7 最後は昏く嗤う
「では、陛下と王妃様は朝早くに出発されたのですね」
昨日の今日なのできちんと待っていた。待っていなかったら、今日ばかりは鬼の形相をしたリンスーに屋敷中追い掛け回されていた。
簡単な挨拶を終えると、周囲にはベルンハルドの護衛の騎士とファウスティーナ付きの侍女リンスーと執事長だけにしてもらい、中心の2人は互いの話をしていた。
初めの話題は国王夫妻が今朝早くに隣国へ出発した事。第2王子のネージュは、体調が良かった為に見送りが出来てとても喜んでいたと嬉しそうに語るベルンハルド。弟想いの姿だけは変わらない。
(ネージュ殿下の話をする時もそうだけど、今日も王妃様譲りの美貌は眩しい……)
元公爵令嬢の王妃の美貌は、王子を2人生んでも衰えるどころかより輝きが増すばかり。王妃がこっそりと教えてくれたが、王様は為政者としても父親としても完璧だが夫としてはダメダメだと言っていた。聞くと“ファウスティーナも大きくなっていけば分かるわ”と少女のような可愛さで答えられた。
両親と同い年なのに、王妃だけが歳を重ねていないと錯覚させる。
成長していったら、あの人の美の秘訣でも教えてもらおうかな……とほんの一瞬遠い目になりかけた。
オレンジジュースを一口多く飲み込み、ファウスティーナは微笑を浮かべてベルンハルドの話を聞く。
今日のベルンハルドはやたら弟王子の話をする。朝、共に見送りをしたのと朝食を久方ぶりに取れたのが嬉しいのだ。昨日城へ戻ったベルンハルドは早速王様と王妃様にネージュの食事内容について話し合った。生まれつき体が弱いのもあるが、まともに食事を摂れない日が続く時もある。
今日から少しずつ食事内容を変えていくのだとか。ネージュの胃に負担をかけず、食べやすく栄養の高い料理をとなり、前から試作はしていたらしく城の料理人と医師とで相談して出来上がった品を大変気に入っていた。
ベルンハルドは朝食の席の出来事を嬉々とした様子でファウスティーナに語っていた。しかし、急に話を止めた。
「す、すまない。僕ばかり話してしまって」
「いえ、殿下がネージュ殿下をとても大事にしていらっしゃるのが伝わります。私は、お話でしか知らないのでネージュ殿下がどのような方かまだ存じ上げませんが」
「ネージュが外に出るのは殆どないからね。貴族の子でネージュに会ったことのある子はまだいないよ。王城でも、僕と父上と母上、それに一部の使用人としか接触しないんだ」
前回では、ネージュが社交界に出られるようになるのは15歳。丁度、貴族学院入学とデビュタントを終えた日。王妃と同じ蜂蜜色の金糸と紫紺の瞳。美しい顔立ちと髪と瞳の色で貴族令嬢に大変人気だった。あの時彼には婚約者はいなかった。ファウスティーナが死んだ後は知らない。
(それ以前に、私ってどうやって死んだの?)
幾ら頑張って思い出しても死んだ理由が分からない。
最後の記憶として残っているのは、最後の温情として公爵家追放となったファウスティーナは手切れ金として貰ったお金で安い宿に泊まり、そこで自身が行った数々の罪に涙し後悔した。
(もしやり直せるのなら、今度こそ間違わないって誓ったのだっけ……。絶対間違ってたまるものですかっ)
目の前の彼と婚約を破棄してもらって、王太子妃として、未来の王妃としての教育から解放されて、前回してみたいと何度も抱いた様々な事をやりたい。
大きな例が動物の飼育、である。
ずっと考えているが良案が中々浮かばない。深窓の令嬢作戦は無駄に頑丈な体のせいで既に折れている。王太子妃になんてなりたくない! なんて駄々を請ねるのは聞き分けのない幼子みたいで嫌だ。
……でも、ん? となった。単に王太子妃になりたくないと泣くよりも、辛い教育に付いていけずもう無理だと泣き付けば良いのでは? と浮かんだ。公私混同をしない王妃直々の教育は厳しい。前回も今回も何度泣きそうになったか。決して人前では涙を見せなかったが、よく城の庭園の生け垣に隠れて泣いた。
(……あー……駄目だ……悲しい記憶が甦る……)
隠れているので誰もファウスティーナに気付かない。
その代わり、ファウスティーナは気付いてしまう。
登城する必要もないのにエルヴィラと仲睦まじくしているベルンハルドが庭園の花を見ながら歩いているのを。
自分には決して向けてくれない、蕩けた瑠璃色の瞳を……。
(だから思い出しちゃ駄目だってばー!!)
