過去ー彼女がいない後⑪ 反論させないー
今夜開かれる王太子妃の誕生日パーティーに行く前――
午前中にパイを手作りしようとし、火力を間違えて黒焦げにして落ち込んでいた可愛い子は、今は立ち直ってシエル達の帰りを待っている。
早く帰りたい。
ヴェレッドからパイを黒焦げにしたと聞いて王太子一行が帰った後、教会のすぐ近くにある屋敷に戻り、部屋に行くとベッドの上にシーツにくるまった大きな雪だるまがいた。ぐすぐす泣いているのが可愛らしくて、慰めの言葉を掛けながら抱き締めてあげた。シエルに慰められた雪だるまの正体は元気を取り戻し、今度は3人でパイを作ろうというシエルの提案を受け入れた。
早く帰りたい。
国王夫妻と王太子夫妻、第2王子に必要な挨拶をし、更に今日の主役である王太子妃にも接した。早く帰りたくて堪らないのに、そうはさせてくれないのがいる。
シエルはスイーツを食べたいヴェレッドを会場に残し、空いている客室へと向かった。誰が来るかは大方予想出来ていた。
コンコン、と控え目に扉がノックされた。壁に凭れたシエルは「どうぞ」と返事をした。
扉が開いた。
予想通り、来たのはシトリンとリュドミーラ。エルヴィラが王太子妃になったとほぼ同時に長男であるケインに公爵位を譲り、2人は領地で暮らしている。ケインが押し込めたとも言って良い。
類い稀な美貌の持ち主であるシリウスも歳を感じるが、2人は更に歳を感じる。同い年なのに。シエルの方は何故か全く歳の衰えが見えない。それ処か、年々若々しくなっている。天上人の如き美貌は微笑を貼り付け、先代公爵夫妻を迎えた。
「シエル様……」
「やあ、先代夫妻。お元気そうで何よりです」
「シエル様がお越しになるとは思いませんでした」
「私は一応王弟なので、必要な時は来ますよ」
暗に必要じゃない時は絶対に顔を出さない。昔から、年に数回あるシリウスからの登城要請は全て無視している。それはシエルがそう感じるからである。
シエルは2人にカウチに座るよう勧めるが首を振られた。
「いえ……長居しては、シエル様のご迷惑ですので」
シトリンが言うとシエルは冷気が増した笑いを零した。リュドミーラの肩がビクッと跳ねた。
「迷惑? こうやって貴方方が来るだけで十分迷惑していますよ。今更私に何の用が?」
冷酷な面が強いのはシリウスじゃない。そう見せながら、何処か情の熱い面を持ち合わせている。
反対にシエルは、自身の敵、興味のない対象には一切の容赦がない。
冷えきった蒼を向けられているシトリンとリュドミーラは背筋を凍らせた。
「それとも、あれですかな? 私の宝物より、自分達の宝物が王太子に選ばれたと態々自慢でもしに来ました?」
「違います! 決してそのような……!」
シトリンが弁解しようにもシエルの冷酷な瞳が許さない。シトリンからリュドミーラに視線を変えると顔色が真っ青に変色。
「君がそう思っても君の奥方はそうは思っていないのでは? ……あの子に随分な暴言を何度も吐いてくれたようじゃないか」
シエルの言う暴言。
ファウスティーナは11歳の頃、ベルンハルドの暴言によって心に深い傷を負い、偶然登城していたシエルに助けを求めて教会に強制保護された。公爵家や王の言葉等意にも介さず。貴族学院入学に伴って公爵家に戻された。卒業間近になってもベルンハルドは妹のエルヴィラばかりに寵愛を向け、焦ったファウスティーナはエルヴィラ殺害計画を企てる。が、計画を察知したベルンハルドによって未然に防がれ、王妃とシトリンの温情によって公爵家勘当の処分となった。
公爵家勘当となったファウスティーナに、母親である筈のリュドミーラはとんでもない言葉を放った。
ガタガタと震え出したリュドミーラに向ける蒼に一切の慈悲はない。
「“生まれてこなければ良かったのに”……ですか」
「な……リュドミーラ……そんな言葉をファナに……?」
「ち、ちが、あ、あれは」
どうやらシトリンはファウスティーナが最後に吐かれた言葉を知らなかったみたいだ。信じられない物を見る目で妻を呆然と見つめた。リュドミーラは咄嗟に違うと言い訳をしようとするも、シエルが許さない。
