54 弱者は庇護欲をそそられる
(なんでこうなるの……)
ファウスティーナ自身が何もしなくても、エルヴィラには必ず災難が降りかかるらしい。運勢が悪いのか、呪いを掛けられているのか。取り敢えず、転んだエルヴィラに駆け寄ったファウスティーナは彼女を起こした。芝生の上だったので泥の汚れも怪我もない。少々草がついただけ。手で草を払い、手を貸してエルヴィラを立たせた。
「怪我は? 足を捻ったりしてない?」
「い、いえ」
嘘を吐いている風でもない。ふう、と息を吐いたファウスティーナは次にある方へ目を向けた。
その間、ケインはゼリーがベルンハルドに掛かっていないか念の為確認していた。首を振るベルンハルドに安堵し、謝罪をしてエルヴィラの傍に寄った。
「エルヴィラ」
「お、お兄様っ、わたし」
「エルヴィラがドジを起こした、なんて言わないよ。今回はね」
黒髪をぽんぽん撫でてやるとファウスティーナと同じ方を向いた。
「な、なんですの。私が何か?」
ファウスティーナとケインが先程、険しい顔付きになったのはエルヴィラが前のめりに転んだ挙げ句リンゴのゼリーがベルンハルドの所へ飛んで来た、からじゃない。それもあるが、最たる理由は2人の視線の先にいる令嬢。
同じ公爵位、フリージア家令嬢のジュリエッタ。
ファウスティーナは一瞬だがしっかりと見た。ベルンハルドの所へ早足で来ていたエルヴィラに足を引っ掛け転ばせたのを。嘲笑うようにクスクス笑い合うジュリエッタや取り巻きに綺麗に微笑んだ。
背後から漂う黒い雰囲気はどうやって発生させているのか。微笑みを向けられているジュリエッタ達は顔を真っ青に染めていた。
「いえ。私の見間違えでなければ、エルヴィラが来ている所へジュリエッタ様が態々片足を出していたのを見てしまったので。よろしければ、理由をお聞かせ願えないかと」
「私が転ばせたとでも言うの!?」
「私の見間違えでしたら謝りますわ。でも、片足をエルヴィラが来る方へ突き出したのは事実でしょう? ジュリエッタ様にどのようなお考えがあってそのようなことをしたのか気になって」
「彼女が転んだ時私が近くにいたからって言い掛かりも甚だしいわよ! 第一、図々しく王太子殿下に纏わりついているのが悪いのよ! だから私が思い知らせてあげようとしただけよ!」
転ばせたことは認めなくてもこの発言でジュリエッタがエルヴィラに悪意を抱いているのは証言された。更に喋らせる為にファウスティーナも続けた。
「此度のお茶会は、子世代の交流を目的としたフワーリン公爵夫人によるお茶会です。確かにエルヴィラは王太子殿下に対し、少々馴れ馴れしい態度ではあったと思います。ですが、此処は貴重な交流の場です。王太子殿下や王子殿下、更に普段はお会い出来ない家の方々と会話をすることが悪いことなのでしょうか?」
「私が言いたいのは、貴女の妹君が王太子殿下に馴れ馴れしいことが問題だと言っているのよ! 貴女だって今認めたじゃない!」
ジュリエッタは恐らくベルンハルドに近付きたくても、1人隣をキープしてベルンハルドと話続けていたエルヴィラを妬ましく感じ足を引っ掛け転ばせた。ファウスティーナの思惑通り、殆ど罪を認めたと同然だ。
止めを刺そうとすると、ファウスティーナの前にベルンハルドが一歩前に出た。
「フリージア嬢」
「お、王太子殿下……」
ジュリエッタもベルンハルドに恋する少女の1人なのだろう。明らかな嫌悪の滲んだ瑠璃色の瞳で見られ萎縮している。
「っ……」
自分には向けられていない。今回エルヴィラに危害を加えていないから。
向けられていなくても、前の記憶にある同じ瞳を思い出して身震いを起こした。冷たい瑠璃に浮かぶ嫌悪。好いている相手に心底嫌われた絶望をファウスティーナはよく知っている。涙目で少々体を震わせてベルンハルドを見つめるジュリエッタに同情するも、場所とやり方を間違えた彼女の落ち度だと第三者の目線で眺める。
「ファウスティーナの言う通り、このお茶会は普段交流出来ない子供達の為に開かれたお茶会でもある。それをこんな形で台無しにするなんて、フワーリン公爵家に対する侮辱でもあれば、フリージア公爵家に泥を塗るも同然だよ」
「わ、私はただ……!」