心の中で百面相をしながら、表面は口端が引き攣っていた。動揺を悟られないようファウスティーナはオレンジジュースを飲む。
「そういえば、今日はエルヴィラ嬢はいないんだね」
「!」
(これは……!)
エルヴィラを気にするのは、やっぱり心の何処かではエルヴィラを……。チャンスとばかりに薄黄色の瞳をキラリと光らせたファウスティーナはグラスを口元から離した。
「エルヴィラでしたら、きっと部屋にいると思いますわ。呼びましょうか?」
「いや、いいよ。いつもはいるのに今日はいないなって思っただけだから」
そう言ってベルンハルドもオレンジジュースを飲んだ。
(私がいる前じゃ、やっぱり遠慮するわよね……あ、そうだ!)
ここで良案を閃いた。
ファウスティーナは少し席を外させてもらった。
ファウスティーナに付いて一緒に客室を出たリンスーに親指を立てた。ポカンと口を開けるリンスーに満面の笑みを向けた。
「成功よリンスー!」
「あの、何がですか?」
「このまま裏庭へ行きましょう」
「どうしてですか!」
一応2人は小声で会話をしています。
「さっきの聞いたでしょう! 殿下はエルヴィラに来てほしいのよ!」
「王太子殿下が来ると必ず来るエルヴィラお嬢様がいないのを不思議に思われただけです! 決してエルヴィラお嬢様に来てほしいと言った訳ではありませんアレは!」
「私にはエルヴィラに来てほしいって聞こえた!」
「お嬢様の耳は一体どうなっているんですか! お部屋に戻りますよ!」
ファウスティーナが満面の笑みで親指を立てた辺りで嫌な予感はしていた。公爵令嬢がしていい仕草ではないが自分にしか見せないので目を瞑ったリンスーだが脱走だけは瞑れない。渋々了承したファウスティーナと再び客室へ入った。
席を立った理由を適当に誤魔化し、また先程の時間が流れた。
ずっとベルンハルドが話題を振ってくれていたから、今度は自分から振る事となった。ファウスティーナは今度ミストレ湖に行く事を話した。
「ミストレ湖に?」
「はい。お父様が今度連れて行って下さると。今の時期は、時間がいいと湖で羽休みをしている白鳥が見られるそうなのです」
「僕は本でしか見たことないなあ」
「私もです。実物を見てみたくて、無理を言ってお願いしました!」
「そうか。王都から離れ自然に触れるのも悪くなさそうだね」
「ネージュ殿下も療養を兼ねて自然に触れるのも良いかと思われますよ。空気も新鮮で美味しいと聞きます」
「そうだ……ね」
「?」
歯切れの悪い返答に小首を傾げる。
何か間違えたかな、と発言を思い出しても可笑しな事は言っていない。
気のせいかと気にせず、何時にミストレ湖に行くと話したのであった。
**************
「はあ~疲れた~」
デザイナーよりもベルンハルドとの会話の方がやはり疲れる。
夕食も湯浴みも終えた夜。
後は寝るだけのファウスティーナは誰もいないのを良い事にベッドに飛び込んだ。ぽふりと小さな体を受け止めたベッドの上で考える。
「うーん……考えれば考えるだけ難しい。婚約破棄。かと言って、前回と同じでエルヴィラに何かをしたら婚約破棄とセットで公爵家勘当だし……でもでも、誰かに話せる内容でもないし」
思い出したからこそ、多少不幸になっても最後は皆幸せになれると信じる婚約破棄を目指す。しかし、前の自分の記憶を持っていると話して誰が信じる?
