49 好機を逃すな
窮屈生活は暫く。
ヴェレッドがいつぞや持って来た登城要請の手紙の指示通り、シトリンは今朝早くから王城に向かった。朝食を終えるとすぐに出発した。
ファウスティーナは自室にて、書庫室からリンスーに運んでもらった参考書や資料を使い自主勉強中。王妃教育や家庭教師との勉強がお休み中だが、何もしていないのも出来ない。それと室内の窮屈さを勉強で紛らわすのも目的。
室内には相変わらず護衛騎士が2人いる。彼等も仕事なので仕方ないと割り切り、自分でどうにかしようと考えた。
結果が――勉強である。
「お嬢様。先程言われた参考書をお持ちしました」
「ありがとう。あ、これ戻してきて」
「はい」
リンスーがファウスティーナに頼まれた参考書を持って戻ると直ぐ様使い終わった参考書を返すよう渡した。
新しい参考書を貰い、必要なページを開いていく。小さな文字が1ページにぎっしり詰まったのを真剣に読もうとすると骨が折れる。涼しい表情で早いスピードでページを読むことが可能なケインに改めて感嘆としてしまう。
前の時から思っていたが、何故ケインは幼少の頃からとても大人びて冷静なのだろうか。公爵家の跡取りとしては満点だが、他の跡取りの子等と比べると差が大きい。彼等が劣っている訳じゃない。ケインと比べるとどうしてもそう見えてしまう。
ファウスティーナは不意に手を止めた。
(そういえば、前のお兄様ってどうして婚約者がいなかったのかな)
成績優秀で運動神経も抜群、見た目良し、性格は妹達にだけ容赦の無さと冷たさが目立つが他は礼儀正しくて普通。家柄も公爵家で跡取り。選り取り見取じゃないだろうか。
8歳の現段階でも婚約者はいない。ファウスティーナは生まれが特殊なので即決められたがケインやエルヴィラは急いで決める必要がないのだろう。
気になると集中出来なくなった。参考書を閉じたファウスティーナは時計を一瞥した。今ケインは跡取り教育の真っ只中。終わったら部屋に行っていいかリンスーに確認してもらおうと、引き出しを開けて1枚の手紙を取り出した。
ヴェレッドはシエルからの返事の封筒の中に自身の返事も入れていた。
2人揃って達筆で羨ましい。
(ヴェレッド様からの返事には、もう少しの間辛抱しなよってあるけど、どういう意味なんだろう)
ファウスティーナは手紙で、貴族の令嬢が家を出て平民として生きていくには何が必要かを問うた。前回家を勘当されたのは18歳。18歳まで後10年あるが、準備は早い方が良い。
手紙の返事はファウスティーナが期待したものじゃなかった。何を待てというのだろうか。
何度手紙を読んでもヴェレッドの真意を当てるのは無理だ。付き合いが極端に短い。シエルなら読み取るだろうが、ベルンハルドとの婚約破棄を願っていると知られ手紙を出せなくなった。
心の中で深い溜め息を吐き、手紙を引き出しに仕舞った。
コンコンとノックの音が鳴る。向こうから「失礼します」との声と共にリンスーが入室した。
両手に子豚のマグカップを乗せたトレイを持っている。
「お嬢様。そろそろ休憩しましょう。お嬢様の大好きなオレンジジュースをお持ちしました」
「ありがとう。丁度、切り上げようかなって思ってたの」
椅子から降りてソファーへと移動した。
リンスーから子豚のマグカップを受け取ったファウスティーナはあることを訊ねた。
「リンスー。お兄様の時間が空くのは何時間後くらいか分かる?」
「確か、後2時間程だったかと」
「そっか。エルヴィラはどうしてる?」
「奥様とサロンにてお茶を」
「エルヴィラも今はマナーレッスンの時間じゃ」
「……どうも、また家庭教師の方の態度が厳しいと奥様に泣き付かれたようで。旦那様が家庭教師の方々を一新しても、奥様が許してしまうのでどうにも……」
「……不思議だよね」
オレンジジュースを一口飲んで呟いた。
「不思議、とは?」