「それと、僕が誰と話そうが僕の勝手だよ。フリージア嬢が気にする必要が何処にあったの? 僕はエルヴィラ嬢以外にも、ファウスティーナやケイン、クラウドやラリス嬢とも会話をしたよ」
「……」
やるならエルヴィラだけじゃなく、ベルンハルドと会話をした全員にちょっかいを掛ければ良い。実際にやる度胸があるかどうかは別として。
一緒に笑っていた取り巻きもジュリエッタから距離を取って他人事のように眺めている。取り巻きというのは、強い相手に群がって弱い者が影響力を使って強がるだけ。多分だが前のファウスティーナにはいなかった。
1人取り残され、真っ青で立つのがやっとなジュリエッタへ主催側であるクラウドが近寄り、何事かを囁く。縋るような瞳をクラウドへやるが反応されず、ふらふらとした足取りでベルンハルドの前に立つと謝罪をした。
そして、クラウドはジュリエッタを使用人に託した。会場からいなくなると、気を取り直してお茶会を楽しんで下さいと発した。
小さくはなくても無駄に大きくならずに済んでファウスティーナはホッとした。前の自分は、フワーリン公爵家のお茶会で何をやらかしたか全然覚えてないが同じような騒ぎを起こしているに違いない。自分よりも詳しく覚えているアエリアがいる。聞きに行く前に「殿下」と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当なら私が……」
「ファウスティーナが言うよりも、僕から言った方が早く収まると思ってしただけだよ。ファウスティーナが気にする必要はないよ」
こう抱いてしまう。
先程の場面を見て。
意地悪な令嬢と虐められる令嬢。
こういう場合、虐められる令嬢に皆同情し、正義感の強い者なら手を差し伸べ放ってはおけなくなる。意地悪な令嬢は周囲から糾弾され、徹底的に排除される。エルヴィラが可愛く、放って置ける筈がない。
ベルンハルドはエルヴィラの所へ行くだろうと、また頭を下げたファウスティーナはアエリアを探した。
「?」
ネージュと話している。自分が行って中断させるのも億劫だから止めておこう。困った。ケインはまだエルヴィラといる。そうなると1人になるしかない。隅の方へ行こうとすると――
「ファウスティーナ」とベルンハルドに呼び止められた。
近付くと声量を抑え気味に「父上から聞いたんだ」と切り出された。
「今日のお茶会が終わったら教会に行くんだよね」
「あ……はい」
「そっか……。じゃあ、ファウスティーナに会いに教会まで行けば良いのか」
「え」
うっかりしていた。
公爵邸じゃなくてもベルンハルドが教会までファウスティーナに会いに来るのは変じゃない。
婚約者がそこにいるから。
王都から教会へは、馬車で飛ばしても時間は掛かる。
「殿下の負担になってしまいますよ」
「どうして? 頻度は減るけど僕は全然気にしないよ。それにファウスティーナだけじゃなく、叔父上もいるしね」
成る程。ベルンハルドは叔父シエルを慕っている。年に1度、誕生日の日にしか会えない叔父に会える口実を作れる。これを逃したくないのだろう。ファウスティーナ本人もシエルは接しやすい。ベルンハルドの気持ちが分かってしまう。
ベルンハルドは更に声量を抑えた。
「叔父上は物知りで少ない時間を作って遊んでくれる。あと、……父上と違って怖そうじゃないから話しやすいんだ。これ内緒にしてよ?」
意外な一面を垣間見えた気がする。ファウスティーナが最後に覚えている彼は18歳。今目の前にいる彼は8歳。違って当然だ。子供の内緒話をするのが擽ったくて、暖かい。「ふふ」と笑みを零し、はい、と頷いた。
「殿下の気持ち分かります。司祭様優しいですから」
「うん。あーでも」
「?」
「ファウスティーナには更に優しそうに見える」
「そうですか? 他の方と同じだと思いますけれど」
「ううん。僕やネージュと接する時とファウスティーナに接する時の笑い方が全然違う」
ファウスティーナは思い出してみる。
天上人の如き美貌のシエルを。あの美しい微笑みは誰に対しても同じような気がする。が、ベルンハルドがそう見えるなら、明日会う時注意して観察しようと決めた。
ベルンハルドはファウスティーナの手を握り、皆の所へ行こうと歩き出した。前触れもない行動なのでファウスティーナは逃げられず。
(もう何も起こりませんように……!)
