過去―彼女がいない後⑪続 十分―
会話がある程度聞こえる場所で王太子夫妻とシエル達のやり取りを眺めていたネージュ。
今朝早くにエルヴィラと護衛を連れて教会へと発ったベルンハルドは、午前中には城に戻った。嬉しげにベルンハルドの片腕に引っ付くエルヴィラは気付かない。貼り付けただけの弱い微笑を浮かべる夫に。
教会に行った後、きっとシエルと話をして、拒絶されたのだろう。
そして今。シエルとヴェレッドが去ると納得いかないといった表情のエルヴィラをそっと抱き寄せていた。
「死にそうな顔してる……」
ネージュは決して兄が嫌いじゃない。寧ろ大好きだ。体の弱い自分を一番気に掛けて守ろうとしてくれる、優しい兄が大好きだ。
けれど、ファウスティーナが絡むと言い合いが多くなった。ネージュが庇えば、その分ベルンハルドの中にあるファウスティーナの印象は悪くなってばかり。何度人気のない場所で1人泣いて、その度にネージュが見つけて慰めてきたか。もう数え切れない。
執拗にファウスティーナの居場所を知りたがっている理由をネージュは知っている。だって、何度も繰り返しているのだから。
ベルンハルドの心を占めるのはファウスティーナだ。途方もない執着心と愛憎が入り乱れた感情を上手にコントロール出来ていたら良かったのに。
「……兄上は馬鹿だ。ファウスティーナが欲しいなら、手に入れるやり方なんて幾らでもあったのに」
母の愛情に飢えていた彼女に、それを上回る愛情を与えてやれば良かった。
たった、それだけ。
「ファウスティーナが誘拐されたと知った時は、自分から助けに行って、父上や母上、先代公爵夫妻に絶対婚約破棄はしないと告げていたのに……」
そのせいでファウスティーナは最後エルヴィラ殺害計画を企てるのだが。
ネージュはベルンハルドが――兄が――大切で、シエルに予想を上回る傷を食らわされたのならもう自分は動かないと決めた。ベルンハルドの精神を完全に破壊する気は更々ない。
もういい加減、ファウスティーナを諦めるだろう。
でも、その後押しをしようと微かに嗤った。
近くを通った給仕から新鮮な水の入ったグラスを受け取り、誰にも見つからないよう細心の注意を払ってある薬を仕込んだ。グラスを持ったまま、ゆっくりとエルヴィラを抱き寄せて歩くベルンハルドに声を掛けた。
「兄上」
「……ネージュ」
「顔色が良くないですよ。さあ、これでも飲んで下さい」
「ああ……ありがとう」
ネージュからグラスを受け取ったベルンハルドは水を飲み干した。
「お疲れなら、先に戻られては?」
「いや、それは出来ない。最後までいるよ」
「けど」
「大丈夫だ。ありがとうネージュ」
無理な作り笑いを見せ、エルヴィラを連れて会場の真ん中まで行った。
薬の効果は直ぐに出るものじゃない。パーティーが終わった後くらいに効果が出る薬とタイミングを選んだ。
「……夜はたっぷりと楽しんでね」
理性を無くした獣のように、少女のようなエルヴィラを求めたらいい。
明日の朝、侍女達が騒ぐのが目に浮かぶ。
早く来たらいいなとネージュは会場を後にした。
出席したものの早々に退席したアエリアの所へ向かった。
今夜あった出来事を面白可笑しく話して、聞いてもらう為に。
次回現在に戻ります(・・;)