53 お約束はあった
犬猿の仲と呼ばれる者同士でさえ、対峙するだけで室内を殺気に満ちた重苦しい重圧を与えるだろうか。
去年から新入りとして働き始めた神官は、一言も喋らず睨み合ったまま微動だにしないこの国で1番面倒臭い異母兄弟の沈黙に耐えきれず倒れた。
お腹を抑えて。
後で胃薬を運ばせてあげようと、神官の背中を擦ってあげたヴェレッド。会話はしていたがシリウスのある言葉でシエルの表情から貼り付けていた微笑が消え去ったのだ。ヴェレッドの左袖には、お気に入りの銀のナイフが仕込んである。もしもの時が来たら、シエルへの牽制の為に準備も出来ている。シリウスに投げても良いがシエルが怒るので投げない。
面倒臭そうに息を吐く。気配を殺して部屋を静かに出ようとしたが「ヴェレッド」とシエルに感付かれた。軽く舌打ちをすると含みのある笑みを向けられた。こういう時のシエルの微笑はとても恐ろしい。
恐ろしい程――綺麗だから。
「なに」
「何処へ行こうとしているのかな?」
「シエル様と王様の話がつまらないから先に抜けようかなって」
「だったら小僧。そこの神官を治療室へ運んでやれ」
「誰のせいで倒れてると思ってるの?」
「陛下が来るから」
「シエル様と王様のせいだよ。そうやって並ぶと母親が違っても血の繋がりを感じるね。似てるよ、2人とも」
含みのある深い微笑は、不機嫌な相貌へと変化した。嫌悪の滲んだ蒼に睨まれても、不敵な微笑みを崩さない。約1名、似ていると言われて若干嬉しそうなのがいるが敢えて触れない。
ヴェレッドは倒れた神官を抱き上げた。成人を迎えているのに低身長で体重も軽い。軽々と抱き上げると、シエルの制止を無視して司祭の部屋を出て行った。
治療室へ目指すヴェレッドは「あ」と思い出したように声を出した。
「シエル様椅子に縛り付けたままだった」
今日はフワーリン公爵家のお茶会当日。ファウスティーナを1日前倒しで迎えに行きそうな気配がしていたシエルを教会に留めようと、助祭や神官達は必死に仕事を探して処理させていた。動けないよう体を椅子に縛り、両手を不自由にする為に手錠を嵌めて。
そこへ連絡無しにシリウスが突撃した。
「まあ、いいや。どうせその気になったら、いつでも手錠は外せるんだから」
最初から細工をしてある。外そうと思えば簡単に外せる。
この後、治療室のベッドに神官を寝かせたヴェレッドの所へ、天上人の如き美貌で怒り心頭な様子のシエルが来た。
「ヴェレッド」
「王様は?」
「陛下にはお帰り頂いた。……さて、残るは君だよ」
世の令嬢や貴婦人が見たら卒倒するだろう美貌の背後にどす黒い何かを纏って距離を詰めて来た。
ヴェレッドはシエルが近付く度に後ろへ下がるも、シエルも同じ距離を詰める。
「えー」
「えー、じゃない」
「ねえシエル様。お嬢様は小さいアヒルが好きなんだって」
「……」
微笑みを浮かべたまま距離を縮めていたシエルの足が止まった。
「公爵様に誕生日プレゼントでアヒルのぬいぐるみを強請ってた。スイーツは『エテルノ』のアップルパイが好きで、貴族御用達だと『ヌオーヴォ』のフルーツタルトが大好物」
「知ってるよ全部」
「だと思った」
大きく一歩を踏み出したシエルが一気に距離を詰めた。
ヴェレッドは咄嗟に左に避けたが遅かった。
シエルの右手がヴェレッドの左襟足を握った。
手加減なしに引き寄せられる。
「あまりおいたが過ぎると、君相手でも容赦しないよ?」
「えー」
「えー、じゃない」
「王様が来るってことは、それだけシエル様が浮かれるって把握していたからじゃない。俺に八つ当たりしないでよ」
右手に力が入れられぐしゃりと髪が軋む。手入れするの大変なのに、と嘆息するヴェレッドは、もう暫く怒りが沈静化するまで時間がかかると連続で嘆息したのであった。
*ー*ー*ー*ー*
――フワーリン公爵家のお茶会にて。
フワーリン公爵夫人クリスタは、当家お勧めのスイーツとして領地の名産品であるリンゴをふんだんに使用した品を数種類用意した。美しいスイーツに目が釘付けとなっているのは令嬢達が多い。甘い物が好きな令息も目を輝かせている。
ファウスティーナも漏れなく瞳が輝いている。スイーツが大好物なので。
いつの間にか近くに来たケインに振り向いた。
「とても美味しそうですねお兄様!」
「そうだね。ファナは甘い物に目がないね」
「はい! 私だって女の子ですから!」
「普段おっちょこちょいで稀に間抜けなことするのに」
「此処で貶さなくても良いではありませんか……!」
「しょうがないよ。ファナだし」