「よくもまあ言えたものだ。アーヴァが命と引き換えに生んだ私の娘に対して。私が18年前、どんな気持ちであの子を貴方方に渡したと思いますか? 毎年、誕生日にしか会えないあの子は、年々表情から笑顔を消していった。……感情も消える、性格も曲がる、それはそうだ。
――貴女のような女に育てられれば、どんな血筋の子でも歪む」
18年前、断腸の思いでファウスティーナをアーヴァの親戚筋であるヴィトケンシュタイン公爵家の養女にした。数百年振りに生まれたリンナモラートの生まれ変わりであり“王太子の運命の相手”である可能性が非常に高かったから。
シエルは隠そうとしたが出来なかった。そのせいでシリウスにファウスティーナの存在を知られ、アーヴァの魔性の魅力のせいで社交界を混乱させた責任の所在を追及された。ファウスティーナを公爵家の養女として渡すなら、アーヴァの名誉は傷付かずに済むと脅されて。それらを無視してファウスティーナを連れて逃げることも出来た。
だが、アーヴァの両親が床に額を擦り付ける勢いで土下座をした。死後、アーヴァの名誉に傷がつくのを恐れて。家は既にアーヴァの姉が継いでおり、女侯爵として活躍する姉にも影響が及ぶと自殺しそうな勢いで迫られ。
ファウスティーナを渡すしかなかった。
その代わり、毎年ファウスティーナの誕生日にだけ教会の責任者として会うのを許された。年に1度だけ。本人はシエルが実の父親だとは知らない。シエルからも明かすのは許されない。祝福を授ける時だけ、シエルが娘と触れ合える時間となった。
シエルは無情な声と瞳で元公爵夫妻と向かい合う。
「私はあまり他人の身分に興味もなければ、低位の者だろうが下に見るつもりはない。けど、君はそう見るしかないね、夫人。
伯爵家の次女だった君が公爵夫人になれたのは、元公爵が幼い頃、誤って君の額に小さな傷を付けたのが原因だ。まあ、容姿だけは君は非常に良い。妖精姫って言われていたね」
顔を青くして黙って聞くだけしかない元公爵夫妻に構わず、シエルの話は続く。
「王太子も君達の娘を可愛い妖精と、あの子の前で散々誉めていたね」
「あの子は育っていくにつれアーヴァに似てきた。アーヴァの魔性の魅力をあの子も受け継いでいた。大きくなっていくと自分に似てないあの子が憎くなったかい? 夫の再従姉妹でしかないあの子が何故王太子の婚約者となって、自分に似た可愛い娘は選ばれないのかと」
「普通の感性を持っていたなら、何れ仕えるべき相手の邪魔をしない。寧ろ、身内の婚約者に纏わりつかない。行動を控えさせるべきだ。それをせず、あの子ばかりを悪者に仕立て上げ追い詰めて人格を歪めた……」
「ひっ……!」
一瞬、鋭い音が耳元を通った。シエルの左手が振り払われたのと同時に壁に何かが当たった。恐る恐る後ろを向いたリュドミーラの紅玉色の瞳に、壁に刺さった銀のナイフが映った。体の震えは大きくなり、立っていられなくなり足を崩した。恐怖から涙腺が崩壊して涙が溢れた。
「シ、シエル様! 何をするのです!」
シエルの暴挙にシトリンはリュドミーラを抱き締め抗議の声を上げた。
が、膨大な殺意の籠った蒼で見下ろされ、体が金縛りにあったように動かなくなった。
すると、扉がノックもなく開いた。
シエルは振り向きもせず「ヴェレッド」と呼んだ。
当たっている。
ヴェレッドはシエル、座り込み涙を流すリュドミーラ、リュドミーラを抱き締め固まるシトリン、最後に遠くの壁に刺さった銀のナイフを見た。奥へ行って銀のナイフを壁から抜いて、左手で弄びながらシエルの横に立った。
「何時盗んだの。これ俺のなのに」
「盗んだなんて人聞きの悪い。借りただけだよ」
「貸した覚えない」
「勝手に借りたから」
「あっそ」
それを盗んだと普通は言う。
「スイーツは満足するまで食べれたのかい?」
「王太子様が来たから1皿だけにした」
床に座り込む2人からヴェレッドへ視線を変えたシエルは意外そうな表情を作った。ヴェレッドが来て幾分か苛立ちと殺意が緩和された。
「へえ? 君の所に行ったの」
「うん」