無事にお茶会が終わるのを願った。
――離れた場所でアエリアと会話をしているネージュが不意に「ふふっ」と笑った。不気味なものを見る眼でアエリアに見られ、ごめんと一言謝った。
「怖いですわよ」
「だからごめん。つい思い出し笑いしちゃった」
「先程のあれですか?」
「うん。ファウスティーナはきっと、フリージア嬢のやったことは前に自分がやったと思ったかなって」
「そうですわね。実際は何もしていませんが」
「うん。フワーリン公爵家のお茶会にファウスティーナは参加してないから」
「私は貴族学院に入学してからしか、詳しくは存じませんが前の彼女が参加していなかったのは何故?」
「叔父上だよ」
前のファウスティーナが不参加だったのは、公爵家での扱いを見かねたシエルが1度無理矢理ファウスティーナを引き取ったから。
「これはぼくも後から聞いたけどね、公爵、特に公爵夫人がファウスティーナを返せってお茶会が終わった後叔父上に迫ったんだって」
「あの母親はそうまでしてストレス発散したかったのかしら……」
どうしようもないと呆れ気味に言い放つアエリアに「違うよ」とネージュは否定した。
「ケインが言ってた。公爵夫人はアレでファウスティーナを大事にしてたって。王太子妃、王妃になる子だから厳しくて当然だっていつも言ってたって。ケインが庇うのも限界があったんだよ」
「公爵は?」
「公爵が庇ったって、公爵夫人に甘々だから。それに、却って逆効果だって言ってた。ファウスティーナは、話が耳に届いた父上が公爵夫妻には厳重注意して、叔父上にはファウスティーナを返させた」
無理矢理。更に嫌われるのに。
それでも態度を改めなかった公爵夫人はファウスティーナに恨みでもあるのかと勘繰るが、本心から、ファウスティーナの為に一切の優しさを与えなかっただけだった。
何度見捨てたら? とケインに告げても、あんなのでも親であるからと首を縦に振らなかった。但し、その内勝手に消えると淡々とした表情で告げられた。
ネージュの紫紺色の瞳は、ベルンハルドに手を握られクラウドの所へ行ったファウスティーナに向けられた。
鮮明な記憶なんて思い出さなくて良い。自分の為、ベルンハルドの為と婚約破棄を望み、行動したらいい。
――ねえ、兄上
『好きだった? 愛していたと今更どの口が言っているんだか』
『馬鹿な兄上。そんな兄上がぼくは大好きだよ。だって、最後はこうやって必ず兄上はぼくにくれるんだ』
捨てたものは拾い直したらいけない。
捨てられた側は、捨てた側を一生許さない。
「そんな兄上でも……ぼくは大好きだよ。だから、ファウスティーナだけじゃなく、兄上にも幸せになってほしいんだ」
――これは紛れもない、ぼくの心からの願いだよ
読んでいただきありがとうございます。
今回の話はちょっとびくびくしながら書いてました(;´∀`)
次回は過去編でネージュとベルンハルドの回です。