配を纏って助祭と楽しく会話を進めるシエルが一言でもエルヴィラが王太子妃に相応しくないと王に進言すれば、王妃から話がいっている王も腰を上げざるを得ない。だがシエルはしないだろう。彼の中では、最早どうでもいい存在になっている筈だから。

 何故なら、今日会って1度もシエルはベルンハルドを名前でも愛称でも呼ばなかった。

 今頃ベルンハルドに慰められて泣き付いているのが容易に浮かぶ。分かり易くて助かる。

 ケインの方へシエルが振り向いた。吐きたい溜め息を喉元の辺りで飲み込んでケインは、ふわりと香った香水以外の異物に疑問をぶつけた。



「教会に来る前は、厨房か何処かにいらしたのですか?」

「何故そう思う?」

「司祭様から焦げた臭いがしたので」

「ああ、これ? ふふ、火力を誤ってね。黒焦げにしちゃった」



 そう言ってシエルは、懐から包み紙に包まれた焦げたクッキーを出した。アヒルや花の形をしたクッキーは、真っ黒に焦げたものから焦げ茶色に焦げたものまで。どれを食べても体に悪そうだ。



「司祭様が作ったのですか?」

「俗世から離れた場所で自分の好きなことをするのはとても楽しくてね。私、こう見えて器用なんだよ」

「でしょうね」



 知ってますと言ってやりたい。

 自分で作った、黒焦げにしたという割に、食べても害にしかならないクッキーを子を見つめる親の顔をするのは。


 するのは……それは……。


 黒焦げのクッキーを見つめるシエルから包み紙を自然な動作で奪った。え? と瞬きを繰り返し、面を食らったようなシエルに珍しいものを見れたとケインは微笑を見せた。



「司祭様が食べそうな予感がするので此方で処分しておきます。妹がご迷惑をお掛けしたお詫びに」

「変な気を遣わなくても――」

「是非そうしてください公子。司祭様が黒焦げのクッキーを食べて体調を崩されたら大変なので」

「勝手に話を進めないでくれる? それ私の為にってあの子が作って――」



 黒焦げのクッキーを取り戻そうとするシエルを毎日振り回されている助祭がここぞとばかりにケインを援護した。シエルが口走りそうになった存在は、待ち合い室に向かったとは言え、言ってはならない。

 故にシエルは咄嗟に口を手で塞ぎ、家族にも滅多に見せない微笑みを黒焦げのクッキーを摘まんで見せたケインは紡いだ。



「ええ。()が失敗して作ったなら、尚更兄である俺が食べないと。司祭様が食べて体調を崩されたら、本当に大変ですから」



 暗に含んだ言葉の意味を読み取ったシエルに苦い顔をされるも、クッキーを1枚食べたケインはそれ以上に苦い顔をした。普段食べているクッキーとは、当然だが味も違う。焦げた味はしない。苦くて美味しくないのに、胸に広がる暖かいものはなんだろう。付ける名前はなくても、心地がいい。


 残りのクッキーは包み紙に包み直した。不服げに見てくる視線を気にせずにいると落ち着いたエルヴィラが戻って来た。付き添う両親はまだ不安そうで、また、ベルンハルドは昏い表情をしていた。

 エルヴィラが奥へ行ったのと同時にケインは後方に行ってチャーチチェアに腰掛けた。


 咀嚼し、飲み込んだクッキーの苦味が口内に残っていた。まだ消えないで。下手なりに相手に美味しく食べてもらおうと一生懸命に作った姿が浮かぶ。焦げたクッキーを目にした時はきっと半泣きしただろう。そして、自分で食べると意地を張ってシエルを困らせたに違いない。



 生を4度繰り返している。

 人生に正解なんてない、ただ、間違いもない。

 自分自身が正解か、間違いかを判断したらいいだけ。

 最初の時の記憶があったからこそ、ファウスティーナをベルンハルドの手が届かない場所へ逃がし続けている。何度ケインが止めようとしても最後に結ばれるのはエルヴィラとベルンハルド。ファウスティーナとベルンハルドが結ばれる日は、何度繰り返しても来ないのでないかと思っている。


 それなら、この4度目で終わりにしたい。

 時が経てばベルンハルドも何れ諦めがつくだろう。“運命の恋人たち”は幸せになる運命なのだから。受け入れ、幸せになったらいい。



「王族や貴族の結婚に情は無用だからね……」



 例え、心の底から愛している相手が違っていても……。



nicle様リクエストありがとうございました! ご期待に添えていれば幸いです。



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― 新着の感想 ―
この王太子妃(仮)となってからもスカスカ娘の甘ったれさ。それを許すリュドミーラどうしようもないですね。ファナに一切の甘えを許さず厳しさだけで接していた「将来立派なお王妃となるため」という言い訳が今現在…
[一言] ベルンハルドかシトリンかシエルか、または王妃様あたりが記憶持ち越し勢だったらあっさりうまく行ってた感があるなー。 記憶持ち越し勢が全員お子様なのがツライトコ
[一言] エルヴィラ殺害計画密かにシエルが実行してたら ベルンハルトは幸せだったんでは?
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