「だって、エルヴィラも何時か何処かの家に嫁ぐんだよ? 今の内にしっかりしておかないと、後から苦労するのはエルヴィラなのに、お母様は危惧しないのかなって」
実際、前回エルヴィラは王太子妃となったが公務も何も出来ない為にアエリアが側妃として嫁いだ。
エルヴィラに王太子妃になってもらおうにも、しっかりとした教養を身に付けないと同じ繰り返し、それかファウスティーナとベルンハルドの婚約が破棄となっても選ばれる可能性が無くなる。
ベルンハルドが幸せになるには“運命の恋人”であるエルヴィラが必要なのだ。
もう少し、シトリンに急かすよう告げた方が良い。
戻ったらそうしようと決めたファウスティーナはオレンジジュースを飲み干した。
*ー*ー*ー*ー*
昼前にシトリンは戻った。知らせを聞いたファウスティーナは丁度ケインとも出会し、一緒に迎えに行った。ロビーに足を運ぶと、酷く疲れた様子のシトリンに声を掛けるリュドミーラがいて。ドレスに引っ付くようにエルヴィラもいた。
「父上」
「お父様」
2人同時にシトリンに声を掛けた。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ、お父様」
「ただいま」
疲れた微笑みを浮かべ、ケイン、ファウスティーナの順に頭を撫でていく。エルヴィラにはもうした後。
シトリンはリュドミーラに向くと上着を預けた。
「済まないが昼食は4人で取ってくれるかい? 僕は少し休むよ」
「では、疲れが取れるハーブティーを用意させましょう」
「うん。頼むよ」
珍しいとファウスティーナは目を丸くした。仕事の疲れを家族の前でシトリンは見せない。それだけ、国王との話し合いが難航したのか。
ファウスティーナはそっとケインに耳打ちした。
「王様と何をお話したと思います?」
「さあ。ただ、父上のあの様子を見る限りじゃ、良い結果にはならなかった可能性のが強い。ファナ。気を引き締めておきなよ」
「私ですか?」
「高確率で有り得るのは、ファナとベルンハルド殿下の婚約だよ。ファナが誘拐されたことは、父上がどうにかしても、このまま殿下との婚約継続を続行するのはかなり難しいからね」
寧ろ願ったり叶ったりである。が、シトリンの苦労を考えると素直に喜んで良いのか。しかし、後々を考えればやはり早い方が断然良い。
リュドミーラと会話を交わしたシトリンは「ファナ」と呼んだ。
「大事な話があるから、一緒にファナの部屋に行こう」
「休まなくて良いのですか?」
「少しくらいは平気だよ。さあ、行こう」
大きな手を差し出され、迷いもなく握った。
シトリンと手を繋いで私室へ向かう。無論、護衛の2人もいる。
部屋に入り、真ん中に置かれているソファーに2人は座った。
シトリンは護衛2人に外での待機を命じて、室内を2人だけにした。
護衛を出す程大事な話。ケインに言われた通り気を引き締めた。
「ファナ」
いつになく真剣な声色で呼ばれて背筋を伸ばした。
「今回の誘拐が起き、王太子殿下との婚約について、陛下とシエル様と話をしたのだけどね」
「はいっ(キタ……! というか、司祭様もいたの?)」
「……殿下との婚約はこのまま継続となった」
「分かりました。……へ?」
婚約は、の続きは駄目になったと聞くと待ち構えていた。
現実に紡がれたのは、継続。
ポカンとするファウスティーナは、話し合いの場を思い出しては溜め息を吐くシトリンを呼ぶ。
「お、お父様? 継続、なのですか?」
「そうなった。陛下は絶対にファナと王太子殿下との婚約は解消しないと断言した」
「わ、私は無事でしたけれど誘拐された身ですよ? もし知られれば」
「うん。それは言った。けど、王家と我が家で徹底的な情報操作を行う。一文字でも漏らそうとする者がいれば一切の容赦もなく罰する。陛下はそう告げたんだ」
「……」