「何か言ってた?」
「うん。王太子様はお嬢様に捨てられたって言ってたでしょう? だから、捨てたくせに被害者ぶって拾おうとしてる所は王様にそっくりだねって言った」
「そう」
「もう帰る?」
「そうしよう」
もうシトリンとリュドミーラと同じ空間にいたくもなければ、同じ空気も吸いたくない。興味が失せたと言わんばかりに扉の方へ進み出した時だった。
今度はノックがされた。「どうぞ」とシエルが返事をした。
開いた扉の先にいたのは、シトリンとリュドミーラのもう1人の子供。
「失礼します。シエル様、此方に……」
ケインは先の台詞を言う前に床に座り込む探し人達を見つけ深い溜め息を吐いた。また、シエルに対し深く頭を下げた。
「両親が多大なご迷惑を掛けてしまい申し訳ありません」
「ケ、ケイン……」
リュドミーラが泣きながらケインを呼ぶも灯りのない自身と同じ色の瞳に睨まれ更に泣き出した。シトリンが慰めるもケインは余計不快な顔をするだけ。
「今日は御目出度い日だ。君は王太子妃殿下の側にいなくていいのかい?」
「エルヴィラはもう、妹ではなく王太子妃です。王太子殿下が側にいれば良いかと。それより、父上、母上。ご気分が優れないようなので馬車を手配します。どうぞお帰りください」
「ケインっ」
「父上。そんな状態の母上では、もう会場に戻るのは難しいかと。王太子妃殿下が心配されます。何があったかは存じませんがこれ以上手を煩わせないで下さい」
育て方も大事であるが、当人の素質も大事だ。エルヴィラと同じとはいかなくても母親に溺愛されて育ったケインは、本当に同じ血が流れているのかと疑う程立派な青年となり、若いながら公爵として活躍している。
幼い頃からファウスティーナを庇い続けたのも彼。シトリンもファウスティーナを守っていたが、妻に対する甘さが目立ち、逆効果となっていた。
シトリンがケインに何かを言おうとするも、牽制され黙るしかない。
リュドミーラは止まらない涙を流しながらケインへ顔を上げた。
「ケインっ……」
「……母上。エルヴィラじゃないのですから、泣いて許されるなんて思わないで下さい。ファナが泣いても母上は逆上して更に叱り付けて、エルヴィラは泣いたら何でも許した。
良い機会だ。自分に似たエルヴィラには甘くて、父上に似たファナに厳しいのはどうしてだったのか、聞いても良いですか? それとも、自分の分身のような可愛いエルヴィラにだけ、泣けば何でも許して貰える行為を継承させてファナから王太子妃の座を奪わせたかったのですか?」
「――――」
最後の止めを実の息子に食らって、溢れていた涙も止まった。
人間、精神を限界まで追い込まれると見た目も急激に効果が現れる。一気に生気のない色をしてシトリンに傾いたリュドミーラはピクピクとするだけで、呼び掛けても反応を示さない。妻の異常にシトリンが名前を呼び続けるも反応はない。
はあ、とどうでも良さそうに溜め息を吐いたケインは改めてシエルに向き直った。
「お見苦しい所、失礼しました」
「……」
「?」
シエルは目を丸くしてケインを見ていた。
「君、本当に血の繋がりがあるの?」
「ありますよ」
「そう、あるんだ」
「言いたいことは概ね理解出来ます。ですが、放棄したのはエルヴィラ本人。ですので、血筋はあまり関係ないかと」
要は親の育て方と本人が気付くかどうかの話。
そう、と漏らしたシエルは欠伸をするヴェレッドを連れて部屋を出た。
足は会場へと向かっていた。
「帰ると言ってから帰ろう」
「また絡まれるんじゃない?」
「それほどの元気があるなら、夜に回したらいい」
「今が夜だよ?」
そういう意味での夜じゃないと悟っているくせに聞いてくるヴェレッドに「悪趣味」と呟く。豪華絢爛な会場に戻ったシエルとヴェレッドの所に、死人同然の顔色をしたベルンハルドを連れて怒り顔のエルヴィラが来た。流石のシエルとヴェレッドも同情を抱いた。
「司祭様!」
此処は教会じゃないと言いたくなった。
「ベルンハルド様に何を仰有ったのです! 司祭様に話があると追い掛けて行った後、とても顔色を悪くして戻ったのですよ!」