精々、頭が可笑しくなったと思われるくらいだ。
「それか頭の可笑しな人になった、ってする? そうなると勘当以前に領地幽閉な気が……」
がくりと力なくベッドに突っ伏す。
「……やっぱり、どうにか殿下に婚約者はエルヴィラがいいと思ってくれないと駄目よね」
ファウスティーナとベルンハルドの婚約は王家と公爵家が結んだ正式なもの。けれど、まだ大々的に発表はされていない。2人が15歳の貴族学院入学とデビュタントを迎えるまでは公表しないとなった。顔合わせの日に謎の高熱に倒れたファウスティーナが万が一にもまた倒れて王太子妃候補として相応しくないと判断された場合を考慮して。
今の所、教育を真面目に受け成果が順調なので王妃からの評判は良く、王太子であるベルンハルドが定期的に訪れているので問題ないと認識されているのが現状。
「婚約破棄婚約破棄婚約破棄婚約破棄……」
――どうやればいいのよぉー!!
心の中で絶叫したファウスティーナであった。
***********
「……」
「兄上?」
弟の訝しげな声を受けて。
ハッと、我に返ったベルンハルド。
「どうされました? 上の空でしたが」
「あ、ああ、ちょっと考え事をしていただけだよ。心配ない」
「そう、ですか」
夜、ネージュの部屋を訪れ、体調を心配して様子を見にきたベルンハルドに過保護だなと苦笑しながらもネージュは受け入れた。両親や兄は、生まれながらに病弱なネージュをいつも心配している。
自身も王国の第2王子。早く治して家族の心配を取り除きたい。その為にも、医師の判断に従って治療に専念していた。
途中から上の空となったベルンハルドを心配したネージュは、心当たりを訊ねてみた。
「ファウスティーナ嬢ですか?」
びくっとベルンハルドの肩が跳ねた。
王太子として常に冷静に感情は極力殺せと周囲から言い付けられている。普段の鍛練や王太子としての公務では平静を保てるが婚約者の前だったり名前が出ると素の部分が出てしまう。
「母上からよくお話を聞きますが王太子の婚約者として非常に優秀と聞いています。兄上との仲も良好だと」
「……」
母から見た2人はそうなのだろう。
だが――
「……僕はそうは思わない」
「何故です?」
「ファウスティーナは、僕が会いに行ってもあまり楽しそうにしないんだ。何度か会えない時もある」
訪問を知らせる手紙も事前に余裕をもって送っている。にも関わらず、3度くらいファウスティーナが不在の時があった。昨日と今日はいたが次はいない可能性はある。
「今日はいなかったがファウスティーナがいない代わりに毎回エルヴィラ嬢がいる」
「ファウスティーナ嬢の妹君がですか?」
不思議ですねと笑うネージュに苦笑する。
ファウスティーナ本人は否定していたが、きっと自分に会いたくなくて妹のエルヴィラを寄越しているのだ。
彼女にはまだ婚約者はいないとは言え、気持ちが良いものでもない。
ただ……ファウスティーナといるよりも、エルヴィラといる方が楽しそうだと言われて胸をぐさりと刺された。
自分ではファウスティーナの話を聞けて嬉しいだけでも、他人の目から見たらファウスティーナといるよりも楽しげに見えたのだろう。
「ぼくは兄上以外の子供とは全然会いませんし、婚約者もいないのでまだよく分かりませんが、成人までまだまだ時間はあるのですからゆっくりと歩み寄って行けば良いのではないですか?」
「そうだな……」
一つ違いでもどちらが上か分からなくなる。誰かに聞いて不安を取り除きたかった。
お休み、と幾らか安堵した表情となったベルンハルドを見送りネージュは毛布の中に潜った。
「ああ、でも」
さっきとは全く違う……別人のような昏い笑みを浮かべたネージュが、
「ファウスティーナ嬢を好きにならなくていいよ兄上は。また前と同じでエルヴィラ嬢を好きになったらいい」
誰に聞かせる訳でもない話を灯りを消した天井へ紡いだ。
「――だって、兄上はどうせエルヴィラ嬢を好きになるのだから。それとも気付いていないだけで本当はもう好きなのかな……?」
――だとしたら嬉しいな……今度はちゃんと…………
常人とは一線を画した言葉を発したネージュは瞳を閉じた。
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