数百年振りに生まれた女神の生まれ変わりをそうまでして逃す気のない王家の執着に身震いを起こした。いや、正確にはシリウスに対して。道理で前回、エルヴィラ殺害未遂事件を起こして漸く婚約破棄をした訳だと納得した。それまでは、ファウスティーナが思うのもあれだがとっくに婚約を破棄されていてもおかしくない行動をしたのに。
だがシトリン曰く、これに異を唱えたのがシエルだと言う。それはそうだ、とファウスティーナは頷く。
そこからはシリウスとシエルの言い合いになってしまったらしいが、最終的な決定はファウスティーナに委ねられたと言われた。
「どういう意味ですか?」
「……ファナ、ファナはこの家が好きかい?」
突然の質問の意味を探るも答えようがない。
「シエル様……教会側は、此度の誘拐を受けてファナを教会で預かると言い出した」
「!」
「僕は反対したかったけど、陛下はファナに決定を委ねると言って話し合いを終わらせた」
「……」
重大な決定を委ねてほしくない、と大声で訴えたかった。しかし、これはまたとないチャンスだった。
ベルンハルドと婚約破棄をしたがっていると知られたものの、婚約継続に異を唱えたシエルだ。きっと理解してくれる。
それに、である。
(この窮屈生活から解放されるなら行きたいー!)
四六時中護衛の2人に見張られる息苦しい生活はもうゴメンである。短くても嫌なものは嫌。
また、シトリンやリュドミーラに余計な気を遣わせなくて済む。
ファウスティーナは喜びを必死に隠し、決意の表情をシトリンへ向けた。
「勿論、ファナが嫌と言うなら必ず陛下とシエル様を納得させる」
「いいえお父様。私、教会に行きますわ」
「ファナ!?」
予想外な言葉に一驚するシトリン。ファウスティーナの両肩に手を置いて必死な形相で迫った。
「分かっているのかい? 僕やお母様、ケインやエルヴィラと離れ離れになるんだよ?」
「寂しい気持ちはあります。ですが、私のせいでお父様やお母様に気を遣わせる訳にはいきません」
「気を遣うなんて……親なのだから当然じゃないか」
公爵家を勘当となったファウスティーナが最後に見たシトリンの憔悴した姿。ずっと大事にして、心配してくれた父に余計な気を回してほしくない。母に関しては、何となくだが自分はいない方が良いのではないかと思えるのだ。最後に止めの言葉を紡いでくれたのを、心の何処かでは根に持っている節がある。
「いいえ。それでは私がお父様達に対し申し訳ないです」
「誘拐されたのはファナのせいじゃないんだよ?」
「それでも、です」
「……」
決して意思を曲げないと語る薄黄色の瞳。同じ色を持つシトリンの瞳に諦念が現れた。
「そうか……ファナがそこまで言うなら、陛下とシエル様にはファナを教会に預ける方向で話をしよう」
「ありがとうございます」
「いいや……いいんだよ。ただ、1つだけ困ったことがあってね」
「何でしょう?」
実はフワーリン公爵家からお茶会の招待状をファウスティーナの誕生日前日に受け取っており、3兄妹を連れての参加を了承しているのだ。ファウスティーナの誘拐前に。
お茶会は15日後。今から断りの手紙を入れるのも出来なくはないが、フワーリン家は王妃の生家。あまり荒波を立てたくない。これについては夫妻で頭を悩ませていた。ファウスティーナは今の所病弱という体を装っているものの、である。
「お父様。私も公爵家の令嬢です。務めは果たします」
「……」
前回やらかしてはいるがベルンハルドとエルヴィラから距離を取れば良い。それとアエリアもいた筈なので、会って話がしたい。
フワーリン家のお茶会はファウスティーナも参加で話は終わり。教会に行く日取りも決めていくとシトリンは言い残し、部屋を出た。
寂しそうな父の背中が前と被り、目頭が熱くなった。泣くな、と頭を振って誤魔化した。
読んで頂きありがとうございます(´∀`*)