「どういう意味ですか!?」
何処へ行っても変わらないやり取りにガックリとしつつも、何気ないやり取りが出来る幸福が身に染みた。前のように勘当されれば、この何気ないやり取りでさえ出来なくなる。
「……羨ましい」
「ベル? どうしたの?」
「う、ううん! 何でもないよ」
素の姿をファウスティーナに見せてもらえるケインが羨ましくて仕方ないベルンハルド。家族だから見せているのもある。婚約者でも壁を越えるにはまだまだ時間も交流も少ない。数種類のスイーツの内、リンゴを使ったシュークリームをクラウドに勧められた。
「ベルが食べて美味しいと思ったら、ファウスティーナ様に言ってあげたらいいよ」
「そうする」
シュークリームを置いた取り皿をクラウドから受け取り、デザートフォークを入れた。
「でもさファナ。一昨日、紅茶に砂糖10個も入れて飲んでいたでしょう? あれは駄目だよ。太る以前に病気になる」
「分かってます。月一程度に留めます」
「駄目。危ないから数ヶ月に1回。ファナがリュン一押しの子豚になってもいいなら飲めばいいよ」
「なりませんよ! お兄様は私に子豚になってほしいのですか!?」
「案外可愛いと思うよ。ファナがなったら」
「……」
誉められているのか、貶されているのか、相変わらず線引きが難しい。この兄だけは。ケインはファウスティーナの鼻を押した。「ぶう、ぶう」とジト目で押される度に豚の鳴き声を発する。普段無表情に近いケインがちょっとだけ楽しそうに笑っている。
「けど、あんな砂糖漬けの紅茶は偶にしか飲まないこと」
「どうしても飲みたくなったら運動でもします」
「ああ、それがいいよ。体は動かさなきゃ」
「……」
ファウスティーナとケインの会話が楽しそうで、丁度シュークリームを食べ終えたベルンハルドはシュークリームを置いた取り皿を2皿持ってそっちへ行った。「ファウスティーナ、ケイン」と声を掛けた。
「クラウドがお勧めしてくれたリンゴを使ったシュークリームだって。美味しかったから、2人も食べるといいよ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます殿下」
ベルンハルドから取り皿を受け取り、乗っていたデザートフォークでシュークリームを1口サイズに切った。生地の生クリームから芳醇なリンゴの香りが漂う。早速ファウスティーナは食べた。口一杯に広がるリンゴの味に頬を綻ばせた。
「とても美味しいです!」
「そっか。良かった」
「フワーリン公爵家は確か、貴族向けと平民向けでスイーツ店を幾つか展開していましたね」
「私が前に誕生日プレゼントでリンスーに買って来てもらったアップルパイのお店『エテルノ』もフワーリン家のスイーツ店ですよね」
「そうだよ」
「僕も城でよく食べるよ。公爵夫人が元々無類のスイーツ好きで、領地の名産であるリンゴを効率良く使える方法は無いかと模索している時に貴族と平民、どちらでも楽しめるスイーツ店を考えたと聞いた」
平民向けの値段はお手頃だが品質に抜かりはない。貴族向けも然り。貴族向けの場合、食材の費用が必然的に高くなる。
美味しそうに、綺麗な動作でシュークリームを食べるファウスティーナ。ぎこちなく、固い笑顔より、自然で浮かべる笑顔の方が何倍も可愛い。何より、今日は誕生日プレゼントとして贈った瑠璃色のリボンを身に着けてくれている。空色の髪にピッタリで安堵したのと同時に、何故か恥ずかしさが込み上がった。
「?」――見つめ続けたせいで視線を感じたらしいファウスティーナが怪訝な眼でベルンハルドへ向いた。ハッとなったベルンハルドは、顔が熱くなっているのに気付く。何を言おうか困っていると急にファウスティーナの顔が険しくなった。ケインもそう。
2人同時に「「殿下!」」と発せられた。何事かと後ろを振り向こうとした。ら、ファウスティーナとケインにそれぞれ腕を引っ張られ前へ行った。
「あ」
どさり、と音が鳴った。振り向くと、少し距離のある方にエルヴィラが前のめりで倒れていて。ベルンハルドのいた場所に芝生に投げ出されたリンゴのゼリーが落ちていた。
「なんでこうなるの……」
ガックリと肩を落としたファウスティーナの隣、ケインは両手で顔を覆った。
「期待を裏切らないよねホント……」
ファウスティーナに続いての台詞かはあれだが、末の妹の行動に兄姉が頭を抱えているのは明白である。
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