58 呪い
――ファウスティーナを抱いたシエルが玄関ホールを出て行くと、張り詰めていたものが崩壊したのか、足に力を無くしたリュドミーラが座り込みそうになったのを、慌ててシトリンは支えた。心配したエルヴィラが駆け寄ると安心させるように黒髪を撫でた。
「大丈夫よ、今日は貧血気味だったから……」
「でしたら早くお部屋に戻りましょう。具合が悪いのなら、態々お姉様の見送りをする必要も無かったのでは」
「エルヴィラ、何てことを言うんだい」
たった1人家を離れ遠い別の場所で暮らすこととなった姉に対する言葉じゃないと、父にキツく叱られ、涙目になって母に抱き付いた。
「だ、だってっ、本当のことではありませんかっ」
「1番心細い思いをしているのはファナの方なんだよ。僕達はそれを安心させる為に見送る必要があった。それをエルヴィラ、君は」
「旦那様っ、あまりエルヴィラを怒らないであげてください。体調管理の出来ていない私の責任です」
「でもねリュドミーラ……」
「……」
誰にも聞こえない程度の溜め息を吐いたケインは、そっとこの場から離れた。
どうせあの後、母に弱い父は押し切られてエルヴィラを叱れずに終わる。分かり切っている未来を見ている程、退屈でもなければ暇でもない。
「今までのファナが教会に保護されたのは11歳の時。5回目でやっと違う展開になってくれた」
理由は全部同じ。
王妃教育を受け、帰りにベルンハルドへ会いに行った時に酷い言葉の暴力を受けた。人通りの少ない場所で泣いている所を嫌々登城しないといけなかったシエルが見つけて強制的に保護した。
貴族学院入学まで教会にいて、以降は屋敷に戻された。
部屋に戻り、人払いをしたケインは「ははっ」と乾いた笑いを零した。
「ファナに入れ知恵したのは司祭様だ」
家族との接し方
ベルンハルドとの接し方
周囲との接し方
自分がするべき振る舞い方
それら全ての入れ知恵をしたのはシエルだ。
洗脳されたんじゃない。ファウスティーナは自分から進んで知恵を求めた。求められたシエルは提供しただけ。
どうしたら家から出られるか
どうしたらベルンハルドとの婚約を破棄出来るか
どうしたら、ベルンハルドに償えるか
と。
「殿下をずっと苦しめてきたのなら、嫌われていても幸せになれるように手伝いたい、か」
一生消えない傷を負わされたのに、そもそもの原因は自分自身が駄目だったのだとファウスティーナは至った。そこでシエルが提案したのだ。ベルンハルドを本当の愛する人と結ばせてやればいいと。
「殿下とエルヴィラが“運命の恋人たち”と言われるようになったのは、司祭様の入れ知恵と実際に実行したファナの力。これを今知るのは俺とネージュ殿下だけ」
また、実際に運命の相手がエルヴィラだと判明した時の様子も鮮明に覚えている。4度も見ているのだから。忘れる方が難しい。
「……殿下は、どの時も呆然として姉妹神の像を見上げていたっけ。エルヴィラは泣いて喜んで殿下に引っ付いて。ファナは……」
ファウスティーナは……そう、俯いて、体を震わせていた。周囲の誰もが怒りに身を震わせていると思っただろう。何も言わずに出て行ったファウスティーナを追ったケインは声を大にして違うと叫びたくなった。
実際は誰もいない場所で大喜びしていた。計画通りベルンハルドの運命の相手がエルヴィラになって。
「運命の相手が自分じゃなく、大事に守ってきたエルヴィラだから即婚約破棄になって、新しい婚約者はエルヴィラになるって信じてたファナもお馬鹿だったけど、自分1人幸福に浸って肝心の殿下の反応をちゃんと見ていなかったエルヴィラも大概だった。……はあ」
――どの人生でも、手の掛かる妹達だよ
勉強机に座ったケインは引き出しから1枚の便箋を取り出した。何も書いていない、真っ白な便箋にペンを走らせる。無言のまま書き進め、終えると綺麗に折った。
「今で5度目。ファナが今までと違う今回がチャンスなんだ。
――邪魔しないでね……」
真っ赤な紅玉がドロドロとした黒に染まった瞳で相手の名前を紡いだ。
呪いでも掛けそうなおぞましい声色で。
読んで頂きありがとうございます。
次回から、以前頂いた番外編のリクエストを書いていきます。
番外編も次の新章もよろしくお願い致します。