ヴェレッドはお腹を抱えて笑いたいのを、手で口元を抑え肩を震わせるので耐えた。
吐きたい溜め息を喉元の辺りで飲み込み、シエルは綺麗なだけの微笑を貼り付けた。
「さあ? 私は事実を言っただけです」
「事実とは? 大体司祭様はベルンハルド様に意地悪です。いくらお姉様が――」
途中でベルンハルドがエルヴィラの口を塞いだ。シエルの纏う空気がマイナスまで急降下したのを肌で感じたから。更にヴェレッドもシエルの左手首を強く掴んだ。動かす素振りがなくても袖にまだナイフを隠しているか不明でも牽制の為に。驚くエルヴィラの口を塞いだまま、ベルンハルドは謝罪した。
「……申し訳ありません、叔父上。王太子妃の無礼をお許し下さい」
「……1つ、とっておきの祝福を君に授けよう、ベル」
「とっておきの祝福?」
「そう。君と王太子妃の結婚式の際、姉妹神に祝福された理由を知っているかい?」
ベルンハルドの瞳が見開かれる。
ベルンハルドからエルヴィラを離し、シエルは耳元で囁いた。
「本来、君の運命の相手は君の元婚約者だった」
「っ!」
「だが、君はあの子じゃなく、妹君を選んだ。そしてあの子は運命の女神に祈った。君と妹君が結ばれるようにと。運命の女神はあの子の願いを聞き入れた。そして、君達はいつの間にか“運命の恋人たち”と呼ばれるようになった」
「……、……」
ヴェレッドに事実を突き付けられた時以上に顔色を無くしていくベルンハルド。
そして――
「ファウスティーナに捨てられた。強ち間違っちゃいない。
――だって、最初に捨てたのは君なのだから、ベル」
ベルンハルドから離れたシエルは王太子夫妻に祝福を授けた際の司祭顔で告げた。
「王太子殿下。永遠に王太子妃を大事にしなさい。君を心の底から愛し、心配してくれる存在は、もうその子しかいないのだから」
――最後の締めを終えたシエルはヴェレッドを連れて乗って来た馬車に乗って帰路を走っていた。
向かいに座るヴェレッドは、テーブルに置かれているクッキーの入ったガラス瓶に手を伸ばした。
「ねえ、シエル様」
「うん?」
「王太子様が最後ちょっと可哀想だったよ」
「そう?」
「うん。王太子妃様は多分、シエル様の最後の台詞を理解してないと思う」
「はは。理解していようがいまいがどうでもいい」
「王太子様に何を耳打ちしたの?」
「君達が“運命の恋人たち”と言われていたのは、あの子がフォルトゥナに祈ったからって」
「へえ。女神様は、気紛れに人間のお願いを聞いてくれるって有名だからね」
「それもあるけど、もう1つある」
シエルが手を差し出すとクッキーを乗せた。固い食感のクッキーを咀嚼する。紅茶があれば、と顔を歪めた。
「あの子がリンナモラートの生まれ変わりだからだ。要は妹の願いを、通常よりも強力な力で聞き入れたのさ。王国中がベルンハルドとエルヴィラ嬢を“運命の恋人たち”と思うように」
「エグいね。それ、お嬢様が考えたの?」
「いいや。私の入れ知恵だよ。ベルンハルドとの婚約を絶対に破棄して公爵家から出て行くと言ったのはあの子。私は協力しただけ」
「にしては、学生時代は家に帰していたじゃない」
「通学時間の問題だよ。教会からだとかなり時間がかかる。それと仕上げの為だよ」
「総仕上げは俺がしてあげたよ。面白かったよ」
「もう少し手を抜きなさい。陛下辺りは気付いている筈だ。殺害計画を作ったのがあの子じゃないと」
「お嬢様と約束したからね。本物の悪党が作るシナリオを用意してあげる、って」
「全く」
「でもさ、お嬢様が17歳の時誘拐された時点で婚約破棄したら良かったのに。そうしたら殺害計画を作る必要はなかった。俺は面白かったけど」
「ベルンハルドが頑なに拒否したのだよ。あの子と絶対に婚約破棄はしないと」
シエルは窓から外を見上げた。
満月が雲1つない夜空に浮かび、女王の如く君臨していた。
「帰ったら、一緒に月見酒でもしよう」
「うん」
早く帰りたい。
馬車の停車音がしたら、外に飛び出して両手を広げて迎えてくれる――最愛の宝物を抱き締めたいから。
読んで頂きありがとうございます